◆Special Thanx for... 青藍様
会った事もないイトコだけど、その存在にだけ気付いていた。
僕は親を知らない。男のほうも女のほうも。
けれどもイトコがふたりいることだけ知っていた。
豊葦原中つ国、それは僕が生まれ、いまも暮らす国の名前、
イトコといった彼女らは王宮に立つ女王の姫で、つまり手の届かない存在で
だからこそ、僕がたとえばどこにいても
新しく生まれれば風の噂くらいは耳にする。
僕はそのうちの一ノ姫が生まれた頃に別の宮家に生まれた。
腹ん中から外へ出たことの刺激だったのか、何か感じるものがあったのか、
持って生まれた力を制御することができなかったらしい僕は、
火の気のない産屋に大きな焔を作ってしまった。
鬼子と呼ばれたのはそのせいだ。
生まれたばっかで覚えがないけど、その時の様子を想像するに今となっては、
僕にも特に異論はない。
葦舟で流された傍流の皇子、僕は、つまり今はただの人だ。
そんなわけで、僕に物心がついた頃、王宮には二ノ姫が生まれた。
「那岐に、ふたり目のイトコが生まれたよ」って将軍から聞いた。
将軍は狗奴で、僕にとっては育ての親で、鬼道の師匠でもあった。
ふだんいかつい顔してるんだけど、
そのときは妙に嬉しそうに、額の白い毛をふくふくと揺らしながら、僕に話しかけた。
けど、それほど情報はなかったみたいで、あとは5つ下だということしかわからなかった。
「嬉しくないかい?」
「将軍は嬉しそうだね。なんで?」
邸からほど近い泉のほとり、夜だった。
師匠は鏡のような水面の、ずっとずっと遠くを見ていて、
僕はそんな師匠を見ていた。
長い沈黙の間に、師匠は言葉を選んだ。
「厳しい世が来る。おふたりどちらも無事に、育ってくれるのが、それがいちばんだ」
「……」
「那岐、お前もだよ」
「……可愛い子?」
「さぁ、拝顔まではとても。だが、そりゃぁ、姫様だからな」
「……ふーん」
似顔絵もないらしい。そんなんじゃ情けなんか、湧くはずもない。
それが感想の全てだった。
興味ない顔をした僕の、頭をひと撫でした師匠が最後に、真面目な声で言った。
「ふたりなら、国は、いずれまた」
5歳児に言う内容としては、少し難しかったと思う。
けど、わからないながらに、心の深くにその言葉は、消えずにずっと、残っていて
そして、彼の言ったとおり、厳しい世は確かに来ることになる。
それから12年後のことだ。
一ノ姫も、師匠も、
それぞれの想いのもとで、抗い、しかし、あまりにあっけなくあおりに巻かれ、
僕の手の届く範囲はおろか、地上からも、姿を消してしまうことになり。
僕の中の、そうたくさんはない親愛の情のうちのすべては、
いつしか二ノ姫にむかっていたんだろうか。
そうとしか思えない。不思議なこともあるもんだ。
血が繋がってる、それだけで、
17歳になった僕が 彼女のために身体を張ることになるなんて、
その時は思いもしなかった。
焔の中で、いまにも音を立てて崩れゆく王宮へ、一歩足を、踏み入れようなんて。
(普通思う?)
