雪が降る頃になると、思い出せそうな言葉がある
忘れているのか、そもそも、そんな言葉は聞いていないのかもしれない



リピートにしたくなる歌
エレベーターの残り香
そういうのに似ている



会いたい会いたい、あなたに会いたい



- Say A Little Prayer -





からりとした風が、空気を澄ませて
夕焼け一瞬、掻き攫う


空と、私の間に
そこにきっとあったはずの、一枚きりの藍色の空は
手元の仕事をほんの少し持て余しただけだというのに
目を上げたときには過ぎている


お腹はすかないのに
濃い濃い夜が落ちている


見たいものは、見られるうちに
聞きたい言葉は聞いてるうちに
あとで、が効かない豊葦原で、私はきっと焦っている


聞きそびれた言葉は、彼の声だった気がした
見逃した色は、彼の色だった気がした
星が溶ける、身を切るような水が、浸した手のひらを零れ
祈った先は、まだ見ぬ未来―――
果たして、それだけだったろうか


戻ったのは野営の陣だった
昨晩この門口を出たときには、見送りの仲間がたくさんいたのだけれど
この早朝、というよりまだ夜に近い空気の中で
起きる時間の方が近いのに、寝ないで待っていてくれたような顔の、
たったひとりのそのひとは、お帰りを言う前に苦言した


「まさかそのなりで、行って帰って来るとはな」
「……このなりですけど」


裾は短いけど、制服よりはあたたかいですし、
と、聞かれてもいないのに付け加えた所為か
言葉は途中で、呆れたみたいな溜め息に遮られた


「冬だ」
「知ってます」


でも、身体ぜんぶを浸けなくても、手のひらだけでよかったですし、
と、また言い訳をした私を
今度は溜め息よりもはっきりと、彼は声で遮った


「せめて一枚羽織れ」


腕を組んで、厳しい顔で、固い声で
それに慣れた訳ではないけれど、竦んでしまえば負けそうで


「また怒られちゃった」
「わかっているなら備えたらどうだ」
「寒くないです」
「俺でも寒い」
「忍人さんは寒がりなんですよ」
「寒がりではない」
「っ、だって」
「君より俺の方が俺について知っている」
「……えーと」



負けそうで



「だが」


忍人さんの、組んだ腕が外れた
言い返している間、ずっとこらえていた瞬きを許した所為で、
男のひとにしては大きな黒眼に、捕えられて動けなくなる


「君のことは、君より俺の方が知っているようだ」
「……そうですか?」
「火を焚いておいた。ついて来るといい」


腕が伸びて来たので、とればいいということなのかと
正直に、握ると、手のひらは冷たかった
では、火を焚いてくれたというのは、いったいいつのことだろう


「出来れば上着でも羽織らせてやりたいが」
「……ん」
「生憎俺も凍えている」
「あは」


繋ぐだけでは足りないな、と、あと少しだけ、身を寄せた
そうしたら、手がほろりとほどかれて
代わりに肩にしっかりまわる


「あったかい」


思わず声に出してしまって


「だろう」


少しも照れない言葉が返って来た
だから少し、意外だった


忍人さんが言ったとおり、ちゃんと火は焚かれていた
ふたり並んで腰掛けて、手のひらをかざす
腰掛けという名のとおり、本当に腰を落ち着けられるだけしかない、
間に合わせの小さなまるい座面だった


白む空を見上げて、祈りが届いたかどうか、そんなことを考えられるくらいには
心と身体が柔らかくなったとき
一枚の藍が、隣からふわり包んで、また夜が来たみたいに、翳った


「君はそちらの端を握れ」


言われたようにすると、忍人さんは反対側を握って
ふたりで影に、包まれる
大きな男のひとではないと思っていたのに、この、彼によく似合う隊服は
ふたり分の身体をちゃんと、朝露から守る大きさがあった



ああ、好き、そう思う



まぶたをきつく、皺にして、きっちり瞑ってしまうのは、
火の粉が沁みる所為じゃない
静かに静かに、あなたが、優しくて優しくて、


だから、泣かないように瞑る


ああ、好き、ほんとうに
幾度、強く、それでも、思っているだけではだめ


「忍人さん」


言いたいことは、言えるうちに
リピートさせるならこの口で、繰り返し繰り返し
飽きるまで伝えなければならない、この世界で生きるなら、そうでなくてはならないの


新しい空気を吸い直した唇を、彼のかさりとした親指の腹がそっと押さえた


「待て」


と、空いた手で、私の前髪がすっぽり隠れるまで服をひっぱってきて
暖をとる為の、藍色の空間が、ふたりを隠す為の幕になる


「まずは俺に言わせて欲しい」
「―――泣きそう」
「泣くな。君が好きだ」


泣くなのあとには、もう少し間があるものだと思っていたのに
そんな、ちょっとだけの息継ぎで大事な言葉をさらりと言った



こころの準備ができません



間髪もなく、唇は
忍人さんのと重なって
今は、何も言えないから


ほどいてくれたその時は、まずなにから言おう


略式の禊だったぶん
祈りは正式の何倍も、繰り返し繰り返しかけたこと
叶えて一緒に戻るとき



思い出したいことがあるの















- Say A Little Prayer・完 -



                                  







忍人の書超えた後の、どっちも両思いだってわかってるくせに片思い中の忍千。
初めて会った気がしない、みたいな出会いをしてるといいと思います。
特に誕生日の話じゃないのですけども、その頃きっと忙しいよねと……うん逃げ 笑
大好き忍千…!

2009.12.22. ロココ千代田 拝