【灯籠と金魚/桜智×ゆき:サンプル1】
「つきあっておあげなさい」
と宰相が言うので、神子に伴って市井に出た福地である。
ひねもす朱雀だ白虎だと、そんな話ばかりでは息が詰まるのでは、と、
どこかで美味しいものを食べさせて、綺麗なおもちゃでも買っておあげなさい、と、
これは言わば公務だった。
宰相の見解には福地も大賛成だが、神子と言えば福地にとって憧れの存在。
三歩ほど前を行くゆきの後ろ姿を見ているだけで、心の臓がノドから顔を出しそうだ。
これではつきあっているというよりつきまとっていると言った方が近い気がするが、
どうにもままならない心拍がある。
本当にどぎまぎしていた。
命令が下った瞬間、右手から筆を落として畳を少々汚したくらいだ。
いつものように瞬や都や、チナミといったか天狗党の頭領の弟、
それらが取り巻いているのでなく、
正真正銘二人だけの、傍から見れば逢い引きもかくや。
(逢い引き……なんてっ……!)
我ながら何ということを思ったのだろう、
福地は更に心拍を早め、足元がややぐらついた。
高瀬川沿いの石畳は凹凸が不揃いで、普通に歩いてもつまづくことがあると聞く。
いわんや、ゆきに見蕩れて千鳥足の福地をや。
「あ…っ、」
「えっ」
と振り向いたゆきの薄い双肩に、がばと抱きついた形になった。
ゆきちゃん、よけてと言おうと思ったのだが間に合わなかったのだ。
「ご、ごめ……!」
決して太ってはいないけれど男だ。
それが不意に転びそうになったのを受け止めたわけだから、
ゆきの細い身体はいっぺんに均衡を失って、固い石畳に尻餅をついてしまった。
「い、いえ……」
と言って見上げる顔は、しかし眉間に皺を寄せていた。
ひとりで転んだのならまだしも、福地のぶんの体重が乗っている。
腰を打ったりしていたら相当痛いはずだ、それなら早く抱き上げて町医者に――
――というか、この顔の近さ。
これではまるで押し倒したみたいではないか。
そう言えば周りがざわついている。
通りすがりにヒュゥ、と吹かれる高い口笛なんかも去来している。
自分は構わない、けれど彼女は嫁入り前の、しかも神々しい龍神の神子だ。
その神聖な身体が白昼堂々、どこぞの馬の骨に押し倒されているなんて、
こんな光景を衆目に晒して良いものか、いやない。
なんとかして、できるだけ早くこの場を切り抜けないと、
そう強く念じた気持ちが、福地に「その力」を使わせた。
咄嗟の判断だったろう。自らに宿る鬼の本能がゆきを抱いて、
彼女ごと空間を移動した。一瞬のことであった。
「あれ……?」
何事もなかったかのように歩いている自分に気がついたのか、
ゆきはハタと立ち止まり、目をきょろきょろとさせて周囲を見回した。
「えっと……確か、高瀬川を」
怪訝そうにゆきの見やるのは鴨川だった。
高瀬川から通りをふたつみっつ挟んでいる、京のうちでは大きいほうにはいる川で、
このように橋の上から見渡せば視界がぐんと開ける。
高瀬川はそれよりはずいぶんと小川で、
本来物流のために、住宅地の中に人工的に切り開いた運河であるから、
鴨川とは景色が全く違うのである。
「……ゴメン。どこか、痛くはないかい? この先にお医者さんが」
「あっ、それは大丈夫です。転ぶ直前に、桜智さんがぎゅってしてくれたから」
「っ……ぎゅ……って……?」
そうだったろうか、よく覚えていない。福地は自分の両腕を見る。
抱いたのだろう感触は少しも残っていないから、よほど動転していたらしいが、
肘のところが擦り剥けて、薄く血が滲んでいた。
その赤を見てハッとする。
「ゆきちゃん、本当に、怪我は……!」
思わずゆきの腕を掴んだ。
鬼の傷が神子にうつっていないか、確かめようと思ったのである。
この世には、そういう伝説がある。
幸い、ゆきの腕は無傷で、柔らかく白い。
「桜智さん?」
「あ……うん。高瀬川を歩いていたのだったね」
ゆっくりと腕を解放した。
「でも……これは鴨川……ですよね、確か」
「………」
何と説明したらいいのだろう、と福地はあぐねて閉口した。
