こんなにも、好きな子を
全部で受け止めるためのツールとして


しがない二本の腕と、ちょっとぺらい胸しかないなんて
これが僕の、精一杯だなんて
一人の女の子を好きになった男として、ほんとにこんなでいいのかって
勝手に抱きしめといて何だけど、ほんとに申し訳ないって思うんだ。


「千尋」
「……那岐ぃ、苦しいよ。」
「ごめん。」


それでも、苦しいって言ってくれる君は
やっぱり、とても、優しいんだ。



秋の手紙





秋も終わりの海風は、少し痛いくらいに冷たいのに
この腕に巻かれた背中は、まるで柔らかくしんなりと反っている。
あおい、短い裾を翻しながら
千尋は、僕の頬を、その手のひらに包んだ。


堪らなくて、目尻にひとつ、零したものを
君のちっさい、やらかい指の腹で拭われてしまう事の情けなさを
気付かないふりで受け止めた。

「ふふ、そんな泣かなくても。」
「だって千尋。」

僕は、本当は少しだけ、挫けかけていたんだ。
この、風伝の砂浜を、何度歩いたって、帰り道はやっぱり一人で
向けるべき憤りを、受け止めるものは、どれもすごく大きなちからで


例えば、それは空で
既に消滅してしまった禍日神で
僕がなんとか立って、踏みしめている地面とは、少しも繋がらないところで


そんなちからに向かって
この細い声で、何度、涸れるくらいに



ただ君を、返してって
僕の手に、返してって



それ以外に一つとして、出来る事なんかなかったよ。


一番なくしたくないものを、間抜けにもするり、盗まれて
それは僕の負い目だったから
返してもらえるはずなんか、ないなって


初めから、探す資格なんかないのかもって
ほんと、もう少しで挫けるとこだったんだ。

「探してくれたんだ?」
「……ったり前だろ、あんな風にいなくなってさ。」
「うん、ごめんね。」

謝るべきはきっと僕で、


でもそれを、素直に一番に言えないから
この、しがない腕と胸で、出来るだけの力で抱きしめて
君からの苦言を待った。
空気に阻まれない距離でもって、痛いよ、とか、離してよ、とか、言ってくれれば
それにかこつけて、小さな声でも届くから。

「那岐……、もぅ、息出来ない。」
「ごめん。」

そういうふうに謝っても、腕を緩める気になるまでには長くかかって
やっと千尋を解放した時には
夕焼けが終わっていて。


僕らは、頼りなげな砂を踏みながら、ゆっくりゆっくり歩いた。
てんてんと、二人で作った足跡が、後ろにひとつ、またひとつ、
増えていって、長くなっていった。
大きな波が来たりして、ひとのみにされてしまったら、少しやだな、とか思いながら
あんなに抱きしめたくせに、手の一つも繋げなくなってしまった僕を

「そういうところが那岐なんだよね。」

と、千尋はひとしきり笑った。

「千尋こそ、減らず口くらい治して来たかと思ったけど?」
「もう!そんな暇はなかったの!」
「怒るなよ。別に、嫌いって言ってないだろ?」
「………そ、そう。」

くる、と顔を背けて、千尋は突然大人しくなってしまう。
こういうふうに、泣いたと思ったら笑ってたり
その逆だったり
ふと擦り寄って来たり、返事さえしないほど、僕以外の何かに夢中のときがあったり


千尋は僕を、ずっと。
そう、とても巧みに、操縦して来たと思うんだ。
飽きる暇がなかった僕は、初めて千尋に会ったときから
今の今まで休みなく、千尋の事が好きだった。


好きだ、と、言った事なんかなかったけど
ていうか伝えようなんて選択肢がなかったけど


千尋以外の誰かを、こんなふうに可愛いと、思った事がないし。

(この先もずっと、思いたくないし。)

黙ったままの千尋の横顔を、ちらりと窺ってみたら
砂を踏む爪先辺りに目を落として、難しい顔で、狭い眉間に幾つも皺を寄せていた。
こういうのは、何を話そうって、しきりに悩んでるときの千尋だ。

「読んだよ?」

助け舟って訳でもないけど、少し離れてた間の僕らの、共通の話題っていうのは
今のところそれしかなくて
僕は敢えて切り出した。

「え!なんで!」
「何でって、普通、手紙貰ったら読むだろ。第一、千尋が読めって言ったんじゃないか。」
「………そうだけど。」

暗がりだからよく解らないけれど、多分耳まで赤くなってるんだろうと思う。
ポケットからそれを取り出して目の前に広げたら、
丸い目をもっともっと丸くして、僕の手のひらごと握り込んで見えなくした。

