投げ出されてしまったよう。
かかえきれないくらいの、大きな雲の向こうがわ、
藍色のぶあつい夜空の隙間とか
夢も見ないで、深くふかく眠ったときみたいに。
少しも不安ではないの。
それが不思議。
ねぇ、あなたといっしょにいるのに、
とても安心しているなんて。
そう言ったら、あなたは少し、困った顔をして
「悲しくなってしまいます」
って、本当に悲しそうな声で言った。
きゅんとする。その顔。
「ごめんね。でも、これからは、それでふつうになるんだから、いいでしょう?」
「そう、ですね」
「あれ、なんか不満?」
「……たまには、不安になっていただくのも、愛される男として必要な資質かと」
「…………それはどうかな」
今度は私が不満がお。
名前と同じ植物の模様が、たくさん描いてある服の上、
ぺたんと寝転がった胸の上、見た目よりずっとふんわりしているそこへ、
少し行儀が悪いけれど、靴のまま跨いで
身体の、同じ部分が合わさるようにして重なった。
甘えてる、っていうことが、ちゃんとわかるようにして甘えるのが好き。
だって、私より、ずっとずっと年上なんだから、この人は。
同じような年の人とは、どうしても張り合えないなら、せめて可愛いって、思って欲しいじゃない。
慣れた手付きで、私の足から靴をもぎ取って、
ことんと床に転がす柊の、すごく楽しそうな顔を
私は貼り付くようにして見下ろしている。
どきどき打っている心臓の音が、耳から漏れてくるみたい。
私から、こういうふうにすれば
期待したよりもっとつよい力で、背中に腕がまわるのを覚えた。
なにもしないでいると、抱きしめ方も、台詞も、どこか遠慮がちになってしまうひと。
柊は、そういうひと。
膨らんでくるのは、もっともっと、近くに、連れて行って欲しい気持ち。
ふたりでここへ、戻る途中、あれはまだ春だった。
少しずつ、暖まってゆく空気の中に宝玉がうまれて、いぶかし気だった顔がついに私を認知して、
涼しげな黒革の手のひらが、私の頬を何度も撫でた。
そのときは、ほんとうに、どこまでとばされてしまうんだろうって、
抱きしめられた訳でもないのに、たったそれだけで、幸せすぎた。
だって、その手のひらは
一度は私が、永遠に失ったことがある手のひらだったから。
とどめられず、みるみると冷たくなってゆくのを、ねぇ、確かに覚えているの。
だから、ほんとうは冬が来るのが少し怖い。
少しずつ冷えてゆく空気だって、暖まってゆくそれと同じく、季節と呼ぶことは知ってるんだけど
秋になって、ひとりで眠れない夜が増えてきた。
今日も、そういう感じで、仕事で使う竹簡のなかに、
『あいにきて』
って、書いた一枚を、滑り込ませておいた。
忙しいひとだから、ひょっとしたら今日は読んでもらえないかもって思って、
それなら3日くらいなら頑張って待って、やっと読んでくれた夜でもかまわないって、
でも、持っている中でいちばんかわいい(と私が思う)夜着を着て、
待っていたのでした。
「あったかい」
「あなたこそ」
最低限の灯りだけで見る顔は、鼻筋とか頬のところとか、
たくさん影が出来ていた。
よく見れば見るほど、吸い込まれたくなって、つるんとした鼻先へ、
同じところを擦り付けた。
「これほど暗くしたなかで、そのようなことをされて」
「いけないって言わないから」
「言っても、聞き入れては下さらないことを学習したのです」
言いながら柊は、その両手を素手にした。
髪飾りをひとつずつ外されるあいだに、心臓が駆け足になる。
ねぇ髪だけじゃなくて、もっと、感じるところがいいの。
はやく、そのさらさらの皮膚で触れて、そうたたみかけたい気持ちで、
ごくんと唾を飲みこんだ私は、
「よい心がけだと思います」
なんて、言ってやった。
そう、これを境にしてうわべだけの言葉は、もう、永遠に忘れてしまっていいから
これからは呆れるくらい、私を欲しがって欲しいの。
柊の腰を、きちんと巻いている帯の、一端をぎゅうと引っ張って、
私はそれを、ただ一介の、みどりの布にする。
先手必勝、そんな単純な戦術を、柊は好まないのかもしれないけれど
本当に欲しいものがあるときは、そういうのが一番効くんだって
あなたは知ってるでしょうか。
強気な目線で見下ろしたら、同じような左目に、捉えられてどきんとする。
「ん……っ?」
得意だったはずの私の、視界が綺麗に反転したのはその瞬間で
引いて空に舞わせたはずの、薄くて軽い腰紐が、ゆっくりと後から落ちてきて、ぱさりと睫毛にかかり。
反射的に目をつむって、払いのけようとしているんだけど
何が起こったの、これ以上手を、動かせない。
「……柊?」
「少しだけ、不自由をおかけしようかと」
柊は、脊髄からぞわりとする声をつかった。
彼と同じ匂いのする布は、私がまごついている間に両目を渡って頭を一周して、結び目を作られてしまったみたいで。
こんなじゃ、なにも、みえないじゃない。
どんな顔で、なにを、するのか、
私はなにも、見えないじゃない?
