わたしたちは初恋の頃




一緒の家に住んでるんだから
こういうことがあったって、全然不思議じゃない

私は女の子で
那岐は男の子で

だから寝る部屋は別々だし
お風呂だって一緒に入ったことなんかない


・・・・一緒に入らないから、こういうことが起こる。


それプラス、那岐がいつも
何処にいるのかわかんないくらい、静かに一人で過ごしてるから


だいたいいつもこれくらいの時間は、
晩ご飯食べてほっと一息ってタイミングは、
部屋でゴロゴロしてるんじゃなかった?
ヘッドホンしたまま寝ちゃってることだって珍しくないじゃない。


だから!


私がお風呂に入りに行ったって、全然おかしくないんだから!
寧ろこの時間は私のお風呂の時間なんだから!



そうよ


私に権利があったはずなんだから
私はなんっにも悪くないんだから―――――



◇◇◇



息を切らして、私は廊下を走っていた。

「はっ・・・はっ・・!」

テレビで見る古い建築だと、割と廊下は長いものみたいだけど、それでも普通、息切れするほど長くはない。
それに、今しているような、時折靴下を床につるり滑らせてしまうようなのは、
走っているというより、慌てていると言ったほうが正しいのかも知れなかった。

何度目かに滑りかけ、それは今度こそ転倒の勢い。
ヒヤリとして襖に手を掛けた。
丁度、部屋の襖だったのはせめてもの救いだった。
体重のままに景気よく襖は開いて、投げ込まれるようにして敷居の上を滑る。

「・・・・きゃ・・・・!」

ずざざと嫌な音がして、見慣れた景観ががくんと一段下がる。

「っ・・・!」

人間というものは、前に向って転ぶ時、必ず手が先に出るようになっていて
この時ほどその反射に感謝したことはない。

でなければ、このたった2秒くらいの間に、家人でさえも判別してもらえない顔になっていたことだろう。

「・・・・あいたたー・・・」

―――――顔は助かったけど、膝を、多分擦りむいた。


家の中で怪我するなんて、一体幾つなの、って
多分那岐だったら言うと思った。

「もぅ・・・那岐の所為なんだからね。」

四つん這いだった姿勢を起こして、ヒリヒリしている右の膝を三角にして座り直す。
この痛みから想像していたよりは、わりと上手く転んだようで、
膝小僧がやや赤く照っている程度で済んでいた。

ふう、ふう、と、息を吹きかけて、じんじんするのが引いてきて
飛び出しそうになっていた鼓動も、治まりはじめて


そうなってくると
たった今起こったばかりの
酷く迷惑で、そして、酷くセンセーショナルな場面を思い出しそうになる。
正直、よく考えてみたら思い出したくもないっていうのが半分以上ある。
でも、残りの後半分弱が、脳裏にそれを映し返そうと、躍起になっている。


それは、どうにも抑えきれない衝動に、似ていた。


走ったこととは別の、新しい、胸の音が一つ。


夜の風が一筋、簾の隙間に吹き込んで、心の奥の柔らかなところを掠めていった。
左の膝も三角に立てて抱き込む。
頭の上で纏めていた髪は、さっきの衝撃でかなり崩れたらしく
顎を埋めるのと一緒になってずるりと落ちてきた。

「那岐のバカ」

勿論、独り言のつもりだった。
だから、項のところから返事があって、飛び上がるくらいに驚いたのは仕方のないことだと思う。

「バカはお前だろ?」
「ヒ・・・・っ!」

すごくすごく落ち着いた声が、ほんとに真後ろから聞こえた。
ゆっくりゆっくり首を動かしていくと、半分くらい回したところで
同じ高さで目が合った。


それこそ、顎の先で肩の凝ったところをぐりぐりしてくれそうな感じの位置関係、と言えばよく解ると思う。

「なっっ、那岐っ・・・・?」
「そうじゃなきゃ誰なの。」
「―――――っ!」

まだ髪が濡れたままの、その顔に見つめられて、俄に我に返る。
こちらから目を逸らしてしまうのは悔しいけれど、
どうしても、まだ、真っ直ぐに那岐を見られない。

「・・・・あのさ、着替え、全部廊下にばら撒いてあったけど、また新しい遊びでも始めた?」
「え!うそっ!」

見られないはずの顔をまた、反射的に振り返ってしまった。
那岐が計算してやっていることだとしたら、完全に私の負けだと言っていい。

「嘘じゃないよ。パジャマも、キャミソールも、ブラ―――」
「ぃいいぃいぃいぃいわなくていいっ、知ってるから!」
「僕が一つ一つ拾って帰ってきたら何かいいことある?」
「―――な、」
「ない、ね。なーんだ、つまんないね。」

