◆Special Thanx for... くろは様
〜Special respect for いきものがかり
☆This story is written under the inspiration of 『コイスルオトメ』
☆現代/つきあってる設定
− スキ −
息急く声で呼ばれたことで、
千尋が遅れていたことに気が付いた。
「もう、速いよ!」
「遅いよ」
正確にはとっくに気付いていた。
だから本当は振り向くときに、
ポケットの手を出すか出さないか迷った。
千尋がとろうとしたら土壇場で引っ込めてしまう手のことだ。
そうなるのがわかってるから、
何やってんのって自分でも思うから、最初から出さなかっただけ。
ポケットの中が暑い。
高く結った髪と、同じく高い靴音が隣に並んで、
進行速度を少し緩めに意識しながら歩き出した。
ていうか真っ直ぐにした顔をわざわざ覗き込んでくるのはなんなんだ。
まだ早いって言いたいんだろうか。
これ以上は勘弁して欲しいんだけど。
「なに」
「キスして」
「はっ?」
本当の意味で勘弁して欲しいんだけど。
顔がバカみたいに熱くなってる。
見られたくなかったけど、あまりに突飛な申し出に、
僕の目は既に千尋に合わされてしまっている。
こんなとき、
意識とは関係なく身体のすることが許せない。
「な、なに言って」
「『ここ外だろ』でしょ?」
「―――」
くすくす笑う、既に横顔の千尋を見て、
からかわれていたことがわかった。
いや、わかってたけどねそんなのとっくに。
「そこまで本気にすると思わなかった」
「……」
歩幅を緩めることは中止。
文句言っても聞かない。
誰がなんと言おうと、これは全面的に千尋のせいなんだ。
そもそもきょうは日直で、いつもより遅くなってる。
早く帰らないと、何故か夕食当番にも当たっている。千尋が。
そして、手伝わされるのは僕だからだ。
「待ってってば! じゃぁ手は? 手ならいいでしょ?」
「家帰るだけだろ」
「迷子にならないとダメとか?」
「試しになってみたらわかるんじゃない?」
「…厳しいなぁ。いつもの道だし」
僕が言ったことは、精一杯の言い訳だった。
つきあってからきょうまで、まだ繋いだことがない。
遅刻しそうだとかのやむを得ない場合を除くけど、
ああいうのは「繋ぐ」ってよりは「引っ張ってる」になるんだろう。
僕には十分繋いでるのと同義でも、
千尋にはそれが不満らしい。
だから時機を見てこうやってねだってくるんだろうと思うし、
僕としてもそのことを気に留めてない訳じゃない。
けど、今朝学校行ったら黒板の日直の欄に、
『葦原 那岐
千尋』
とかこう ↑ いうふうに書かれてたもんだから、
そして、それは多分に意図的に、
赤のチョークでぐるんと描いたハートマークで囲まれていたもんだから、
帰り道じゃホント困るんだってこと。
壁に耳あり障子に目あり
それは通学路にも十分適用される。
「それもダメか…」
千尋は言って、用意していた右手を鞄に戻す。
両手で取っ手を握って、膝のところで僅かに跳ねるのが可愛い。
と、僕はそんなところを見ていた。
ゲーセンでとったぬいぐるみだとかをたくさんつけている鞄だ。
無論実際とらされるのは僕で、それは少しずつ増えてもいる。
「なんか……つきあってないときとあんまり変わらないね」
「……。そうか?」
「そうだよ」
どうしたの。困るんだけど。
急にしゅんとしてさ。
僕はそう思いながら、口から出そうとした言葉はそうじゃない。
どこか変える必要ある?
