◆Special Thanx for... かわら様
新聞なんて、いつもは気にも留めないのに、
今夜に限って開いてしまった。
千尋はリビングのラグの上、寝そべりながら真剣なまなざしを向けている。
(……だって話すことないし)
一人念じる言い訳が力ない。
話すことがないのなら、さっさと部屋に引き上げればいいのだとわかっているからである。
続きのキッチンからは、夕食の片付けに伴う様々な物音が聞こえていた。
三人分、しっかりこってりしたメニューの後で、
いつもより時間がかかっていることを知っている。気になってはいる。
千尋は目だけを上げて、シンクに向かってせわしげな、171cmの背中を盗み見た。
(ぜったい手伝いませんから)
そう言い聞かせたのはこれでもう何度目かのこと。
確かに、当番は千尋ではなく彼だ。
手伝ってあげる必要はない。言ったように当番は彼、しかし気持ちは少し後ろめたい。
テレビ欄はとうに過ぎ、社説を越えて、視線はまさに読者投稿の欄に入ろうとしていた。
熱心に投稿するひとならいざ知らず、千尋は普段、あることも忘れている欄である。
が、市民の投稿した話題は学校のこととか、家庭のこととか、大半は身近な文章で、
思わずシンクロして見入りたくなるタイトルもある。千尋はホウと肘を進めた。
『彼の気持ちがわかりません』
というような書き出しから始まるその投稿は、
年齢からしてもまるで自分が書いたのかと思うような内容だったのだ。
『つきあっていても、他の女の子に告白されたら、
やっぱり天秤を揺らしてしまうのが男の子なんでしょうか』
多分にぼかして書いているが、大筋、そのような感じである。
千尋は、数度深く頷いた。
「わかります」
声に出てしまうほど納得し、
さぁもう一度頭から読み直し、と思ったとき、もう一人の同居人である風早が、
風呂から上がって髪を拭きつつ、ホクホクと現れた。
「ん〜やっぱり、一番風呂は贅沢ですね〜。千尋、冷めないうちにどうぞ」
「風早、私いま」
「早く行ってあげないと、それだけ那岐が遅くなっちゃいますから」
風早の目線の先へ、千尋もつられる。那岐はまだ後ろ姿であった。
最近になって肘から下が長くなったような気がする腕は、
らくに届くフキン掛けから一枚、真っ白なのを引き抜いている。
「……はぁい」
千尋は、新聞紙をバリバリ言わせてへたくそにたたんだ。
立ち上がり、歩き出すと、手伝わないことの大義名分ができた。
◇
ひとりになって考える、風呂は汗を流すだけでなく、
そういうのに向いている場所の一つでもある。
その日は終業式であったのだ。
一緒に帰るのが普通の那岐が、今日に限って席に現れないのを知らないから、
やっと気付いた頃には教室はひともまばらになっていた。
どうしたのかな、とは思っていた。
まだ昼前の学校を一人歩き、階段を降りきると、廊下は生徒玄関方向と体育館方向に分かれる。
素直に玄関へ向かえばよかったのだと今ならわかる。
が、分れ道で立ち尽くした千尋には、その先でぽっかりと口を開けた体育館の入り口が、
妙に好奇心を誘った。
終業式から小一時間、生徒も教師も吐き出した後の体育館は、
今学期最後の仕事を終えて静まり返っている。
ワックスの照り照りとした滑らかさも、
原色のテープで引いたラインも、どこかよそゆき顔に見えた。
(へぇ……)
音に聴く七不思議とは、こういう時に見られるのかもしれない。
いや、その実物珍しさひとしお、それだけだったのだが。
ちょっとだけ、ちょっとだけ、そんな高鳴る思いを胸に、
上履きを鳴らさないように気を付けながら、ひとあしひとあし近づいて、
クリームのペンキが剥げかかる、鉄扉に隠れて覗いたのだ。
事件は、すぐ裏側で起こっていた。
(……那岐っ!)