「いや、柊……っん……っ!」
柊の指先は、多分に意図的な力加減でもって、膝の内側から上に上に、つつと痕をつけるようにして昇って来る。
持っている中で一番可愛い(と私が思う)夜着は、裾から綺麗にめくり上げられてしまったらしく
晴れ渡った夜の空気に、肌ごと晒される。
「っ、柊どこ……?」
「ここに」
「わかんない……!」
柊の爪は短く整えていることを知っている。
それは、私の身体を、外側も内側も、傷つけないようにするためだというのも知ってる。
それなのに、なんだか、鋭利なほどに、かんじてしまう。
「……ッあ……っ!」
腰の括れをさわと撫でた感触に、肩までぴくんと跳ねて、
肌が硬く粟立って来る。
吐く息が、恥ずかしいくらいに浅くなっているのを、どんな顔で、見ているの?
「いじわるしないで」
「まさか。これほど身体を火照らせていらっしゃるのに、いじわるでなど、ありえない」
声は、あまりに近かった。
その長い腕を使って、その位置から私のしがない下着を降ろしてしまいながら
声帯に、甘すぎる湿度を纏わせて、ついばむように囁くことを、すこぶる得意とするこのひとは
ただこれだけの台詞で、私を泣かせることができるようになった。
「いや……、おねがい……!」
いや、見えないところで、そんなことをしないで
私以外に誰にも見せない顔を、私に隠したりしないで
出来るだけ捻ったつもりだったのに、出来るだけ固くしたつもりの膝は簡単に割られてしまい
しとりとした長い指に、そこはかき分けられてしまった。
そんなつもりでなかったのに、さらさらのはずの柊の指が、滑るように水音を作るから
そこがどんなことになっていたのか、イヤでも思い知らされる。
「あっん……!」
「力を抜いて」
「だって、柊怖い……」
されていることはいつもと同じ。
中で指をくの字にして、しきりに、ときに焦らすように、いいところへ埋める。
その度に、痺れそうな甘いものが私の中から零れてきて
柊の指の、かたちのとおりに締めつけてゆく。
よくて、よくて、苦しくて、
伸ばした腕を柊は、空いた方の手でちゃんと掴まえてくれるんだけど
でも、捕まえられた手首は、少しだけ力が入りすぎていて痛い。
いつもなら、もっとしなやかに
私の顔色を見ながらちゃんと、優しく握ってくれるのに
今夜はそうではなかった。
よくてよくて、浮かんでくる涙を、いつもはあなたが、空いている指先で拭ってくれるのに
今夜はそうでなくて
覆っている、あなたの匂いのする布が、知らぬ間に吸い取っていってしまう。
「柊、ねぇ、」
切迫した私の声を、たぶん違うふうに解釈している気がするけれど
だって、柊がするとおりに身体は感じてしまって、腰は浮き上がってしまって
細かい汗が、開いた足に纏いはじめる。
「あ……あ……やだ、いぃ」
私は、やめて欲しいのかして欲しいのか、自分でも区別がつかなくなって、
膝を立てたり、伸ばしたりを繰り返して、爪先でシーツに皺を作ってしまう。
枕に沈めるようにされた手首から、力がどんどん抜けていって、指先がくるんとまるまってゆく。
「ここは?」
「ん、ど……こ?」
不意に問われたそのとき、手首は確かに自由になっていたけれど、
濡れたところは弄られているままで、だからそれにプラス何かを加えられるんだということがわかってしまった。
これ以上は本当にやめてと言いたいのに、くちゅ、と動かされる度にもの欲しそうな声が出てしまって、
全然説得力がなさそうだから言えない。
「ねぇどこ……?」
「そんなに強請らないで下さいませんか。本当に苛めたくなってしまう」
「強請ってなん、か……っや……ぁん」
予想の出来ない次の動きを、精一杯に読み取ろうとするそばから、
刺激はやはりに前触れがなく、柊が触れたのは私の小さな胸だった。
手のひらの中で、泳ぎそうなくらいしかない胸が、
てっぺんの粒と一緒にふよふよと形を変えられて、きゅうと角を立てる。
「ん、は……ぁ」
「お好きでいらっしゃる」
そう、確かに、好きだけれど。
流されることができたのは、辛うじてここまでだった。
埋まった指を、一定の間隔で締めつけ始めたのを察した柊は、
ぬる、とそれを引き抜いてしまって、
ギリギリまで高められていた私は一気に我に返ったのだ。
だって、だって、この次にされることは
柊が、しようとしていることは、