そう喉をついて出そうだった。
寸でで引っ込めたのは、別の場所に隠している本音が少しだけ疼いたから。
俯いておとなしくなった千尋を見てたら、
たまには、というか、もうそろそろ
ちゃんとしたほうがいいんじゃないかって、
僕の中のもう一人の僕がわかっているから。
(……調子狂うんだけど)
甘い言葉はなんとなくかっこ悪い、
っていうかこと僕が、こと千尋に言うにはあまりに似合わない。
これはそう簡単には変わらない信条だ。
片手ではもうすぐに溢れそうな年月を家族みたいにしてきて、
今更なんて言って笑えっていうんだろうか。
勘弁してよって
本当にそう思うのに
わがままばっか言ってさ
けど、僕がいま真正直に困っていることは、
それより千尋が沈んでいることのほうだった。
だから、あいだを取る意味で、僕はひとつ提案をした。
「……ちょっと寄ってく?」
「え?」
「遠回りでもしていく?」
足を止めた交差点だった。
僕はそれまで、頑として隠していた左手を、
ポケットから出して千尋のほうへ開いた。
伸ばすなんてできるはずもなくて、心持ち浮かせて開いただけだ。
「……でも、時間」
「ないから、少しだけでも良かったら」
余りある照れのせいで愛想もない僕に、
千尋は割れそうな笑顔を見せる。
とは言え、それから千尋がしたことは、
僕の開いた手のひらの、ほんの指先を、
纏めるように、すぼめるように、やらかくやらかく持っただけだ。
拗ねてたわりにそれだけかと、
僕は千尋の真意を探している。
「随分遠慮がちじゃないか」
「そうかな」
「そうだよ」
横断歩道が青に変わる。
すぐに点滅するから、って理由をつけて、
僕は改めるようにして、ぎゅっと握りなおして足を速めた。
いや、本当は、千尋が繋いだ瞬間に僕の指先に起こった事実―――
―――微妙な震えがバレないように、強く、速くしたのかもしれない。
「……いいの? 誰か見てるかもしれないのに」
「折角繋いだってのに。早くも気変えて欲しい?」
「―――ない! 絶対ない!」
いつもの交差点をいつもとは逆にまがってしばらく、
到着地は駅前の量販店、その屋上だった。
この街で一番高いところがここだ。
遊園地にあるのを随分こぢんまりさせたような遊具が、
端っこで雨ざらしになって錆び付いている。
昔は係員とかもたくさんいて、一日中ちゃんと動いてて、
もっと大掛かりなものとかもあって、賑やかだったはずの場所だった。
僕はその中の、ちっちゃいパンダをベンチ代わりに腰掛けて、
千尋は隣のキリンに横乗りになってゆらゆら揺らしている。
「ほんっと、千尋は背が伸びただけだな」
「那岐はやっと乗れるようになったんだね」
「……うるさいよ」
会話の内容を説明すると、
小さい頃は恥ずかしすぎて、僕はこうやって座るだけでも断わった乗り物だってことだ。
忘れてくれればいいのにそんなことだけ、
千尋はよく覚えてる。
その頃、風早が買い物してる間、
小さい僕らはここで時間をつぶした。
100円玉を幾つかもらったのを握りしめて、
千尋が追加でねだりにくるのにときどき相手しながら、
僕は金網の向こうの街を見てた。
夕陽が昇ってくると決まって、千尋は遊ぶのをやめて傍に来た。
そのときのすごい不安そうな顔に、
僕はそうするしかなくて手を握ったんだと思う。
泣くから手を握るのに、
握るとなんだかひどくなる。
じゃ放せばいいんじゃないかって、いまならそうしたんだろうけど、
そのときの僕には難題だ。
片手を両手にして一層強く握りしめることくらいしか、
あとは風早が早く上がって来てくれればいいのにと願うことくらいしかできずに、
千尋の泣いている理由も、
夕陽と連動させて考えるなんてできるはずもなくて、
そのうち僕は、最初から、
手を握ることをやめたんだったと思う。
きょうもまた―――いや、随分久しぶりに、この場所に夕陽が昇る。
千尋も同じようなことを思い出していたんだろうか、
呼ばれて視線を戻すと、千尋は既に揺れてはいなくて、
膝に置いた鞄を抱えて僕を見ていた。
「もしかして、気にしてたならごめんなさい。今更だけど」
「なにが」
「私が泣かなかったら、手繋ぐの好きになってくれたのかなって」
「……別に、好きとか嫌いとかじゃないだろ。そういうのは」
千尋がまた揺れ始める。
僕の答えを聞いたのか聞く気がないのか、
僕が気にしていたという前提で話は進む。
「どうして、泣いたのかって言うとね」
「……」
「夕陽の中で那岐と手をつなぐと、なんだか頭の中に、」
もういいよ、と僕はそこで遮った。
言いかけたばかりの千尋には悪いけど、
そんなことは、ずっと前からわかってる。
それより聞きたいことはいまのことだ。
「いまは?」
「え」
「大丈夫なの? 僕と手繋いでも、思い出しそうになったりしない?」
怖いこととか
いやなこととか
ここではない、何処か赤い景色とか