そこまで思い出して、掬った湯をばしゃんと顔にかけた。
風呂は気持ちよくはいりたいのに、こんな回想はいやである。
こうならないように、入浴剤を追加して、
「ミルクの湯」を「クリームの湯」みたいに真っ白にしたというのに、
その先まで思い出すのは耐えられない。
顔を押さえつけるようにして、覆った手のひらはいいにおい。
石鹸と、シャンプーと、クリームの湯が混ざった濃い濃い匂いがする。
「那岐ぃ」
一年生か三年生か、二年の中ではみないから名前も知らないけど、可愛い子だったと思う。
だから仕方ないと思う、那岐のあの返事は。
―――好きだよ
鉄扉を隔てた背中の向こう、那岐は確かにそう言った。
(でも、確か、私は彼女のはず)
同居のイトコだけではない、一緒にいる為の理由が、できたばかりだったはずだ。
それとも、やはりイトコな彼女では役不足なのだろうか。
親愛と恋愛は、やっぱり同列で語れないのだろうか。
おんなじ名字でなかったらいいのに
「でも、すき」
手相を伝う水滴が、湯船に全部落ちきった後で、まだ流れて零れるものがある。
お湯と同じ温度、少ししょっぱいみずである。
ゆらゆら、底へ、おちてゆく。
◇
涙が止まるのを待ったから、少し長湯になったかもしれなかった。
それでも、洗った髪はすぐに乾かさないと、冬の夜気は思うより厳しいもの、
うなじのところで冷え固まって、あとでしんみりと震えるのはいやだ。
1200ワットの風力で、金の髪が暖められては舞っている。
まっすぐ見つめる鏡が、少しずつ曇って来る。
茹でたような身体を白いバスタオルで包んで、胸のところで端を入れこんで留めていたが、
あまり大きな胸ではないので、腕を動かすにつられて下がって来て、
時折巻き直さねばならないのが面倒である。
(……先着替えたらよかった)
いつも思うことだ。
半分ほど乾いたところで再度つつ、と下がり、また巻き直しか、とげんなりしたとき、
鏡の背景、扉が開いた。
「えっ…!」
背景に那岐が加わる。
千尋が入っていることを知らなかった訳でないのは次の台詞から明らかになった。
「まだやってんの」
「……だって寒い」
「こっちだって早く暖まりたいんだけど」
チラ、と一瞬目が合って、火がついたように恥ずかしいのは千尋だけか、
那岐は何事もなかったような顔で、その場で上の着衣を脱ぎはじめた。
暫し、モーター音だけが流れゆく。
「乾かす気、ある?」
「えっ、ある」
「ならいいけど、全然髪に当たってないよ」
「―――あぁ」
吐風口は明らかに天井を向いていた。
幸いなにを乾かす気なのかは言明していないので、開き直ってそのままにする。
しかし所在ない。こんなことをしていても、脱衣場やや上方の空気が乾くだけである。
「意地っ張り」
「っ…!」
那岐の声は一つ近づいていて、耳の後ろくらいにある。
鏡は確かに曇っていたが、一段高い肩と綺麗な鎖骨が、見えすぎなくらい見える気がした。
力の抜けつつある千尋の手から、那岐はドライヤーをもいで取る。
「あ……」
「乾かすんだろ、ほんとに風邪引くよ」
「い、いいって」
「良くないの。これじゃ僕がいつまでも入れないだろ」
温風は、漸く正しく千尋の髪にかかる。
うなじを指が逆撫でて、千尋はぞく、とふるえた。
「このまま全部脱いでいいって言うんなら、別だけど」
「そ、れはっ、……だめ」
「いま迷わなかった?」
「ま、まよってないっ」
正しくは、想像くらいはした、となる。
迷ってはいない、嘘ではない。
「ふーん」
「……なによぅ」
「別に」
千尋の髪は長かったが、まっすぐに細かった。
だから、那岐の手のひらの中で、乾かされてゆくのも早かった。
その気になってちゃんとすれば、ちゃんと乾くんだ、と思う。
「下がってる」
那岐は、髪からひととき手を抜いて、千尋の胸元のタオルに触れた。
指先は谷間へ差し入れられて、千尋は身を固くしたが、
そのままキュ、と引き上げただけで、また髪に戻る。
(そうそう、私の手は自由なんだから)