言い終わる頃には那岐はもう立ち上がってしまっていて、
包まれんばかりの距離にあった、お風呂上がりの、熱くて湿気た空気も
一緒に気化していった。


こうして見る後ろ姿は、いつもの那岐。
いつもどおり、お気に入りのTシャツと、膝丈のハーフパンツ。
柔らかい生地のが好きなんだよね。
濡れた髪だって、毎日見てるそのまんま。
暑いのは解るけど、早くドライヤーかけないと、
そのまんま寝ちゃったら、また朝大変なことになるんだよ?


いっぱい、言いたいことが溢れて来るのは何故だろう。
それなのに、一つも言えないのは何故だろう。

開けっ放しの襖まで那岐は歩いて、敷居を跨ぐ前に振り返った。
そして、思い出したみたいに言った。

「忘れてるみたいだから言っとくけど、どっちかって言うと、さっきの、僕の方が被害者なんだよね。」


―――――人が必死で忘れようとしてることを、何でわざわざ言うかなぁ


「・・・・でもいつも、私が入る時間だもん。」
「だからって普通、開ける前にノックくらいしない?」
「だって」
「だって千尋の他に入るの、男しかいない訳だろ?」
「・・・・そんなに見なかったもん。」
「ってことは少しくらい見たんだ。」
「―――――っ、って、えっと、そのー・・・・あの・・・・」


あぁ、甦るあの、センセーショナル。


脱衣所のドアを、勢いよく開けた向こう側、お風呂のドアも開いたのは嘘じゃない。
一瞬何が起こっているのかわからなくて、
私はそのまま何秒か、ドアノブを握ったまま仁王立ちみたいになっていた。


『いつまでみてるの』


って、言われて初めてその意味に気付いて
すごい早さで頭に血が昇ってきて
ちゃんとドアを閉めることだって、できたかどうか覚えていない。

ただ夢中で廊下を駆けて、那岐が言ったみたいに道中下着とか全部落としてきて
そして、最後に膝を擦りむいた。


ほら、全然私、悪くないじゃない。


っていうのは心の中で言って

「・・・・ごめんなさい」

口はちゃんと謝ってしまう。
今、私の前にいる那岐は、ちゃんと服を着ているのに


私は何で、まだ那岐をちゃんと見られないんだろう


耳まで真っ赤になっているのを知っている。
身体が熱くて、泣いたら少しは火照りが冷めるかな、なんて考える。

そうだよ、泣きたいくらいなんだから。
そんなの、誰のだって見たこともなかったんだから。
那岐のなんか、見る予定なんかなかったんだから。


少なくとも、こんな形では、見るはずじゃなかったんだから―――――


手のひらいっぱいに顔を覆ったら、どうやら私は泣いてるみたいだった。
何だかカマトトのように思われそうだと知ってるけど、
どうにも止められないのだから仕方がない。


ていうか
那岐がそういう風に思うんだったら


別に私はカマトトでいいもん。
だってそれは、私を可愛いって、思ってくれると言うことでしょう?


「あーもぅ、泣いたの?」

襖のところから、那岐が戻って来る。
さっきより少し軽くなった体温が、ぺたんとラグに座り込んだ私と、高さを合わせた。

「頭、触るけど大丈夫?」
「・・・・うん。」

よしよし、とは言わなかったが、そういわれている気がするみたいな
那岐の手のひらは、何だか無性に優しかった。

「ていうかさ、僕で良かったんじゃない?」


声まで優しくなってる。


「風早だったら、ってこと?」
「・・・・それもあるか。」
「ん?」
「じゃなくて、僕が開けて、千尋が入ってたんじゃなくて良かったってこと。」
「―――――!」

私はまたも、準備の出来ていない顔を、不用意に那岐に見せる羽目になってしまった。
本当に、幾らか計算しているのではないかと思う。

「・・・千尋。」
「はい。」
「今晩一緒に寝る?」
「なっ・・・・な、なんで?」
「別に、やだったらいいけど。」

やだかそうじゃないかとの二択なら、やだではないという事になるけれど。
私と那岐って、そういうんだっけ?

