◆Special Thanx for... しじま様


〜Special respect for 池田綾子
☆This story is written under the inspiration of 「君と在りし日々の歌」
☆龍馬ED後





− 宵凪酔唄 −





カラスが啼くなぁ
そろそろ風鈴も外さにゃならん


なんて、夢の遠くで思っている。
我ながら暢気なもんだ。
アタマはともかく身体のほうは、
完全にこっちの世界に順応していると見ていいんだろう。


てことはそろそろ夕刻なわけだが、
起きるか、どうするか、
俺というのはどうも、妙なところで優柔不断らしい。


それでも目を開けるしかなくなったのは、
寝返ろうとした身体が仰向けに戻されて、
細っこい指が腹や襟首んとこに触れて、
どうやら身ぐるみを剥がされつつあるらしいことがわかったからだ。
なにかが俺の下腹あたりを跨いで居座っている。


すわ刺客
なんて言わねぇ。
この悪戯な指の持ち主はお嬢。


明確な触れ方じゃなく、
だからコソコソとくすぐったくておちおち寝てもいられない。
まぁ刺客か、そういう意味じゃ。


不器用な手つきに吹き出しそうになるのを堪えながら、
はらりと胸の合わせを開く刺客の手首を突如に握ってやった。


「……っ!」


かっきりと目を開いた俺を、
刺客は驚きに見開いた目で見つめた。まずい、とか思ってそうな顔だ。
軽装も軽装、いつか風呂上がりにえらい形相で襖を開けた時のアレに似ている。
男を襲うときには、もっと重装備で来るのが正しい。
簾を透過する夕陽の縞が、まるい肩でちらちらと暖色の陰を作っていた。


「ん?」
「あ、あの……!」


握った手首は勿論両方で、逃がす気も勿論ない。
女にはやや強い圧迫だろうが、少しの間だけ。そのつもりだ。
そのままずるずると引っ張り上げると、
お嬢は俺の身体の上で軽く滑って平らになった。


ぱふ、と落ちてきた腰を抱く。
折れそうに薄いのに、
寝台はギシと軋んだ音を立てる。


「坂本龍馬の寝込みは美味いか」
「は、はい!」


近いちかい唇は咄嗟にそんな答えをした。
まっ赤な顔して、しかも真顔で、恐らく聞かれた意味をわかってない。


「そりゃ罪だなぁ、お嬢」


と、小さく唇を塞いだ。
黄色いトリのように応じるのが、
無邪気というか、なんというか、やはり罪だ。


「……起きちゃったんですか」
「まァ、普通は起きるわなァ、ンなとこゴソゴソやられた日にゃ」


と、はだけられた自分の胸元を見る。
俺は家では作務衣を着ている。
特段理由があるってワケでもないが、
こっちの洋服より風通しがいい。手足が抵抗なく自由に動くのもいい。


結い紐は元々とッ散らかしていたから、
お嬢が剥がしたのかどうか本当のところはわからない。
寝ている間にはだけたという線も考えられなくはない、だが俺はそう寝相の悪いほうじゃない。
それに、腹んとこにも胸んとこにも、お嬢の指がくすぐった感触が残っている。


「で、でも! ……さ、さわってないです、直接は」
「むー、そこが残念でなぁ。もうしばらく寝たふりをしておくべきだったか」
「……ふりだったんですか」


いけねぇ。お嬢と話しているとどうも笑いが漏れる。
10ほども年が離れていることも関係しているんだろうが、驚くほど純粋だ。
そして素直だ。


俺はお嬢の前髪に手のひらを梳き入れた。
いまは髪飾りを外しているから、毛先のほうまでつるりと流すことができた。


「やらけー髪な」
「くすぐったいです」


僅かに身を竦めて、お嬢が漸く口許を綻ばせたのを見た。
きょうは俺の仕事が休みで、お嬢も休みで、
部屋を訪ねて来たお嬢と昼間は出掛けて、戻って来て。


それからは寝台にいることになる。
隣でよく寝入っていたはずのお嬢だが、先に起きたにしても、
こんなふうにじゃれついてくることはそう起こることじゃない。
いや、ささやかなじゃれつき方でしかないが、
お嬢のほうから俺に乗ってくるなんて。