直球で尋ねると、千尋は少し考えてから首を横に振った。
やっぱりね、と短い溜め息をついた僕と、
対照的に、千尋の声は明るかった。
「でも、いまは、安心する」
「―――」
「だから、全然安心して繋いで欲しい。うん。できれば」
ウンともイイエとも言わないで、
僕はただ、まずい展開だと思っていた。
これでもう、千尋と手を繋がないための、
最後の言い訳までもがなくなってしまった。
このまま千尋が、「ソレ」を思い出さずにいられるなら、
僕にとってはそれが一番であることに違いない。
手をつなぐことで、「ソノトキ」が幾らか遅くなるのなら、
素晴らしいことには違いない。
けど、それよりずっと圧倒的な事実は、
このままここで、終わらせられるはずない未来の存在。
それを、僕はまた、同時に感じてもいる訳で。
進もうとする千尋と
とどまろうとする僕と
なんだって
僕らはこんなに対なんだ
「遅くなってごめん」
僕は突拍子に言ってパンダを降りた。
その場に立って見つめる僕に、千尋はきょとんと半端に口を開けた。
「今更だけど、言っていい?」
「……ん?」
うんごめん。急に改まってごめん。
あと白馬じゃなくて錆びたパンダでごめん。
そうしてまで僕が敵に回そうとしているものは、
どう足掻いたって太刀打ちできない大きな大きな対象は、
消すことなんかできるはずない千尋の記憶。わかってる。
それでも
安心くらいにはなれてるなら
対なら対で、それならそれで、
それでもいまの千尋くらいは僕にも守ることができるのなら
別に、手くらいあげたっていいんだ。
「好きだよ」
「………へ?」
うん本当に、今更ごめん。
滅多に言わないことだから、へんな顔させてごめん。
そんなだからもういっそアレだよ、家族としてでも何でもいい。
けど とにかく僕は
いま言ったとおりの気持ちでいる
ずっと、ここに来るよりずっと前から
ほんとうはずっと千尋が好きだよ
「―――好き!」
その距離二、三歩。
あるんだかないんだかな距離を、けれど千尋は駆けて、
僕の胸に飛び込んだ。
「那岐が好き!」
「……わかったから何度も言わないでいい」
あんまり可愛すぎた。
なんて言えなくてごめん。
言葉にすれば埋められるだけの時間は、
僕にとってはまだ長すぎて、
千尋の、満面に引き伸ばした弧のようなくちびるに、
ゆっくり僕のを近づける。
初めてのときより、いまのほうがずっとドキドキした。
その所為で、重ねた部分は少しかさついていて、
あんまいい感触じゃないだろうなと思ったら、
長くくっつけていることができなかった。
顔を離すまでわからなかったことだけど、
意外にも千尋は、ものすごく困った顔をしていた。
びっくりしたみたいな、泣きそうな顔。
「……もう一回とか言うなよ」
「……い、言わない」
うん、うん、と千尋は何度頷いたろう。
帰る方向に足を向けて、僕のほうから繋いでみた手のひらは、
今度は千尋のほうが震えていた。
あまり話すこともなく、地下階でついでみたいな買い物をして、
外に出たらものすごい蒸し暑い。
梅雨はまだ、もう少し明けないみたいだ。
「遅いよ」
「那岐が速いくせに」
「……速めたくもなるよ」
「……どうして?」
「別に」
わからないならいい。
5年も一緒にいてわからなかったぶぶんが、
つきあったからってすぐにわかるようになるなんて思えない。
いまわかるのは、千尋が
汗ばんでくる手のひらに困って、
抜こうか繋いどこうかどうしようかって思ってることだけ。
僕が、そんなの気にすることないよって
ほどけないようにもうひとつ、力を込めてることだけ。
わかりにくくて悪いけど、
けど、こんなの、簡単すぎるたったひとつの事実でしかない。
知ってる? 僕は
千尋が好きなだけなんだ
「パスタにする?」
「にしようかと思ってたけど、うーん…昨日もだったんだよね」
「いいんじゃない? なんだっけ作りたいのあったんだろ?」
「アボカドとアンチョビの?」
「さっき一緒に買っといたから」
ほらその笑顔
ほらその歩幅
「できるんじゃないか」
「え?」
「別に」
「もうそればっかり!」
遠回りの帰り道
家までの時間はいつもよりたくさん残ってるから
そのあいだに考えたら?
僕のこと
千尋がまだ知らない僕のことで、
その頭いっぱいにしたら?
僕は、そうだな
この夕焼けが消える頃
いつもの交差点に差しかかったとき
この手を離すか離さないか
そのことで頭をいっぱいにしとく。
途切れがちになる会話のことで、
機嫌悪くしたりしないでくれるといいなと思う。
きょうは、なるべくゆっくり歩くから。
差し掛かる、いつもの横断歩道。
やや調子外れのメロディーが流れる中を、
白の部分を踏まないように歩くには、とか
そんなことを考えていた。
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