動転の所為で忘れていた。千尋は自分でしっかり持っておくことにした。
那岐が梳き流すことで、さらさらと毛先が整って、頭は軽くなっていた。
鏡のくもりが消えはじめ、那岐の表情がクリアになると、
納得できない気持ちがまた、思い出したようにして持ち上がってきた。
昼間のことは、夢なんかではない。
他に好きな子がいるのなら、千尋はもうすぐにいらない子になってしまうのだから、
こんなことは、してくれなくていいはずなのだ。
それとも、あの子もこの子も欲しい、というようなアレな事情なのだろうか。
投稿欄にもあったように、どっちも好き、なんて、言うのだろうか。
那岐に限ってと思いたいが、一体千尋にしたって、
どれほど那岐を知っているというのだろうか。
(湯船で泣いておいて良かった)
◇
千尋が腹を据えて、目をきつくもちなおしたのを、那岐はチラと盗み見た。
その、何か言いたげな顔に向かって、先にさらりと乾いた声で言ったのである。
「ケンカしててもひとつ屋根の下、ってね」
「……」
その無言の間に、千尋の髪は乾ききり、
那岐はひとつ撫でてスイッチを切ると、腕をうんと延ばしてワゴンに戻した。
このまま抱きしめたら怒るかな、と思っている。
ケンカと言ったが、始めたつもりは毛頭なかった。
が、家に戻ってから、どうも千尋は目を合わそうとしない。
話しかけても、何か噛んだようなやり取りばかりで、
夕食当番はいつものように手伝ってくれる事なく、苦労の末に終了した。
始めたつもりはなかったが、だが思い当たるフシはない訳でもないのである。
今日は、一緒に帰らなかった。
そのことで怒っているのなら対処は容易いが、
問題は、「何故」の部分を、千尋が知るか知らないかである。
「どう思う?」
「……ふべん」
「僕はそうは思わない」
「じゃぁどう思うの」
「便利」
無論、一つ屋根の下についての議論だ。
離れていたら、こういう面倒な事態が起こったとき、
電話かメールかで遣り取りしなければならない。
那岐はそういうのはやや苦手である。
面と向って遣り取りしても誤解されやすい自覚がある。
いわんや、隔てていれば尚更だ。
沈黙ばかりの電話、ヘタな文章で打ったメールなんかに、頼れない。
一緒なら、顔色を見ながら、距離を詰めて行くことができると思っている。
「こっち向きなよ」
「いや」
「向きなよって」
「……」
一向に向く気配がないなら、こちらが抱きしめればいいのである。
うしろからそっとつつむと、毛足の長いタオル地が、肌の柔らかさのとおりにへこむ。
「入浴剤入れ過ぎ」
「……だって」
吸い込まれるのは長い髪の間、鼻腔をいっぱいにする千尋の匂い。
鼻先で掻き分けるようにして、素肌のうなじに吸い付いた。
ぴくんと跳ねたのは一瞬で、すぐに拒否の動きに入る。
それは、那岐に、知っているんだと伝えるのに十分だった。
「や……っん」
「風呂でなにか、考えてた?」
「……那岐のこと」
「したいって?」
「っ、そんなじゃない…!」
とは言うが、那岐が胸の膨らみに左手を掛けて、千尋が逆らったのは最初だけ、
タオル越しに乳首をこり、と摘ままれただけで、ほろりと膝の力を抜く。
「っん、まだしていいって言ってない……っ」
「だめとも言ってない」
「す、好きな子いるんでしょう?」
やっぱり、である。
直に触れたいのを最大に飲んで、とりあえず動きは止めて、
那岐は辛抱強く、苦手な会話に専念した。
「盗み聞き? 良くないね」
降りたのは、長い沈黙だった。
堪りかね、左手だけでなく右手も増やして、胸を中央へ寄せてみる。
小さな胸に、無理矢理谷間を作るのが好きである。
「………わざとじゃないの。あれは事故なの」
「そ。じゃ、さっきの再現するから、千尋は女の子役して」
「……えええ?」
「事故でも、聞いてたんなら出来るだろ。つべこべ言わずにやる」
触れていた手は外す。再現なので、仕方がない。
千尋はゆっくり向き直って、面白くなさそうに目を上げる。
「言いたいことってなに?」
「え?」
「ていう会話で始まったわけ。はい、相手はなんて言ったと思う?」