「なんだ? また夢でも見たか?」


頭を撫でながら問うと、俯いて、
切り揃えた毛先が頬を撫でていく。
そして小さく「ハイ」と言う。


俺たちがまだ、江戸に在った頃の
なかでも悲しい、最も悲しい頃の


そうなのか、とまた問えば、
更に重くなる身体だ。


「……むぅ」


こりゃ難儀だ。
また目を合わせてもらえるまでに、
相当言葉を紡がにゃならん。
五体満足で生まれたはいいが、願わくばもう少し口さえ巧けりゃなぁ、と
そんなことを、お嬢の髪をくしゃくしゃとやりながら、辟易と思う。


「なぁお嬢、そろそろ信じてくれんかなぁ。この世界で俺が怖い目に遭うことはない」、
「家はボロだが、金に困っちゅうワケでなし、そんなにヘナヘナしてるとは思わんがなぁ」、
「飛行機っちゅーのにも乗らにゃならんし」、


自分で自分の無事を示すのに、
俺の選んだ言葉はどこか人任せだったかもしれない。
途中からそれに気がついてもいたんだが、
如何せん口が滑る。お嬢がだんまりなのはその所為だろう。


もっと、どう言うか、
俺がいるから大丈夫だみたいなことを
大丈夫だからついて来いみたいなことを



たった一人、愛した女の前でさえ
言えんものかこの口は



あるものは、残暑が凪ぐ夕闇の近づく音ばかり。
飲んでもいない、酔ってもいない、
それでも言いたいことが言えないなら、
俺というのは案外こういうとき、酒の勢いみたいなものがいる男なのかも知れない。


「そりゃ確かに、男前じゃあないかもしれんが」
「っ、そんなことないです! 龍馬さんは、その……男前、です」


堪りかねてお嬢のほうから顔を上げた。
へたれてみて、なるほど正解だったか。


「ん。なら、その男前を信じちゃくれんか。まぁ、先は長いがな」
「……はい」


それから、お嬢は身を起こして俺の合わせをきちんと閉じると、
もう一度「はい」ときっぱり言って笑んだ。
凛としていい表情だ。だが、唇が遠くなった。


「なんだ、そのままで良かったのに」
「……え」


お嬢が着直させたばかりの作務衣の襟を、
俺は自分の手でごそごそとやって開きながら、
上体をゆっくり起こしていく。
下腹を跨いでいたお嬢が均衡を失って、
それをいいことに逃れようとするのを、しっくりと引き寄せて向かい合わせた。


「龍馬さん……!」
「逃げようったって聞かないぜ。二度と離さないって言っただろ」
「……それは、それはこういうこととはちょっと…」
「ってあー……なんだ。言いたいのはだからその、もちっとここで、
 ゆっくりしてかねーかみたいなことをだ」


言葉に窮して開き直った俺だ。
言葉がヘタなら身体がある。


言って、ぎゅ、と抱き寄せた手つきが、
だだをこねる子どものようであったことだろう。
ただ細い身体を折れるほどに抱え込んで、頭をお嬢の首筋に埋めて、
俺のすることは懇願だ。


「なぁ」


目を上げると、お嬢は困った顔をやや傾げて、俺の頭をそっと撫でた。
これでは抱いているのか抱かれているのかわからないが、
ここまで来たら駄々っ子ついでだ。
我ながら相当強引に、「乗れ」と言ってお嬢の腰を浮かせた。
もじもじと、散々迷ったふうを見せてはいたお嬢だが、
唇に、耳許に、なるだけ甘い口付けを落とした間に観念したらしい。


開け放した窓の、ひた垂らした簾の向こう、
ちりんちりんと風の揺れる音がする。
よく吟味もせずに、ふと足を止めるようにして買った風鈴だ。
未だ過ぎ切らぬ記憶が不規則に込み上げるのに似て、
夕闇に掻き鳴らすその歌は、少し調子はずれていて、
ふたり目を閉じれば、いつでも思い出せる場所があることを思い出させた。









送るついでに、近くの風呂屋へ寄ることにした。
汗の滲んだ身体を包んで、作務衣も湿っている。


俺の住まいはあぱーとめんとの二階にあり、
30年ほど前の建築らしいが風呂がない。
15分も歩けば賑やかな駅に出るが、通りを幾つか挟んだだけでこののどかさだ。
朝晩が静かなのもいい。