って自分につっこんだくらいだ。
万に一つ、彼女が生きているとするなら、未だ火の回っていないところにいるはずだ。
17年前、ここに焔を放った僕だから、火にはきっと強い。なんて言い聞かせながら
あかい柱のあわいを走り抜ける、そのあいだじゅう、見たこともないはずのその場所で、既視感に襲われていた。
熱風を騙し騙し、少しでも涼しいほうへ、五行のにおいを探る。
そして、彼女はそこにいた。
名乗るヒマなんか、勿論なかったんだけど
二ノ姫は僕のことを、助けに来た王子様とでも思ったのか(厳密に間違いじゃないけど)
まぁ、なんかそんな、赤い背景にはそぐわないほど嬉しそうな顔をして、
僕が視界に入るや否や、小さな両手を目一杯伸ばして来た。
一も二もなく抱き上げると、羽衣みたいな衣装とは対照的に、
暖かな重みが胸に真正直にかかった。
首に巻き付ける腕の力は、少女とは思えない真摯なちからだった。
生きようとしている、確かに、僕はいのちを抱いて、
来た道とは違う順路で、どこをどう抜けたのか、
途中で二ノ姫の、ひらひらした衣装に火が燃え移ったのを、乱暴に破って赤い海に放り投げたのは、
我ながらよくやったと思っている。
冬が終わるとき、薄紅の花を付ける木が、焼け焦げて根元からくずおれるのを、
身を低くしてくぐり抜けた。
それが、橿原宮を僕が見た最後の光景で、
とりあえず、どうにかいまも、生きている。
「―――ふたりなら、か」
育った邸は今日もなく、焼け野原に燻る煙を踏みながら歩く。
「千尋、置いてくよ」
「だって難しい…!」
姫であった頃に比べたら、随分簡素になった靴。
途中でほどけた紐を、足首で結ぶ、手つきがとても覚束無い。
「縦結びになってるけど?」
「……これでいいの!」
すくりと迷いなく腰を上げた、小さな手を繋いだ。
* L.A.L. *
- Legend of Another Life -
中つ国の、どこか外れの小さな村の端っこに
千尋とふたりで住んでいる。
未だ大人じゃない男と、まるっきり子どもの女が、
毎日少しずつ作りあげた家なんだから、はっきり言って雨露がしのげるかしのげないか、
まぁ、こんなもんだろと思っている。
千尋を伴って出掛けるのはいつも夜で、昼間は家の中に更に鬼道で結界を張って、
そんなかで大人しくするように言い聞かせている。
夜は起きてるわけだから、自然と寝るのは昼になり、
瞼の裏が眩しいのだけ我慢すれば、それほど不自由な暮らしではない。
それより、あの日滅んだことになっている王族が、こっそりここで生き延びていることを、
知られるわけにはどうしてもいかない。
けど、千尋だって日がな家の中にいたら、たぶんそのうちモヤシみたいになっちゃうし
言わないけどそりゃ、出掛けたいだろうし、人通りの少なくなる夜中を選んで連れ出す。
陽が落ちると、隣の身体はもそもそと動き始めて、
「ねぇ起きて」
と僕の肩に手を掛ける。
遠慮なく揺さぶってくれるから、目を覚まさずにはいられなくなる。
薄目をしばつかせる僕に、パカっと笑うのがかわいい。
絵は上手いでも下手でもない僕だけど、これはちょっと、確かに似顔絵にはできないかわいさだ。
早く大人になったら?
なんて、つい思ってしまう気持ちに気付いて、僕は数度頭を振った。
目覚まさないと。ほんとに。
「おはよう!」
「……でもない時間だけど」
「髪、結って」
こっちは起き抜けだってのに、既に出掛けるのを決めてしまってるらしい千尋は、
正座の膝をくるんと半回転させて、長い髪を僕に向ける。
この金色の髪を、目立たないように括ってからでないと、
夜でも出掛けられないのだということをもう覚えているから、
千尋は一日の始めにまずそうねだる。
僕は枕元の櫛を取り、まだ重い身体を起こした。
「どうする? 今日は」
言って、掬い上げたつるつるの感触に、そっと櫛を入れた。
千尋が髪型を悩んでる間に、毛先までをよく解しておかないといけない。
「てっぺんでおダンゴがいい。キチっ! としてほしい」
「最近そればっかじゃないか。そんなにきちっとしてたらそのうちハゲるよ」
「だってそれが好きなんだもん」
はいどうぞ、と千尋は目配せして胸を張り、僕の手を促した。
「……ま、いいけどさ。ハゲるの僕じゃないし」