「………私は、那岐が、好き。」
これは演技じゃないんだからね、というのは、千尋がこころの中だけで言ったことである。
「まぁそんなとこ。で、僕は、好きな子がいるって言った」
「それじゃ会話がおかしいよ、『好きだよ』って言ってたの知ってるもん!」
「そこだけ聞くからややこしくなってるんだろ」
那岐は一つ詰め、千尋は一つ後ずさる。
洗面台に千尋の腰が当たり、不自然に反っているのを、
那岐は更に身体を押し付けることで、距離をゼロにした。
たった10センチと少しの身長差は、こうなると大したもので、
那岐が意地悪めかした目に合わせるために、千尋はかなり上目遣いをした。
「どうせ聞くなら最初から聞けばいいのにさ」
「や……那岐怖いよ」
「じゃぁキスする?」
「……する」
女の子というのは、疑いながらキスをすると、目を閉じられないものらしい、
と那岐はこのとき知った。
視線は逸らし気味だけれど、那岐が唇ですることを、
ちらちら追うようにしながらつつましく応える。
「集中しなよ」
「できない」
たったそれだけの言葉を紡いだだけで、離れてしまう脆いキスだった。
名残を振りきれず、那岐がもう一度寄せようとすると、頬が向こうを向いてしまう。
両手を置いた小さな肩がよそよそしく、知らないひとの肌みたいで所在ない。
那岐はようよう降参して溜め息をついた。
「僕は、すごく解りやすいらしいんだ」
「……わかりやすくない」
「千尋が気にしてる、好きだよっていうのは、これの続きなんだ」
言うよ、と言って、那岐は千尋を抱きしめる。
できるだけの優しさで、手のひらを背中に這わせながら、こっそりバスタオルを緩めてゆく。
「やっぱり葦原さんが好きなんですか、って」
「―――」
「当たってたから、好きだよ、って言った」
「……那岐」
「それだけなんだ」
湯上がりの温度が冷める前に、薄い肌に染み込むといいと思いながら、
唇を素肌へ這わせながら言った。
「千尋が好きだよ」
「私も好き」
「さっき聞いたよ」
「台詞じゃなくて、ほんとに、ほんとに」
顔を上げた千尋の、背伸びた足元へ、ぱさりとタオルが落ちたのだった。
「那岐が好き」
ぶら下がるように絡み付いてくる千尋の、小さな胸を、
那岐が同じぶぶんで押しつぶしてゆく。
◇
脱衣所の灯りは消しておいた。
していることが、あまりにクッキリ鏡に映るのも、興ざめだと那岐は思っている。
もうちょっと見せて、と思うくらいがむしろそそられるのだし、
それには浴室から漏れ来るオレンジの灯りだけで、十分なのである。
洗面台の縁に手を付いて、俯いた千尋は浅い息を繰り返していた。
急激に熱くなった内側から指を引き抜くと、ぴちゃとぬめる液体が糸を引く。
「……いった?」
千尋はこくこくと頷いて、那岐は漸く、部屋着の留め具に手を掛ける。
ぜんぶを脱ぐヒマも惜しいのが、手つきからよくわかる緩め方になる。
いれるものを引き出して、その先を見て自分でぎょっとした。
「……すぐ洗濯するんだからいいか」
「え……?」
「こっちのはなし」
おかげでとてもいれやすくなったはずで、
まだ何度もしていない千尋の、きゅうと締まった入り口へ、ぐ、とあてて圧し広げた。
「あ……んぁっ」
「聞こえるよ」
「―――あ」
「嘘。寝た」
「……意地悪は言わないで」
一旦声を飲んだ千尋が、少しずつ深くにいれてゆくことでまた小さく喘いで、
やがてそんな声しか出なくなるのが好きである。
そうなれば、那岐が合間に少しくらい吐息を漏らしても目立たない。
「……せっま」
指でしっかり熱くしておいた所為で、那岐はまるごと真空にされて、
ピタと貼り付いてくる襞に先が埋まると、腰がふるえてしまう。
やや早い動きで始めたのは、早く緩めたかったのもあった。
「あっあ……っ、い……!」
「ん、いい」
鏡の中の千尋の顔を盗み見る。
ということは、那岐もいつ覗かれるかわからないということだから、
よくても、あまりかっこ悪い表情はできないのが辛いところだ。
(やっばいくらい可愛い)
