◆Special Thanx for... ひびき様
昼一番の爽やかな風を最大限に取り込むべく開け放された議場、
粛々と会議は進む。
進んでいるようでいて、実際は形式だけ、体面上開くだけ開いてみたという種類の会議も多い。
ここは王宮で、今日のはそういう会議であった。
(………そういうのなら大人だけで適当にやってよ)
那岐は、それの終わるのを待ちに待って、速攻で部屋に引っ込んだ。
本来、待ちに待つというよりちゃんと議論に参加すべき立場の那岐だが、
開け放された窓が取り込むものは昼一番の爽やかな風だけでない。
それに伴い侵入する花粉が、仮に那岐に見えたなら、大いにしっぽを巻いて逃げ出すところだ。
鼻のむずむずは最高潮、それに伴い頭まで痛み、ただでさえ眠くなるような話題ならなおさら、
花粉症持ちにとっては厳しいものがあった。
「あ”ぁぁーーーも、無理」
たまっている仕事は暫し後回し、幾つものくしゃみと共に寝台で伸びている。
せめて豊葦原にティッシュペーパーがあれば、という気持ちで、
涙目をきつく閉じた那岐の、眉間にせつない皺が寄る。
こういう時は、眠るに限る。
予め窓は全て閉ざし、吊り布を引き、寝台周りの吊り布さえも引いていたのだったが、
外の世界、つまり花粉から完全に身を守りたい心根がそれに現れている。
眠ればその間だけ、辛いむずむずとぼんやりから解放される。
そう思い、呼吸を睡眠モードに切り替えれば、扉一枚を挟んだ喧騒が聞こえてきた。
「陛下、お待ちください那岐様はただいまご機嫌が」
釆女の声だ。
内容と物音から察するに、那岐の部屋を訪ねた陛下=千尋が、
言われたことを気にもせず、寝室へ向かってパタパタと駆けて来ている、
といった場面らしい。
ひとが寝ようというときにこそ、こうなることはよくある。
那岐は、いやな予感に寝返りながら、眉根をちりちりとさせた。
そして、扉は開かれた。
ややあって、吊り布も開かれた。
「那岐! お花見行こ!」
「………」
「……って、あれ?」
千尋は声を一段小さくし、寝てるのかな、とか言っているが、
真実寝ているかどうかはさておいて、
背を向けて丸まっている、この姿勢で察していただきたいものである。
「なんだ……つまんない」
タヌキを決め込むつもりの、那岐の胸は早くもきゅんと痛んだ。
千尋の声には、感情が良く乗る。
つまらなければつまらなそうに、嬉しいときは嬉しそうに話す。
ついた息まで淋しそうな、そんな声音が漏れ来たあとで、寝台が軽く沈んだ。
(……何で出て行かないの)
寝ているのはわかっているはずなのに、かわいいコトするじゃないか、と
満更でもない笑みが浮かび始めたとき、
千尋が舞い上げたのだろう僅かの花粉の残骸が、那岐の鼻腔へ侵入した。
「……っくしゅ!」
「!」
「……あ”ぁぁーーーっもう! 千尋、なんか布」
タヌキがバレたのでも、くしゃみのせいで起きたのでも、
最早どっちと思われてもいい。
那岐が後ろ手を伸ばすと、柔らかな薄布が渡された。
千尋が身につけていたものだろうか、人肌の温もりがあり、いい匂いがする。
少し申し訳ない気もしたけれど、緊急時、背に腹は代えられず、
那岐は赤くなった鼻の頭をそっと押さえながら、千尋のほうへ寝返った。
心配しているのか、半分好奇心が混ざっているのか、
縁に腰掛けた千尋は、そういう表情で覗き込んでいた。
「那岐様はようやくお目覚めですか」
「……まぁね」
「目までまっかになっちゃったね。だいじょうぶ?」
「に見える?」
「とても見えない」
そう、大正解である。
確か、花見に行きたいと千尋は言っていた気がするが、
正しい答えが出たなら、良かった。
桜もそうだがスギやヒノキさえ立ち並ぶ里山にはとても出向く気にはならないことを、
その穏やかな表情で汲んでくれたのだろう。
那岐はひとつ、鼻をかむ。
「……助かった。ありがと」
洗って返す、と言いかけたのを、千尋が膝を打って遮った。
「じゃぁ出掛けよ!」
「―――はぁ? なんでそうなるんだよ」
「くしゃみ出るならハンカチ持ってってくれたらいいから」
「あのさ、そういう問題じゃ」
「あ、辛かったらずーっと黙っててもいいよ、私怒ったりしないし!」
こうと決めたときの千尋は、女の子とは思えない力を発揮する。
返事を待つまでもなく、那岐の腕を掴んで上半身を起こしてしまい、
いまにも寝台から下ろせそうな勢いだ。
「っ、千尋ってば」
「だって花粉症って風邪じゃないんでしょ、早く行こ!」
花粉症の苦しみは、花粉症の者としか共有できない。
こういう時、それがとても身に沁みる。