「女の子ははげないの」
「あっそ」
そして僕は、千尋の言うなり。
言われたようにきちっと結って、仕上げに一輪挿しの花をさす。
ちなみにこれも、僕の気遣いって訳じゃなく千尋の好みで、
日によって青だったり紫だったり、出掛ける行き帰りに摘んでくるもののうちの一つだ。
今日もそんな感じで、僕は片手に千尋、もう片方には水を汲むためのかめを持って、
近くの泉まで歩いて来た。
住むなら水の傍がいいって、小さい頃師匠に聞いたのを実行している。
畔で靴を脱いで、着衣を膝まで上げて、水に浸かってかめを浸す。
と、それはいつもは僕の仕事なんだけど、今夜は千尋がやりたそうにしたから、
かわいい子に旅をさせるつもりでやらせてた。
あとで水浴でも、と僕は岸辺で上の着衣を脱ぎかけたのはいいけど、
とても落ちついて見てられないことに気付いた。
千尋が浸かれる深さなんて僕の半分くらいだから、ほんとに水際で、
がんばって傾けては浸しては、あれじゃきっと水より砂のほうが多くはいってるんじゃないかと思う。
そのうち、波の攫う砂地に、かめは真横になって沈んでしまったようだ。
「あーっ!」
(……やったか)
やっぱりな、という感想を抱いた。
脱衣を断念した僕は前髪を掻きあげつつ、千尋のほうへ。
じゃぶじゃぶと膝下で掻き分ける水の抵抗がもどかしいかんじ。
「……うーーーん」
こうしている間にも、千尋は盛大に唸って砂入りの水瓶を持ち上げようとしてる。
できれば服を濡らす前に何とかしたかったけど、ちょっと遅かったみたいだ。
「あーいいよ、僕がやるから」
「ううん、も…つ」
千尋の身の丈の半分ほど、というと大袈裟だけど、けっこう高さのあるかめだ。
沈んで、いっぱいに容積をはらんだそれを、
とても上手く持ち上げられるはずが無い。
どうなるかは火を見るより明らかで、かめが持ち上がるより、僕が手を貸すより、
千尋の手が滑るほうがいくらも早く、
十分に力を込めていた千尋は、そのまま水面へ尻餅をつく。
「……きゃ」
そして、尻餅は一瞬で水底へ沈むという図式。
ざぶん! と、それはそれはいい音がして、濡れてないのは首から上くらいのもんだ。
僕はそこで、漸く手を貸せるところまで来ていた。
「あー…びしょぬれだぁ」
「だから言ったじゃないか。僕がやるって」
千尋の脇の下へ腕を入れて、抱き上げようと身を屈めた。
その時、合わされたあおい目の、少し怯えたような揺れ方で、
僕が、自分で思うよりずっと、怖い顔をしていたんだということを知った。
「な、那岐ごめんなさい」
千尋は自力で立ち上がり、それと同時、
真摯に伸ばされた腕は、いつかの熱い、あかい空間のことを思い出させたけど、
あのときの、本当に安堵した表情とは反し、ずっとずっと不安げなものだった。
千尋は、満身濡れ坊主になった身体で、僕の腰にしがみつく。
「言うこと聞かなくてごめんなさい」
「ちょ、千尋…! 僕まで濡れるだろ」
衣服を通り越して、しみじみと伝わるのは、春先の冷たい水でない。
千尋の、痛いくらいに握り込む指の、身にくい込むみたいなちからだ。
「ごめんなさい。だから怒らないで」
「だから別に怒って―――」
「おねがい、どこにもいかないで」
顔を埋めたのは僕の胃のあたり、その底へ、押し込むように千尋は言った。
目を丸くした僕に、さて、ここで問題だ。
僕は、千尋について、どこまで知っていただろう。
5つ年下のイトコ―――
12年前、師匠が僕に伝えた、最大にして唯一の、千尋に関する知識は、
あれから未だ一つだって増えてはいなかった。
いや、千尋って名前だってことと、髪は金色で長いってことと、
考えるより生むが易しな性格をしていること、
甘い採点をして、増えたに分類できるのはそれくらいで、
一緒に暮らした幾十かの日常の中で、
たったひとり遺された千尋の胸に、焼き付いている光景のことを
火の色の地に伏す王宮の、黒いくろい影のことを
僕は、どう見て
千尋は、どう見て
同じものを見ても僕にはない、
が、千尋にはきっとあるはずの、
遺された王族のこころぼそさというものを、僕は一度でも考えたろうか。
考えたのは、追うもののこと。
王の冠を戴くうからの、息づかいの全てを、
目を更にしてこそげとろうとするもののこと。
