◆Special Thanx for... 虎まる様






− To Go or Not to Go −




おはよう、っていう、そのひとことも
洗面台の鏡の中で、一瞬だけ目が合ったその顔も
昨日までとちょっと違う気がした。


そう、朝からそんなだったなぁと、
学校が終わって暮れゆく夕方、彼の背中を見ながら思っている。
濃い濃い金色の陽が、見慣れた肩を染めて、溶けそう、なんてふうに見えて


(昨日までもそうだったのかな)


と、しっかり思い出そうとすると、不思議と朧げだったりする。
いつも一緒にいるのにこれだから、一緒じゃなかったらどれだけ心許ないことだろう。


パンツのベルトは、よほど緩く緩く締めていると見えて、やや下がり気味の膝下に皺を作ってたわんでいて
それは、雨が降ったところを歩いたりすると、後で冷たく貼りついて、やな思いしないのかって聞きたい。
並んで歩いているばかりでは、わからない事もあったんだと思った。


さらさらの髪、荷物を持たない方の手はポケット、
何も変わらないはずの那岐について、
けれど確かに、何かが上書きされた気がする。


それは、たったひとつのことばから。
私が言った、一つの言葉。


「ねぇ、手、繋いでいい?」


寒かったのはほんとう。だけど、理由はそれだけではなかった。
努めてあっさり言ったつもりでも、そのへんのよこしまなぶぶんを、嗅ぎ取られてしまったのかどうか。
本当のところは分からないけれど、那岐は勘がいいから、その線は濃厚だと思う。


あれから24時間も経ったのに、返事を未だ聞いてない。
今朝の登校の時も、そわそわしながらチラチラ伺っているというのに
宿題やった?と、お弁当にパセリ入れてないよね、っていう確認があっただけで
手を繋いでいいかどうかはすごくきれいにスルーされたまま、
私の手は冷たいまま、


一日は今に至る。


昨日より少し、那岐の歩幅が広いから、
背中に見とれて知らぬ間に、遅れて小走りになる事多々。
朝より悪いことに、喋ってもくれなくなってる。


「早いったら」


一人で言って追いついて、無理矢理となりに並んでみて、わかったのは、
私も、那岐の顔さえ見れなくなってること。
道路工事の終わったばかりの、舐めるような黒さの歩道。
ふたり、アスファルトを踏む靴音は、こんなに大きかっただろうか。



次の信号がくるまでに???


そう決めた。
赤か青か、知らないけど


次の信号までに、答えが聞けなかったら、
もう那岐のこと好きにならない。
好きと思うことで、顔も見れなくなるなんて
喋ってもくれなくなるなんて


こんな思いは、次の信号までで十分おなかいっぱいになれる。


「後悔しても知らないんだから」
「はぁ?」
「……知らないんだから」


前髪と括るぶんとをきっちり分けた辺りに、途切れがちの視線を感じてる。
意味分からないこと言ってると思うけど
好きなの私だけってそんなのまえから知ってるけど



ていうか、なんで分からないのって思うじゃない



唇を噛むみたいにして俯いて、そればかり思っていたから
歩幅がいつの間にかそろってることに、
私は気づいていなかった。


はぁ?から一言も進まない会話と、
相変わらずおでこのあたりに刺さる視線、気まずいのは、私が顔を上げられないから。
那岐の顔を、見れないから。


「もう…何かついてる?」


いたたまれなくて、おでこを押さえたはずの手のひらだった。
するんと滑った、のではなくて、どうやら同じ質感に包まれているのだ。
跳ね上がる鼓動にはっとして、繋がれたところに目を落とす。


これが、那岐の手。
そして、これが、那岐の顔。


「……えっ!」
「じゃないよ。信号、赤」
「あ」


見るものは、那岐の顔から止まれマークの赤い光に変わった。
私の靴は、もう少しで、車道のしましま模様を踏むとこだった。
へへ、と力なく笑って、足を一歩退く。


「知ってるとは思うけど、青になったら渡る、念のため」
「……うん、知ってる」
「バカ」
「ばかじゃないもん」


目の前で、幾つも通り過ぎてくクルマを見ながら、
このままずっと赤だったらいいのにって、いま初めて思っている。
すぐに、ほどかれてしまうんだろうと、ちゃんと心の準備をしながら、
けれど、手はずっと、那岐に結ばれたままで、



思い違いでなければ、それは少しずつ、強くなっていて



そんなに心配しなくても、赤のときは止まるべきって、ちゃんと知ってるよ
なんて、那岐が力を強くする理由が
そういうことではないといいのに。


「どうせバカなこと考えてたんだろ」
「ばかなことって?」
「だから。……僕が忘れてるんじゃないかとかさ、取り消そうかとか、ネガな感じに」
「―――わかってたなら」
「青」
「……っもうー!」


話が進もうとする時に限って、こんなふうに中断させられる。
那岐は私の手を引いて、私は引かれて、大通りを少し急いで渡りはじめた。


「千尋ならどうなの」


弾む息の向こう、那岐がそんなことを言った。


「なにがー?」
「例えば誰かに手を繋ごうって言われたら」
「……それは」


那岐なら。
私は、那岐なら、すぐにだって


そうは言えないまま、しましま模様は終わって、
歩幅が、またてくてくに戻る。
ここからは住宅街で、左右の視界が狭くなり、急に、とても静かだ。


「ほら、そうだろ」
「……」
「そうそうすぐに、はいそうですかって、できるわけないじゃないか」
「……他の人ならそうだけど」
「僕は逆」
「ふうん……」


逆、逆、逆。
逆って何だろう。


「私だから、繋ぎたくなかった、とか?」
「広義ではそうもなるね」
「……他の人なら、すぐにでも繋いだ、とか」
「すぐにでも断るって意味」


ぶっきらぼうな言い方なのに、それは何故か、私の頬を火照らせる言葉だった。
指の、足の、つま先の末端まで赤くなってしまった気がする。
こんな手で、繋いでいても、いいんだろうか。
他の人なら断られてしまうらしい手のひらが、それでも今、繋いでくれているのは、
汗ばみつつある、私の、手のひら。


「―――え?じゃ、じゃぁ」
「もういいだろ、余計なこと言ったら放すよ」
「っ、だめ! ……それはだめ」


抜けてしまわないように、こんどは私から握り返して、
那岐はため息をひとつついた。


「……最後の一つで合ってるよ。多分、ね」
「私も、多分、そうだと思う」
「……そ」


明日の朝も、繋いでくれる保証はないから、
家に着くまでに、覚えておくことが出来ればいいと思った。



那岐の手って、こんななんだ、っていうこと。






− To Go or Not to Go・完 −





虎まるさまから那岐千・健全でリクしていただきました!
日記で那岐のズボンケツ履きが見たい!と叫んだのを、いいですよね!とおっしゃって下さったので、真に受けました(…)
絵が描けたら、気崩した那岐とかネクタイ緩んでる那岐とかめちゃ描くんだと思います。
文なので想像してもらうしかないんですけれども、この那岐ケツ履きで、ひとつよろしくお願いします(笑)
ふたりして絶賛片想い中の現代那岐千が大好きです。千尋ちゃんは、那岐も好きなのかな、今のそうかな、両想いだったらどうしよう!って悶々としてたらいいと思います。
那岐は気づいて知らん顔だとさらに萌えたり^^すごく楽しく書かせていただきましたノ!
虎まるさま、リクエストありがとうございました!

2009.11.22 ロココ千代田 拝