もっといいところに住んだらいいのにとは豪邸住まいのお嬢の言だが、
飛行機に乗るにはそれなりに金が必要なことは、俺にも一応わかっている。
風呂がないのはそういうことだ。
逃げ回ってた頃に比べれば――って比べていいものかどうかは別にして、
お嬢が言うほど不便でもない。
それに、「行くか」と言えばついてくる。
楽しそうにしているのが幸いだ。


いつしかとっぷりと暮れて、電信柱には外套が灯っていた。
残暑というが、陽が落ちれば風は涼やかで、
俺は作務衣の袖をたなびかせつつ、
「ケロリン」と書かれた黄色い洗面器と、まるめた着替えを小脇に抱え、
一足先に玄関を出て待っていた。


よくよく錆び付いた手摺に足を掛けたり凭れたりして、
そろそろアクビくらいしかヒマのつぶしようがなくなった頃、
お嬢が慌てて飛び出して来た。


「龍馬さんシャンプー! 忘れてます!」


らしい。
忘れたというか別に石鹸で構わないだけなんだが、
お嬢は厳しい顔でシャンプーともうひとつ似たようなのを俺の洗面器に突っ込んだ。


「……もちょっとこう、身軽に行きたいんだがなぁ」
「それなら、今度携帯用の小さいのに詰めてあげますから。それなら軽いです」
「……へーへー。どーも」


お嬢はがちゃがちゃと施錠して、
小さなトリの飾りのついた銀の鍵を俺に手渡した。


「はい、行きましょう!」
「元気だな」
「はい」


お嬢のケロリンに背中を押されて一歩を踏み出し、
カンカンと高い音がする鉄の階段を降りる。
歩道のない、狭いばかりの裏通りだ。


「お嬢」


手でも繋ごうと思って差し出した手だが、
そうするとお嬢がだいたい照れて、結局繋いでもらえないことはわかってる。
だが何事も、何度でも、果敢に挑戦することが大事だ。


「い、いいです手は」
「なんだ淋しいことだなぁ。じゃこうするか」


肩に手を回して、ケロリンもお嬢も、まるごとしっかり抱いた。
全身でビクッとしたお嬢は、瞬時に固まって歩き方までぎこちなくなる。


さっきなど寝台で、それも自分から乗ってくるくらい大胆だったはずのお嬢は、
外に出ると清楚だ。
どこから見ても、深窓の令嬢にしか見えない。
そうではないお嬢のことは、俺だけが知ってると思えば悪くないのかもしれない。


「明日も晴れるらしいな。見てみろ、いい月だ」
「あ、本当に! まるくて綺麗」


見上げるお嬢のほうが綺麗だが、
と、そんなことが言えたのは、油断させて手をつないでやろうと思ったからに過ぎない。
決して俺の口が巧くなったわけじゃない。
いや、こういうときだけ巧くなると言ってもいいのか。


素直なお嬢は俺の思惑どおり、
大いに照れて隙を見せた。
相当低い位置にある手を、俺は半分持ち上げるようにして握ってやる。


「っ! 龍馬さんずるいです!」
「白魚のような手とは、このことだな」
「な……もう、聞いてるんですか?」
「あぁ、細くて柔らかくてなぁ。だが、あまりに飾り気がなくていかん」
「……そうですか」


指に限らず、お嬢はあまり飾らない。
向こうにいた時のように剣を下げているわけでもなし、
服装も、こっちの人間は皆そうだが、すとんと簡素なもので、
お嬢の場合、飾りと言える飾りは、頭に付けている髪留めくらいだろう。


俺は握ったお嬢の手を胸の高さまで持って来て、
薬指をつまむようにして、ゆっくりと撫でてみせた。


「あの、そんなことしたらみんなが見ますから」
「なぁお嬢、この指になにか欲しいものはないか」
「……ほんとに聞いてないですね。私の話」


聞くわけにいかないことは聞こえないふりをする。
あくまでのほほんと、すまんすまんと言いながら、
叶えるつもりは毛頭ない。
これもまた処世術のひとつだと思う。


そんな俺に、お嬢は見事に反撃を仕掛けて来た。


「くれるならぽっぺんがいいです。100万本の」
「……いや、だからあのな、指に欲しいものはないかと」
「龍馬さんがひとの話を聞かないから真似をしているんです。
 それにぽっぺん100万本は待ってるんです。実はずっと」
「案外根に持つなぁ」
「はい」
「だが割れるんだよなぁアレは」
「……あ…」