「あのさぁ、一応大事にしてたんだけど、破りたい?」
「や、えっとどっちなんだろ。わかんない。」
「何書いたか忘れた?なんなら読んであげようか。」
「だ、ダメ、絶対ダメ!」

ぎゅう、と千尋は、指先に力を入れた。
それくらいの力を、振りほどけない訳じゃないけれど、
それに、なんて書いてあるかなんて、僕としてはもう、見なくたってソラでいえる。
汗をいっぱい握ってしまった千尋の手のひらを感じながら
僕は、唇を一つ、近づけた。


不覚にもキスしたくなったのを、最大限で我慢して、
書き出しの言葉を言ってやる。


「次のクリスマスまでに、っていう約束だったから―――――」
「もぉぉ、だめだったらぁ!」
「一年かかって考えました。」
「んんんー!ストップ!お願いだから!」
「今年は、二人で―――――」
「もぉっ、やっ!」

きり、と睨まれた瞬間、手の甲に、ひんやりとした海風が滑った。
千尋の手のひらは、僕の手から離れて、代わりに口許がしっかり押さえられていた。

「それ以上言っちゃいや。」

と、言われても、返事が出来ないんじゃどうしようもない僕だ。

「私の言葉なんだから、私が言う。」
「―――――。」
「那岐の声で聞きたいのはね、手紙じゃなくて答えなの。」

ぽかん、としてしまった。
確かに、とも思った。
すぅ、と力が抜けていく僕のことを、感じたのか
それとも偶然そうなってしまっただけなのか
千尋は、僕の唇を、するり、解放した。



だから、できるよ。



「答えは、言葉じゃなくていい?」
「ん?」

背を一つ低くして、自由になった唇の、高さを千尋に合わせた。

「わかんないなら、するよ。」
「え、那岐―――――」

そうやって、『?』って顔をしてるといいよ。
そんでもって、そのやらかい唇を、僕に預けてしまうといいよ。
言葉なんて、全部、飲み込んでしまえばいいよ。



そうして、僕らは、生涯二度目のキスをした。



真っ暗な中で、前と同じ、またもよく、顔が見えない。
ただ、千尋の温度だけ、千尋の緩い息だけが
僕の中にしみ込んでくる。


でも、またおんなじか、って思われるの癪だから
少しだけ深く、した。
つるつるの細胞の表面を、舌の先で濡らして
僅かに引っ張るようにしたら、小さな声が上がった。

「ん……っ」
「……なに、いい?」
「ん。」

キスの途中で喋るとか、結構なんだかとても、いい感じで
ここまででやめるのが、悔しくなるじゃないか。


だから、あの手紙で、君が言ってくれた事
真に受けていい?
本当に、僕のものにしても?


「当日になってやだとか言っても、聞かないよ。」
「そんなの言わない。」

ちゃんと読まなかったの?って、あからさまにやな顔をして、
千尋は唇を離した。
僕はそれを追い掛けて、若干無理矢理なキスをして、それからきゅうと抱きしめた。

「読んだって。」
「………じゃぁ、那岐は?」
「だから、それを今したんじゃないか。」
「でも……」

喉の辺りから、少しくぐもった苦言。
千尋が僕に、何を期待しているか、嫌というほどわかるけど
ほら、結局僕っていうのは


ごめん、って一言言うのだって
正面切って言えないじゃないか。


そういうの、知ってるはずなのに
君は、そうやって、難しい事言うんだ。



例えば、あのとき。
黒い太陽が、君を飲み込もうとする瞬間に、僕に言った難しい事。

『那岐だけでも、生きて』

とか

その時の君が、手を伸ばして、
普通そういう時、伸ばされた方としてはその手を、引きたくなるんだけど
難しい事に、君はその、指の先で


一枚の、綺麗な正方形に折り畳んだ手紙をもってた。


『ぜったい読んでね!』
『っていまそれどころじゃないだろ!』

手紙ごと引き寄せようと思ったのに、もう一つ、難しい言葉が返って来た。

『恥ずかしいから、私のいないとこで読んで。』

その時の、ゆるりとした言葉の速度。
お願い、って最後に付け足した、甘えたみたいな声も


思わず、聞き入ってしまった僕がいた。


その間に、千尋の華奢な身体は、地続きではないところへ、半分呑み込まれてしまい
キュ、と締まった綺麗な足首も、
こっそり自慢にしている、ちゃんと括れた腰も
全部、力ずくで引こうと思えば、引けたんじゃなかっただろうか。