それらから、千尋を完全にみえなくさせること、
それだけだ。
千尋を世界にあぶり出す、昼間の太陽は、いらない。
幸い鬼道は上手く使える僕にとって、それは周到な手段だった。
けれども、それで本当に、僕はそれで、正しいんだろうか。
―――ふたりなら、国は、いずれまた
師匠の言葉が、胃の奥で溶ける。首からかけた勾玉が、鈍く光を発した気がした。
千尋の肩を小刻みに震わせる痛みを、半分こにすることができるのは、
いまや、僕しかいないのかもしれないと、
遅まきながら、初めて思った。
「どこにも、行くはずなんかない」
なるだけ優しく聞こえるように、不器用に工面した声で言った。
いまだ不安そうに、千尋は顔を上げた。
ちっちゃいから、うんともたげた首が痛そうで、でもって僕も、俯きすぎでちょっと痛い。
きちっと結った髪には、指を梳き入れる隙もなかった。
いつか、もっと時がすぎて、
さらさらと長くした金色の隙間に、水かきまで差し入れられるときがきたら、
伝えたいことが、あるんだ。
その頃には、この想いは、きっと、そうなっているはずだから。
「……ほんとうに?」
「うん。だからしがみつかない」
ふへ、と千尋は泣き笑い、ぴったりと貼り付いてた服が、やっと剥がれていく。
「ほんと……早く大人になったら?」
「うん、早くなりたい」
「わかってないくせに」
「……うん?」
千尋が罪のない顔で聞き返したとき、森の木立がガサガサと音を立て、
僕は反射的に千尋を抱きしめた。
まるい頭を、ごっそりと腕の中に隠しながら、
万一敵だったら、ということも考えて、御統を意識した。
息を殺して聞き耳を立てると人の声がしていて、どうやらそう近くではない。
男達が何人か、甲高く、調子良く言葉をやりとりしている。
酔っぱらい風情の連中と見た。
それならそう心配はないけど、一応声が聞こえなくなるまでと決めて、
腕を解放するのはもう少し後にすることにした。
「……いーよ別に。いまのままで」
「ううん、早く大人になる」
「そりゃ楽しみだね」
水浴もしないうちに、僕らはふたりしてびしょ濡れになってしまい、
かめを底から引っぱり上げて、水を汲みなおしはじめたころには、
月がだいぶ高く上がっていた。
普通子どもが起きてる時間じゃないけど、
昼夜逆転の生活を送る僕らにとっては、まぁ、まだまだこれからって感じ。
気を取り直して、水瓶に水を汲むときのコツとかを、
ついでに千尋にも教えたりした。
「ほら、こうやって傾けたら、さっき千尋がやったみたいに無理にかめを動かさなくても、
ある程度自然に入ってくる」
「……ほんとだ」
「こんどまたやるって言うなら、とりあえず半分くらいなら持てるんじゃない?」
「わかった」
千尋は集中して手元を見ているものだと思ってたんだけど、
小さい子は飽きるのも早いのを僕は計算に入れてなかった。
だから、ばしゃばしゃと上がった水音にふと顔を上げると、
千尋が勝手に岸へ上がるところだった。
「おい千尋! ひとりで行っちゃダメだって」
迷子にでもなったらシャレになんない。
すぐに追い掛けるべき場面だけど、水瓶は漸くいっぱいになるところで、
折角ここまで来たのにっていう、
けど、これ持ったら流石にいつものようには走れないっていう、
千尋か、かめか
いや、そりゃ千尋だけどさ。
「ちくしょ……」
「ふふ、ここまでおいでー」
羽衣はもうないのに、はしゃぐ千尋は月光にひらひらと、舞うように見え、
僕を煽りながらくるり、踊り、なお駈ける。
「ほんと止まれってば」
「そうだ、ねぇ那岐」
言いたいことがあったのか、千尋は素直に止まって振り向いた。
そう、そうして大人しくしててくれれば、かめを持ってゆっくり追っかけていける。
僕は腰を折って水に両手を浸し、ぐ、と持ち上げかけた。
「大好きー!」
全く予想外の千尋の言葉は、高く夜に木霊した。
(………なんだって?)
割れそうな、いつものまんまの笑顔に、
何で僕は、こんなにおそるおそる、目をあわせなきゃなんないんだ。
言葉もない、息まで止まってしまいそうな、子どもの遊びに翻弄されて、
僕はかめを放り出し、再び水底に沈めた。
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