ゆきは橋に身体を持たせかけて、音もなく流れる水面を見つめている。
笑えばあんなに明るいゆきの、難しい顔を見ているのが辛い。
正体を明らかにするのが筋だろうが、そうして彼女に嫌われるのも少し怖い。
かと言って、嘘をつくのも苦しいのだし。
「……ゆきちゃん」
話す言葉が決まらないまま、福地は沈んだ顔で呼びかけたが、
当然あとが続かない。
ゆきはそんな福地をしばらく見上げていたが、やがて閃いたように手を打った。
「もしかしたら、そんなに驚くことでもないのかも」
「え」
「だって、怨霊がいるんだもん。私が戦えてることがまず不思議ですし、
ちょっとテレポートするくらい普通に起こりうるかなって」
「――キミは……」
「……可笑しいですか?」
福地は大きく首を横に振った。そうすると、ゆきがぱっと笑む。
とても嬉しかった。
ゆきが笑んだことも、空間移動の力を「普通」と言ってくれることも。
無論、福地の仕業だとまで理解しているはずもないが、それでも。
ノドに引っかかっていた大きな秘密が、図らずも曝け出たせいだろうか、
福地の気持ちはいつになく軽くなっていた。
三歩下がってではなく、いつしか隣を歩いていた。
それに、福地にしては饒舌に話した。
鴨川を渡って、祇園社へ向かう大きな通りは、
両側に店が立ち並ぶ賑やかな界隈だ。
飴を売る店、冷たく冷やした水を売る店に、
あとは歓楽街だけあって、由緒正しい呉服屋に舞子たちが集うのが見えたり、
絢爛な簪や櫛をところ狭しと並べた店もある。
◇
【サンプル2】
いらぬことを考えないようにしようと思うから、
ただ真っ直ぐ仰向けに目をみひらき、天井の模様を端から順に数えたりしているのだが、
ゆきがこちらを向いて話すのがつらい。
さっきから吐息が耳にかかって、とても冷静ではいられない。
思考を占領していた沈痛な気分が、このときばかりは吹き飛んでしまって、
大きな枕に頭を並べているだけでも、
どんな顔をしていればいいのかわからないほど緊張していた。
「寒くないですか? ヒーターとかいまつかなくて」
まるで棒の福地に、ゆきがごそ、と身を寄せた。
「だ……大丈夫――っ、あぁッ!」
「え?」
「ご、ごめん、いま、足が……当たって」
ふくらはぎにゆきの素足の爪先が触れて、福地は反射的に足をずらした。
限界の心地を知ってか知らずか、ゆきは案外悪戯であった。
せっかく引っ込めた足を追いかけて、つついては遊ぶようにする。
「ゆき、ちゃん……! そっ、それは、ちょっと…!」
「ふふ、桜智さん可愛い」
「か……かわいい?」
「はい」
どのへんが可愛いのだろう、
全くわからないが、愛らしいといえばゆきのほうだ。
無邪気というか、いや、無垢ゆえの残酷かもしれないが。
「それに、そんな格好じゃ苦しくないですか?」
夜着の用意はないから、跳ばされたままの装いだった。
上下とも身にぴたりと沿う細身の洋装で寝るとなると、
和服に慣れている福地には確かに少し窮屈だ。
特にそれ、と、ゆきは福地の首のスカーフに手を掛けた。
ひとつ大きく胸が鳴り、ごくりと唾を飲む。ここは断わるべきだ。
若しくは自分でできると言うべきところだが、
「そ、そうだね、少し」
なんて言ったから、ほどかれてしまう。
「こっち向いてください。それじゃやりにくいから」
「……っ、あ、あの……!」
肩をぎゅっと持たれて、しっかりと向き合わされた。
さすがは戦う神子である。力はそれなりにあるのらしい。
「あと、ちょっとだけ上向いて」
言われるままに喉を反らせると、
皮膚の薄い首筋を、すべすべとする指先がかすめていくのが、
本当にくすぐったい気持ちにさせる。
愛しく想うひとに直接肌に触れられた、福地桜智産まれて二十二年目にして初めての、
これは事件だ。
「はい、これでいいです」
間近で笑う、言い様のない愛しさだ。
渡されたスカーフをぎゅっと握った。
いま腕を回したら、間違いなく胸に抱ける。
しなやかに体重を乗せて、押しつぶすようにできる。
それをどんな思いで堪えたか知れない。