那岐は寝台の縁ギリギリのところで、下腹に力を入れて踏みとどまる。
「マジで外出たくないんだって」
「お外じゃないと見れないよ、満開なんだよ〜、今日を逃しちゃっていいのかなぁ?」
邪気のない笑顔は真っ直ぐに立つ。
そう言ったら那岐も心を動かして、この重い腰も上がるはず、
そう考えているのがよくわかる顔で、繋いだ手を軽く揺する。
それは、確かにとてもかわいかったのである。
「そんなにかまって欲しい?」
「かまってっていうか、ほら桜が」
「じゃ、かまってあげるから、中でできることしようよ」
「……ん?」
那岐は、千尋の腰へ、空いたほうの手を回した。
「え……っ、那岐なにす」
まずい、と言いたげに、明確に反対方向へ逃げようとする千尋だったが、
もともと手を繋いでいるのでは、そして那岐が一段強く握ってしまえば逃げ切れない。
ぐいと引き寄せてつんのめった身体と、距離は既にゼロになり、
那岐は衣装越しに、唇で胸の膨らみを探るように、やわらかいまるみに顔を埋める。
「なにするって、そんなのひとつしかないだろ」
「……うそ」
「今頃気付いても遅いよ」
ここ? と問いながら、衣が隠すいただきを甘噛む。
直接触れるよりは、鈍くゆっくりとした反応であっても、
繰り返しそうすれば、徐々に千尋の体重が、那岐にしっくりとかかってくる。
「……ぁ、っん」
してるうちに花見のことは、綺麗さっぱり忘れてくれるといい、
そういう目的があるのだから、その引き換えにすることは、
それなりにいいものにしなければならない。
というような義務感が、那岐の中に起こっていた。
王の裾は重く長い。
それを、意思を持った手のひらが割る。
吸い付くような素足は、那岐がさわさわと這わせ、上昇させる間に少しずつ熱をもって震えて、
指がそこへ届いたときには、下着がぬるつくほどに濡れていた。
「ん、これならはいる」
「……ねぇほんとにしちゃうの?」
千尋の意識はまだ外に向かっている。
青い目線の先は扉にある。
「千尋」
「……じかんが」
「いい加減僕に集中しなよ」
下着の隙間に指をいれた途端、きゅうと緊張した入り口へ、強引に進めて水音を立てる。
そのまま浅く遊ばせれば、なにかで塗ったようにして、千尋の頬が赤らんでくる。
「あぁ…んっ、や、やだ……」
「どうする? 立ったままいれる?」
潤み始めたばかりの瞳には、意地悪な言い方だったかもしれない。
けれども、那岐としては、
選択肢はどっちかしかないということを、わからせなければいけないから、
そういう言い方しかできない。
「……ベッドがいい」
「うん。僕もそう思う」
千尋は、諦めたのだろうか。
ホゥと、少しだけ耳につく溜め息を残して、後ろ手に吊り布を引いた。
寝台に散らかった色とりどりの衣が、ひとつ、ひとつ、
白い手で引かれて片付いていく。
白い手、と表現したが、必ずしも女の手であるとは限らない。
那岐の手だって、千尋に負けず劣らず(あるいは勝るかもしれない)白いのである。
「千尋、それとって」
「……それってどれ」
「首に掛けるやつ」
勾玉の首飾りのことであるが、
それは千尋の方が取りやすいところに転がっていたのである。
「自分でとったらいいと思う」
「……あっそ」
しかたなく、那岐は渋い顔で腕をうんと伸ばしたのだったが、
寝台は頼りなく沈むから身体のバランスがぶれてしまい、
掴んだ拍子に上半身が触れあったのを、千尋は身を固くしてやや退いた。
どちらにとっても、あまり愉快とは言えないシーンである。
そのようなやりとりのあとで、最後まで残っていたのはあかい帯で、
千尋はそれを取り上げて自分の腰に結うたのだったが、
その手つきの端々からも窺えるように、
表情もまた冴えない。
「……いつまでむくれてんの」
「だって」
膨れた頬を一瞥し、那岐は短く息を吐く。
千尋よりも身につけるものが少ないのもあるが、
先に着替えて涼しい顔をしているのが、千尋から見れば気にくわないのかもしれない。
客観的に見ればそのような一場面ではある。
だが、奇しくも先に掛布を出て、早く着ちゃおうと言ったのは千尋のほうで、
那岐としてはもう少し「そのごのまどろみ」みたいなものを楽しんでいたかったというのが
まぎれもない事実なのである。
だから苦言も出る。
「ちゃんとかまったじゃないか」
「かまって欲しかったんじゃないもん」
「………」
そうである。
千尋はかまって欲しかったのではなく、一緒に桜を見たいと言っていたのだ。
那岐だって忘れたわけではなかったが、一応代わりの楽しみを提供したあとで、
千尋がまだ花見にこだわっているのが切ない。
「那岐のばか」