痛いところを突きすぎたか、お嬢は少ししゅんとする。


「……ごめんなさい」
「なぜ謝る。別に苛めようと思っているわけじゃない。そうじゃなくて、」


思い出話をするときに、
悪い思い出も時には語ってやらにゃ、
忘れるにはあんまりかわいそうじゃないかと


「ふたりで作ったもんだ。どれも」
「それは、……そうですけど」
「お嬢だって、夢に見るくらいに引っかかっていることならば、
 何度でも話して、茶化して、いつか笑い話にだってしようぜ」
「―――」


なぁ、そうじゃないか? お嬢


ふたつみっつ先の辻のカドに、
瓦屋根の小さな銭湯が見えてきた。
あかい暖簾とあおい暖簾と、俺とお嬢はもうすぐそこでわかれる。


わかれても、湯船で俺のことをちゃんと考えてくれるように、
わざわざいま手をとって、こんな話をしてる。
俺は、自分の手のひらも開いて、これ見よがしに並べてみせた。


「ほら見ろ、俺の手もだ。なんにもない。色気もクソも」


大きさも風情も、だいぶ違う2つの手だが、
飾りのないのが共通している。


「つけてみるかなぁ。揃いの指輪でも」


お嬢がパッと振り見た気配だ。
赤くなってんのかどうか知らないが、
たじろいだようにまるくなった指先を、改めて握って歩き出した。


「明日晴れたら明日でもいいと思ってたんだが、風呂上がったらその足にするか」
「えっ、そんな、それじゃゆっくりできないです」
「言うなぁ」
「ご、ごめんなさい」


否、素直なことは良い事だ。
ここで、俺たちは二枚の暖簾の前に立った。


「じゃ、ゆっくり浸かって考えたらどうだ。どんなのにするか」
「あのっ、龍馬さ…!」


返事は聞かずに、あとでな、と、
俺はさっさと暖簾をくぐる。
ガラガラ鳴る引き戸を閉じると、既に湯あたりしたように顔が火照っていた。
言ったあとで気付いたことだが、指輪の話はとても照れくさい種類のものらしい。


ゆっくりとは言ったものの、だ。


そう遠くない未来、先に暖簾の前に立つ俺は、
どんな顔で待っているのがいいだろう。
繕えもせぬくせに、そんなことばかり考える。






− 宵凪酔唄・完 −





・池田綾子/君と在りし日々の歌
でリクエストしていただきました! しじまさん本当にありがとうございました!
シチュとかはお任せというお言葉に甘えちぎってしまい、龍馬さんがこう、かなりヘタレに……
いや、あの、言い訳するとですね、
龍馬さんというのは自分で自分のことをヘタレめに思ってるひとなんじゃないかなぁっていう、
でもひとから見るとそうじゃないから、そのへん自分でも持て余してたりすると可愛いなみたいな萌えがどうにも拭えず…

教えていただいた池田綾子さんの「君と在りし日々の歌」ですが、これはほんとに、聴けば聴くほど龍馬さんでした…!!
在りし日々の頃を書くのもいいなと思ったんですが、
ふたりに起こったいろんなことをあとから穏やかに思い返している感じの歌詞がすごく印象的で、ED後のふたりにしました。
前を向いてどんどん進んでいく龍馬さんもすごくかっこいいけど、やっぱ思い出すものもあるだろうし、
本調子じゃないときもあるだろうし、どっかでそれをポロッと出しちゃうことがあってもいいと思うんですね。
で、そんな龍馬さんのこともゆきちゃんがちゃんと見ててあげてたらいいなみたいな、それこそ宵凪みたいな龍ゆきが好きです。

少しでも楽しんでいただけてたら嬉しいです
改めましてしじまさん、素敵リクエストありがとうございました!

2011.09.17 ロココ千代田 拝