見えなくても、もうわかる。
微かな香油の匂いがする衣擦れがして、しかるのちに耳許で一枚ずつ、落ちていって
人肌の空気に、毛先がやや舞い上がるとき
ああ、いれようとしているんだって、
そんなの、いやでもわかるのよ
そして、あなたがそれを、
いまからいれようとする場所は、目隠しがあってもなくても、たった一カ所しかないことは明らかなので。
風邪でもひいてるみたいな熱源が、直上から迫って、
最も熱いまるみが、ぴた、とそこへあたったのを、
長い金色の髪をうねらせて、緑の布で目を覆われた、きっと一見オバケのような私は、
手のひらをその直径の形にして、しっかり握って止めた。
「――――っ!」
なにかしたら折れそうな、硬すぎる柊のそれは、びくんと揺れてそこで止まった。
ちょっと痛かったのかな。でも知らない、そんなの知らない。
私のほうが何倍も、色々予想外で怖かったんだから。
私は、この国を統べる、一応たった一人の女王だというのに。
「あの、わがきみ」
「いやなの」
「……おイヤな割には」
ふかい括れから高さのあるところへ向かって、親指をそろそろと這わせた。
こんなふうにさわったのは初めてで、
全身触覚みたいになってる私は、今までまじまじとは見たことがなかった柊のかたちを
なんだか目で見るより確かに、覚えたような気になってしまって、
柊には絶対言わないけど、いれて欲しいところがじゅんと脈打って濡れた。
その代わりに、もうひとつの本音を漏らした。
「私、泣いてるんだけどな」
「―――。」
「どんな顔して、こんなことしてるのか、そこからじゃ全然見えないでしょう」
息を呑んだように聞こえた柊の顔も、ここからじゃ、
こんな、夜の帷に埋め尽くされたみたいな視界の裏では
全くもって、見ることができないの
「もう不安じゃないって安心してたのに……!」
「―――我が君」
やっと、柊は見ないフリをやめて、本気、っていう、言い方をした。
思うよりずっと素早く、目隠しはほどかれて、
待ちくたびれた視界が、柊の肩幅ぶんだけ開いて、
一瞬だけ目が合ったと思ったら、背中が撓るくらいに抱きしめられた。
本当は、涙はもう、吸い込まれていたのだけど、
抱きしめてくれたから、その嘘は見破られずにすんだようで
それに免じて、私も、ちゃんと、放してあげた。
「申し訳ありません」
どくどくと打っている、首筋の動脈の上から、染み込ませるようにして
湿度で充満した狭い狭い空気の中を、くぐもった声が沈んでく。
「どうか、お許しを」
「うーん、どうしようかな」
「我が君!」
そう、そんなふうに、切羽詰まって、私と同じ色の左目を、
ちゃんと合わせて、穴があくほど見つめていてくれるなら
ひとにはとてもいえないような、どんなやらしいことしたって
全然、かまわないの。
ううん、むしろ、柊らしくもないくらいのを、いっぱいいっぱいして。
「柊」
「……はい?」
つまったような言い方で、返事をした柊は、少し、辛そうな顔をしてた。
「いかせてくれるまで寝かせない」
「……なるほど」
これからは、不安にならなくてすむって、そういう話をしたばかりで
舌の根も乾かぬうちに、ひどい悪戯をしたあなたへの
これは一応王として、王意を違えた臣下への、ひたすらなる罰です。
「そう、あなたが望むのなら、私はただ、お望みのままに。」
抱きしめるのは、吸い付きそうな白い背中。
それは仄かな灯りに隠れるように、確かな意志で一段沈み、私の中へ滑り入る。
「あ……っ」
「もっと、聞かせて」
「んん、もっと、深くして」
「おや、随分早くから、貪欲な」
「目隠しして煽ったくせに」
「そうでしたね」
ふたりぶんの長い髪が、絡まってほどけなくなるまでしたっていいから
狭い狭いところを、あなたのかたちにかえながら、いっぱいにして。
冷えてゆく空気に逆らって、ふたりで、少しずつ暖めることができたなら
これからの、長い長い冬を、怖がらずに進むことができるって
そういうふうに、思えるの。
そしていつか、あなたの可愛い悪戯くらい、泣かないで受け止められるようになりたい。
そんな私に、あなたがしてくれないといけないのです。
「大好き」
「愛しています」
綺麗な背中に、明日までも消えない、指の痕をつける。
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