「……は? なんでバカ?」
「こんなことしてるからもう午後の勉強始まっちゃうじゃない!」
キュ、と結び目を固くして、千尋は那岐をきつく見据えた。
ついのいままで、那岐に組み敷かれて艶やかな声を聞かせていた同じ子だとは思えない。
寝台には、まだその雰囲気が残っているというのに。
「こっちは花粉症でしんどいの堪えてかまったっていうのにどんな言い草? 僕の気も知らないで―――
―――っくしゅ!」
花粉がまた、舞ったようだ。
している間は意識が違うところに飛んでいたのか、しばらく忘れていたくしゃみだった。
「だからってこういうことでケリつけようとかなにそれ!」
「それなりに楽しんだくせにさ」
「たのしんでない!」
「ちょ…ッ、なんだよちょっとくらいよかっただろ!」
「よ、よくなんかなかったもん!」
「な……!」
物事は、いやな偶然を磁石のように吸い寄せていた。
例えば、着替える前にもう少し、素直になるための時間が取れていたならば
衣装に付着していたのだろう花粉は、舞わずに静かに留まったかもしれず。
例えば、千尋が「それなりに楽しみました」とでも、ウソでも言ってくれたならば
「仕方ないね」と那岐は、ハンカチを片手に、もう一つの手には千尋を引いて、
山桜の一つや二つ、見たっていい気にだってなったかもしれず。
王と親王の職制をかたったなら、午後の勉強など容易にキャンセルできたかもしれず。
けれどもこれでは、
いよいよ連れて行く気がなくなるというものである。
お手上げだと思った。
「……わざわざ僕じゃなくたっていいだろ」
「え……」
「風早でも葛城将軍でも、面倒見いいのがいるんだし、行ける奴に連れてってもらえばいいじゃないか!」
「……そんな」
少し語調を強くしすぎた自覚はあった。
千尋の表情が曇ったのも、見えてないわけではない。
しかし言葉を緩くすることができない。むずむずと不快な気持ちが止まらない。
「だって私は那岐と」
「だから僕は行けないの、行きたくない」
「なっ、なんで! 満開は一年に一回なんだよ、なんでそんなにかたくなに!」
「そうでっかい声出さないでよ、頭に響く」
那岐は語尾を勢いにして、振り切るように顔を背けた。
それは半分故意で、すれば傷つけることをわかっていてしたことだ。
気まずい沈黙がいくつも流れた。
「……僕だって、なんでもできるわけじゃないんだ」
言って、千尋のくれたハンカチを、手の中で固く固く握った。
どんな顔で受け止めたか、気にならないわけではないけれど、俯いた顔を上げられない。
「花粉症なんかきらい」
その声は、幸い泣いてはいなかった。
が、込み上げているらしい感情は、それを糸口にしてほつれて、
千尋の口から正直に、次々と矢を継ぐようにして出た。
「しんどいのはわかるけど、春がくるたびそんなんじゃ、ずっとずっと一緒に見れないじゃない!」
「……仕方ないだろ」
「二日酔いには迎え酒が効くから、花粉症には花粉で対してはいかがでしょうって聞いたから
ここはひとつ荒治療してあげようと思ったのに!」
「は? 誰が言ったのそんなの」
「柊」
「……アイツ」
思わず目を合わせてしまったではないか。
柊のことだ、面白半分で言ったのに違いなく、
口端をやや吊り上げた、楽し気な顔が目に浮かぶようだ。
悪気はないのだろうが、ひとの彼女に余計なことを吹き込まないでいただきたい。
「鬼道使いのくせにそんなちっちゃい粉に負けちゃうなんて!」
「っ、そこ鬼道関係ないだろ!」
「折角きれいに咲いてるんだから立ち向かっていったらいいのに! いくじなし!」
「な、なんだって?!」
ちゃんと聞こえていたのに、聞き返したから2回も聞くハメになる。
千尋は深く息を吸い、改めて「いくじなし!」を明確に那岐に投げ、
寝台を滑るようにして降りると、大きな歩幅で部屋を出て行く。
「ちょ、待てって千尋…!」
膝立ちになった目線の先には、開け放した扉と、
次の間につかつかと立つ靴音と
みるみる空気を切って進む、伸ばしかけの金の髪。
「へ、陛下、どうかなさいましたか」
「来なきゃ良かった!」
「ですからご機嫌がお悪いとあれほど…ああお待ちを、陛下っ……!」
親王付きの釆女たちが、こぞり王を追い、ぞろぞろと長い裾を翻す。
間もなくこの部屋は、静けさに沈むだろう。
騒動が散らかし尽くした花粉まで、一緒に沈むといい。
「いくじなし、か」
ぺたんと腰を落とし、長くなって寝台に包まれても、
何故か、眠気が引いてゆく。
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