翻るように寝返って、脇の棚へスカーフを安置した手が震えていた。
色づきそうな指先を、真上で灯るランプがしみじみと照らす。
消そうかと、先程ゆきが提案して、それだけはと福地が固辞した経緯がある。
暗くしてしまったら何をするか、自分でも保証できないと思ったから。だから灯りがついている。
それなのに、いままさに膨らみ始めている気持ちはなんだろう。
小さな火が僅かに揺らめいて、手の甲に陰影を作っている。
あおく浮き上がる筋が、心拍の通りにぴくぴくと脈打つようだ。
この胸の高鳴りをどうすれば。
鼻先が埋まるほどに枕に深く横顔を沈め、福地の出した答えは深呼吸だった。
腹の底まで、新鮮な空気と入れ替えねばならない。
そう思い、ゆっくりと、繰り返し繰り返し呼吸する。
ゆきが背から手を回して来たのは、そんな中のことだった。
福地はまたもビクと首を竦め、いよいよゆきを制止せねばならないかと心を鬼にしかけた。
――けれど。
ゆきの様子は、それまでのように悪戯なものではなかった。
福地の、固く張り出した肩甲骨の間あたりへ、
ひどく静かに額が当てられるのを感じた。
それは、いつかの夏の夕暮れを思い出させた。
あのときも、こんなふうに。少し淋しげに、腕を絡めたゆきだった。
「ごめんなさい。ふざけて。怒ってる?」
「怒ってなど……。どうして?」
そのように見えたのだろうか。
背を向けたことが、ゆきにはそう映ったのだろうか。
あと何がある、そうだ深呼吸したことが、
苛立った溜め息に聞こえたのだろうか――そうして傷つけたのだろうか。
◇
【サンプル3:R15】(※本はR18です)
気持ちが急いて、布団を敷く余裕がなかったのもある。
だがそれよりも、そんなことをしている間に、ゆきが更に正気を取り戻して、
やっぱりやめると言い出してしまったら、そう思うと、妙な空白は作りたくなかった。
月はもう彼女の瞳には映らず、
一枚の紙にぼんやりと透けているだけ。
まやかすための魔力を借りるには、少し弱々しいのだろうから。
だから、代わりに着衣を敷いた。
間髪を入れず、甘く甘く両腕でゆきを囲いこんで、
その目を翳らせるしどけない闇を継続させたい。
口付けながら、ゆきの髪を手指に絡める。結わえた飾りを手探りに外した。
見慣れた衣を皺の海にしながら、
その上で愛しくてたまらないひとが我が手に組み敷かれていくことは、
言い尽くせない感慨だった。
首筋に唇を宛てる。
かけた力のぶんだけ柔らかく沈み、その感触だけでたまらない官能を呼ぶ。
緩く吸い上げると、ゆきは短い嬌声を上げた。
可愛い、と福地は思わず口に出していた。口にせずにはいられない。
そんな声がこの部屋に響いたのは初めてのことで、それが他でもないゆきの声だ。
喉元で話すとくすぐったいのらしく、ゆきはしきりに逃れようとするが、
福地はそれを追い掛けては甘噛みする。
「っん……!」
「もっと、聞かせて」
「や……だめ、です」
「どうして? 私は聞きたいな」
言うのに、ゆきはいやいやと首を振る。
「声を出すのがいやなら、私が無理に出させたと言ってもいい」
流石に口には出さなかったが、そんなふうに思い、
福地は先ほどよりも少し強めに吸いついて、
ひくひくと打つゆきの脈の上に、点々とあかい痕をつけていく。
「あっ…ん……あぁっ」
「そう、上手だね。我慢しないで。私しか聞いてはいないから」
「……それが恥ずかしいって言ってるのに」
そうは言いながらも、上げる声は途切れない。
首筋から鎖骨へと福地が唇を下降させるに連れて、
短く、つつましい喘ぎ声が少しずつ切迫していく。
感じ易いのか、ゆきの上半身は福地の胸の下でしきりに跳ねる。
緊張して見えた口許も、だいぶ緩んだらしく艶やかに震えている。
夜着の胸元がほんのりと色付いていて、
福地は誘われるように合わせめから手を入れた。
手の甲で隙間を広げてくつろげながら、
潜り込ませた手のひらはすぐに柔らかなまるみに届いた。
「や、やめ……桜智さんっ」