それなのに、君に巧く操縦されるしかない僕が
やっと、この手に掴んだものは、
綺麗なあおい、手紙が一枚だけだった。


『バカ。ほんと、お前バカだ。』


ヒコーキ雲が、消えた先を、恨めしく思うのに似た気持ちで
僕は、そう悪態をついて俯いた。
そして、ひとりになったので、言われた通りに手紙を開いて読んだ。




次のクリスマスまでにっていう約束だったから
一年かかってかんがえました。
今年は、二人でクリスマスをして


それから


私が一番欲しいものを、ください。


そしたら、私も、那岐が一番欲しいものを、あげようとおもいます。
それは、王位じゃないよね。
王位でいいなら、このまま返してもらわなければすむ話なんだけど。


でも、それじゃあ
私が一番欲しいものが、貰えないので



『王位』と言われたら断わろうとおもいます。



いつか、また、この場所で
那岐と巡り会えたなら



そのときに、答えを聞かせて欲しいです。



これを、わたさなくて、すむように
でも、わたさずに、離れ離れにはなりたくないので
一応、あしたは、これをもって、海に行きます。


また、あした!
日記みたいな手紙でごめんなさい。


でもって、もしもの場合に備えて、一つだけ。
どうしても、知ってて欲しい事、言っておきます。



わたしは、ずっと、那岐が大好きでした。






そんな文章を、一人で読ませるなんて本当に
君は女王としての、資質が十分。
ほんとに、僕よりずっと、肝が座ってるんだ。
好きな子に、好きと言われて、半分大人の男が、ひとりで泣くしかないとかさ
ねぇ、ほんとに何考えてるのって、その顔見て言いたかったよ。



でも、「好き」と、
ただその、一つだけの言葉で
殆ど挫けそうになりながらも、どうにかこの海に来ることだけは
やめないでいられた。


たったひとつ、千尋が、僕のことを「好き」なんだと
それだけのことで、
ギリギリだけど僕は、少なくとも壊れずにいられるくらいには



強く、なれたのかもって



今、確かにそう思えるんだ。
だから、こうやって、あったかい君を、抱きしめてられるんだって。


「好きに決まってるだろ。」


抱きしめた耳の、とんがったところにむかって
僕は、僕の出せる精一杯の、優しい声をつかった。


「いつから?」
「ずっとだよ。」
「ずっとって?」
「千尋が僕を知ってるときから、ってこと。」
「あぁ!―――――え?」
「なんだよ。ほんとだって。」


今日は、一体何月何日なんだろうか。
クリスマスは二人で、って、いうけどさ。
クリスマスも何も、まずキリストとか生まれてるのかって、
誰かに聞いたらわかるのかな。


確かなことは
いま、ここで、僕らはもう一度巡り会うことができて
君が僕のことを好きで、僕が君のことを好きだという



たったそれだけのことだ。



そうだね、だから今年は
朝、窓を開けたとき、白い息がのぼったら



それから初めて雪が降った日に



僕の一番欲しかったものを、強請ることにしていい?



できれば、あんまり待たされないことを期待しつつ
意を決して千尋の手を繋いで、帰り道にむかって、砂を踏む。


「帰るよ。」
「――――っ。」
「どうしたの。」
「だって、手。」
「………寒いんだよ。」



寒がりの僕は、雪を乞う。






■次話へ





クリスマスに向けて、三部作とか始めてみましたが……汗
どどどうしよう、オン那千ではあんまり長い話とか書いた事ないんで、ちゃんとあいつら(那岐千)になってくれるのか………
甚だ自信ナシであります。最初にあやまっておこ    ぅ。
や、嘘です頑張りますっっ!気持ちだけはっ(逃げた 笑)

現代でのクリスマスにしようかなぁと思ってたんですけれども、
那岐エンディング後の豊葦原で迎えるクリスマスっていうのは必ずくるはずなので、
取りあえず今年は、ルート意識的なものを書いてみたいと思っています。
12月24日に、最終話がアップできる事だけ考えて一ヶ月過ごそう、うんそうしようわーい(こんな社会人になってはいけません)

あと二話、おつきあい頂けたら嬉しく思います!!


2008.11.30 ロココ千代田 拝