自分のすることでこういう顔を引き出せる。
見ない方が身のためなくらい、ぞくぞくする物質が込み上げる。
紛らわせるつもりで、手のひらにちゃんと収まるサイズの胸を寄せて、
まるい先端を転がしながら揉みこんだ。
「や……だめ、」
「立ってる」
「も……っ、なんで言うの……」
硬くなった粒を弾いては、腰を使うのは簡単でない。
だから、先に出すことくらいは免れる。
ずるくても、男だから仕方ないと思って欲しいのである。
「ここ、すっごい濡れるね」
言った箇所を突上げて、いちばん太さのあるところで擦った。
「っんあ……そこやだ」
「ほらまた濡れる」
「那岐おねがい、だめなの、っあ、あぁ…っ、感じちゃう……」
洗面台に置いた小物が、カタカタと音を立てるほど、
那岐は身体をぴったりと合わせて、深く深くで揺らすから、千尋の言葉は切れ切れになる。
千尋が零したものは、太腿に伝っただけでなく、那岐が半端に下げた着衣に、擦れては汚す。
「ねぇ気持ちいい?」
「ん、ん……」
「気持ちいいって言ってよ」
「や……無理ぃ」
千尋は内側をひくひくとさせて、那岐が唇を這わせた首筋は、同じ早さで脈打っている。
赤い痕をつけるのは、いつもは制服から見えないところと決めていたが、
明日から休みだと思えば、そうでないところにつけたくなる。
やわい肌を唇のあわいで噛んで、きゅうと吸い上げると、千尋は酷くふるえて、
那岐の、埋めたなかみを締めつけた。
「那岐、なんかすごい……おっき……」
「千尋のせいだろ」
「わ、私?」
「ねぇなにがそんなにいいの」
「!」
那岐は意図的に、ゆっくりゆっくりにした。
入り口から奥まで、はいってゆく形がよくわかるように、
捻るようにして進めながら、いいところばかりを先端でつつく。
「これなに? はいってるの」
「……それは、那岐」
確かに、である。
「へぇ。上手く逃げたね。じゃぁ僕のがどうだって?」
「い、言わなきゃだめなの?」
「だめっていうか、聞きたい。千尋のやらしい声で聞きたい」
「そ、んなこと言われたら言えなくなっちゃう」
ゆっくりとすることで、千尋にも伝わったらいいと思っていた。
千尋だけでなく、ひくひくふるえているものは、那岐もそう変わらないということ。
「……なんて言ったらいいの?」
「僕のが気持ちよすぎていっちゃいそうって」
「……そ、そう」
埋めているのは苦しかった。
一挿しごとに近づいて来る、耳の渦巻きの奥で煩いほど打っている、終わりの足音がする。
「那岐」
「ん」
「耳かして」
千尋は、身体を捻るようにして、顔をこちらに向けていた。
那岐が首をもたげたところを、しっかり両手で包んで、耳たぶへ唇を寄せてゆく。
「ちょ、ちひ」
「那岐のが―――」
小さく、微かに、しかし、深くふかく、
沈めるように言い出したのは、本当に言うとは思わなかったことで
確かにあんなに煽ったのだけれど、それもそれで、
苛めないで、とか、泣き顔とかで、
絶対にそのうち自分の方が、絆されて許してしまうだろう算段があったからで
(―――まじか)
まさかこの鼓膜で本当になるなんて
思いもしなかったからで
「―――。」
言い切った千尋の言葉尻、句点がついて、どれくらいぽかんとしたのだろうか。
「……やるね」
「ふふ、見直した?」
「かなり」
これは本当に、腰を入れないとと思った那岐である。
「仕方ないね」
いかせてあげる、みたいなことを、自信ありげに言ったのだったが、
余力の方は、もう殆ど残っていなかった。
打ち付けるようにして、奥へ侵入したところで、
とぷんと波打つようなぬかるみに踏み込む。
「あ、あ……やぁ……ん」
「っ、ん……もう、濡れ過ぎなんだよ」
「だ、……っ、だってへんなこと……言わせるんだもん」
「だからってあんなにハッキリ言う事…っ、ないだろ」
包んだ身体は火照り上がる。
照明は十分でなくても、色までわかるようだった。
「や、あっあっ……そこいい」
「っ、どこ……!」
「いまの、んぁ……ぁ、いきそう」
「ん」