「今日風早いないだろ。」
「・・・修学旅行の下見に行ってるんだよね。」
「じゃぁ別にいいんじゃない?二人っきりだし。」

二人っきり、って言うところを、変に強調して那岐は言って
そして、ちょっとだけ怖い顔をした。

「・・・・・。」
「・・・・・。」
「・・・・・えっと」
「―――――なーんてね。」
「へ!?」

多分その時の私の顔ったら、泣きはらしたハトみたいだったと思う。
そんなハト知らないけどなんかそういうイメージ。

「風早いないんだったら余計にダメだ。帰ってきたら殺されそう。」
「え、さ、さすがにそうはしないんじゃないかな。」
「あのね、ここ律儀に答えるとこじゃないから。」
「・・・・そうなんだ。」

一緒に眠れないんだ、ってわかって、どうしてしゅんとするの、この気持ち。
私たちの中で起こったことは、たったあれだけのこと。
たった2秒か3秒くらいの、瞬き幾つ分くらいの、ちいさなちいさな


だけど、多分確かな変化


たったそれっぽっちの間に、男の子と女の子って
こんなに変わってしまうの?


そういうふうに、那岐も思ってたのかどうかはわからないけれど


「風呂、冷めるから入って来なよ。」
「あ、そっか・・・・でも・・・」
「別に覗いたりしないって。」
「も、もう!」

上がってきたら、もう那岐はここにいないんだろうな、って思ったら、
何だか動けない。
大事な夢をひとつ、決めなくちゃならないときがくるとしたら、こういう気持ちなのかも知れない。

「ね、那岐。」
「何。」
「・・・・あとで、部屋に行ってもいい?」
「・・・・はぁ?」
「そ、その、風早いないんだったら、少しくらい夜更かししても怒られないかな、って・・・思って・・・。」
「―――――そんなこと言って、帰したくなくなったらどうしてくれるの。」
「その時は―――――」


その時は、一緒に寝ればいいんじゃないかな。


というのは言わないでおいて

「風早に電話する。」
「・・・・・壮絶に面倒くさくなってきた。」


とか言ってたけど。
髪をちゃんと乾かしてから、そろそろと那岐の部屋の襖を開けたら、
ベッドに転がってたけど、ちゃんと起きててくれた。

「座る?」

ぽんぽん、とベッドのスプリングを叩いて、那岐は身体を起こした。

「うん。」

私のよりも少し固めのベッドの、ほんの端っこに、かなり正しい姿勢で座ってしまった。
那岐は聞いてたヘッドホンを片方はずす。

「聞く?」
「うん。」

ベースばっかり聞こえるほうを貰ったみたいだ。
聴いたことのない曲で、しかも英語だったんだけど、
だけどその時聴いた曲だけは、今もはっきり思い出せる。

いつしか私と那岐は、背中に凭れあいながら、
全然話をしないまま、よく解らない曲を子守唄にして眠ってしまっていた。


何を話したらいいのかわからなくて
どういう顔で向き合ったらいいのかも、わからなくて
でも、少しでも長く、この夜が続けばいいって思った。


寝入るほんの直前に
パジャマ越しで伝わって来る背中の温もりのその奥の


素肌が透けて見えそうな、そんな気がしていた。





〜Fin









拍手再録の小話です。
む、こういう設定何番煎じなんだろうか、やや恐ろしいですが、夢見たかった同居故の鉢合わせ事件。 笑
あるあるあるあるある、と、千代田は発売前から密かに期待していたのですが、おや、ゲームにないじゃん(真顔)
このイベントは何章でどこへ行けば起こりますかね、みたいな、半分本気で追加待ってます!言うのはタダ!




2008.09.08 ロココ千代田 拝