ビクと波打った身体と、泣きそうな顔を見せられて、少し迷いが出た。
まさぐろうとしたのをぴたと止めて、
福地は顔を上げて、ゆきを直上から見つめる。
ゆきからはどんな表情に見えているのだろうか。
「……私が怖い、かい?」
「……恥ずかしい」
なんて初心なんだろう。そして、その返答に赤くなった自分もまた。
ゆきを涙目にするほど恥ずかしいことを、
今から自分はしようとしているのだと、今更ながらに自覚する。
「私しかいないから。誰も見ていないから」
気休めにもならないだろうと、幾らもわかっていながら言った、
それは福地の懇願だ。
「ねぇ、ゆきちゃん」
と、額へ頬へ、何度も落とした口付けは、その度に物欲しそうに熱くなる。
ゆきはきゅうと目を閉じて身を固くしていたが、
やがて観念したようにゆっくり頷いた。根負けだろう。
そうして漸くに包むことができたゆきの胸は、思っていたより大きかった。
別に始終想像していた訳ではないが、着衣した様子を思い返すに華奢な印象だから、
手のひらに意外なほどの弾力を感じて身体が反応した。
福地は明らかに逸り、夜着を帯から引き出してぐいと左右に開いた。
「あっ…そんなの……!」
胸が零れるように露になって、ゆきが軽く抗議するが、福地は首を傾けるだけだ。
無論とぼけている。
両の手で寄せて、ふよふよとやわくまさぐっただけで、
ぴくと感じて力を抜くのだから、そこまで拒絶するわけでないはずだ。
「ん……ぁ、あ……」
揉みしだくと深く谷間ができて、上向きの形とあどけない乳首が似つかなくて誘われる。
聞こえよく言えば綺麗な身体で、
感じたままに言うなら、言葉は悪いかもしれないが、
年齢のわりにいい身体をしているのだった。
見ているだけで欲情し、福地はつい子どものように吸い付いてしまった。
「ぅん……!」
色素の薄い小さな乳首の、表面を濡らす程度に舐め上げる。
舌を輪郭に沿わせて何度か往復させたあとで、ぴちゃと音がするようにして口に含むと、
ゆきは鋭利に身を捩る。
舌の中で、粒がぷっくりと立ち上がって主張を始める。
「は…ぁ、ンぁっ、や……」
顔は見えない。が、すこぶる甘えた声が耳に心地良かった。
福地はそう攻撃的な性格でないし、むしろ大人しすぎるきらいがあるが、
このときばかりは流石に男としての征服欲が疼いていた。
目をチラと上げて伺うと、少しひらいた唇が小さく震えて、決していやがるようでない。
快感を覚え始めているのだろうか、
福地の身体に敷かれた膝を、ゆきはむずかるように擦り合わせている。
「……うん? どうしたの?」
福地はやや身を離し、胸から片手を下降させて裾を割ると、
ゆきの膝頭をさわりと撫でた。
「あの……あのね」
「うん」
どこがどうなってそうするのか、福地には半ばわかっている。
だから焦らさずに楽にさせてやることもできないではない。
だが、胸だけであんなに恥じらうくらいだ。十中八九初めての性戯なのだろうから、
いきなりそこに触れてはきっと泣かせる。そう思う。
「あの…桜智さん」
呼ばれて、目を合わせて先を促す。
潤んだ瞳で、ゆきはごくりとひとつ唾を飲んだ。
「……濡れるの」
「――っ!?」
「桜智さんにさわられてたら、なんかじんじんして……零れるみたい」
少女の言葉は、福地の想定のすべてを裏切り、予想を遥かに超えていた。
少女とは思えぬほど、あまりに直接的であけすけな吐露だ。
――いや、反って少女だからこその物言いとも言えるのか。
こちらが舌を巻きたくなる無防備さは、確かに無垢の証かもしれない。
「桜智さん…?」
「っ、いや……そ、その、」
福地は、驚きのあまり止めてしまっていたのらしい手を、
膝からそぞろに上昇させていく。
太股の内側は肌理が細かく貼りつくようで、そしてしっとりと体温を上げていた。
「あ……ん、ダメまた……」
「そ、そう……濡れ、て……くすぐったいのはこの先かな」
「……ん」
こくんと素直に頷くのである。
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