両の手で、しっかりと腰を支えて、腫れ上がったもので突き上げる。
長さのあるぶぶんが、引いてくる度に濡らされて、また奥へ飲み込まれる。
探り探り、一際熱くて狭いところへ、間違えずにいれたかった。
「那岐、いっちゃう……あ、あ―――」
「っ、だめ、出る」
「んぁ―――!」
ひどく波打つ身体を、ままならぬ腕で抱き寄せるのを、
鏡はどう映したのだろうか。
(僕はいいけど)
せっかくにも湯上がりの千尋の肌まで、ぺたぺたに汚れていた。
「……仲直りついででごめん」
「……ついでだったの?」
「正直」
小言は、湯船の中でたっぷり聞こうと思った。
◇
次の朝、学校もないのに先に起きてくる那岐である。
(めずらしい)
キッチンから察するのは風早で、炊飯器の前、用意していた茶碗を一つ増やし、
フライパンのスペースに、タマゴを追加で割り入れた。
眠そうに席についた那岐は、となりの空いた席を見る。
「……あんたもう起きてたんだ」
「あ、那岐おはよう」
「……おはよ」
「那岐が先に起きて来るなんて珍しいですね。千尋は?」
リビングにも届くよう、風早にしては高めに声を張り上げたあとで、
長い長い間があった。
そう、その間にはタマゴも焼ける。
ホカホカと湯気の上がるプレートをテーブルに乗せ、風早は那岐のあかい顔に気付く。
寝起きの色に紛れた、また違うなにかが読み取れそうな表情をしていた。
「……まだ寝てた」
「そうですか。起こして来たら?」
「はっ?! あんたが行けば?」
裏返りそうな声音は、断わるというより取り乱しているに近い。
ほう、なるほどそういうことらしい、と思った。
「はは、ま、でも冬休みだしね。先に二人でご飯にしますか」
「あんたとふたりでなに話すんだ」
「いいじゃないですか、たまには」
「……いいけど、余計なこと聞くなよ」
「余計なことって?」
「……別に」
那岐は据え膳の箸を取り上げる。
夕食当番や風呂掃除当番の次の日に、朝食当番が当たることは決して無い。
それは風早が、当番表を作るときにいちばん苦心している一点だからである。
昨夜どちらも当たった那岐は、この朝は大手を振ってラクしていいのだ。
が、空席を隣にして食べるのは、少々食が進まない。
何故なら、後から起きて来た千尋が一人で食べることになるからで、
起こしてやったほうが良かったのかとか、半熟タマゴは千尋も好きなんだよなとか、
様々に思案しているのを読み取るのは、風早には容易なことであった。
そして、キッチンの扉からちょこっと顔を出してもじもじしている千尋にも、
本当は少し前に気付いていた。
「あ、千尋、起きたんですか」
その声に、那岐は面白いほど反射的に、反対の方向を見たのである。
「あ、お、おはよう。寝坊しちゃった」
千尋は極力平気な足取りで、極力いつものように那岐の隣に立ち、しかし椅子を引くのに少々迷っている。
こっちがこそばい風早は、早くつきあってます宣言を聞きたい者のうちの一人である。
「何してんの、座ったら?」
那岐が先に声をかけた。視線はそらしたままである。
「あ、あの……えっとおはよう」
「……忘れたの? ここだろ、千尋の席」
那岐が無造作に引いた椅子に、千尋が腰掛けたと同時、那岐は箸を置いて立ち上がる。
「那岐……」
千尋はややしゅんとしたが、風早はちゃんとわかっている。
今、千尋の席にはランチョンマットのみで、なにもない。
ご飯と味噌汁だけは三人分作ってあるが、それ以外はまだ何も、できていないこと。
那岐が向かった先はそうキッチンである。
冷蔵庫の開く音がして、那岐にしては張り上げた声がリビングに届いた。
「半熟? かたいの?」
「は、はんじゅくで!」
千尋の顔に笑顔が戻る。何よりである。
「千尋、新聞は?」
「え?」
「あれ、今日は読まないんですか、読者投稿」
「あー、うん、あとで」
師走はそろそろ終わり掛け、タマゴの焼ける匂いが、葦原家リビングに充満する。
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