せがむのをやめない千尋に、とうとう根負けして、
少し前の話になるけど、と切り出した。
そして、すぐに済む話でもないから、千尋の、白い肩が冷えてしまわないように
シーツをすっぽり着せてやる。



いや、ていうかほんとにきまり悪くて仕方ないから、
今から僕が話すこと、半分に聞いてくれればいいからね。





02 あなたの幸せ   
−How Shall We...?−







夕焼けが消えて、頭上の空はそろそろ灰色まじりで、雲が薄い紺色に変わっていた。
千尋は、腑に落ちない、という雰囲気を背中にありありと纏わせながら
僕の少し前を、一歩ずつ噛みしめるみたいにして歩いてる。


「やっぱりへんだよ。」
「……はぁ?」
「那岐が。」


失くしたものが見つかるかもしれない、そう言って連れ出した先が
少なくともふたりでは、これまで一度も来たことがない海だったことで
千尋はずっと、よくわからなそうな表情だったり、言葉だったりしていた。


僕にもほんとうは、確信があった訳ではなく
水の向く先、というか、ここを見ておきたい、っていうような気持ちだったから
結局、何のために来たんだっけ、みたいな雰囲気だ。
そんな千尋を、


(どこまで送ろうか)


なんて考えてることがバレているんだろうか、千尋はとうとう足を止めて、
さっきまでより一層、怪訝な顔で振り向いた。
短くなった毛先が、肩の線ギリギリを掠めて、くるんと綺麗に翻る。


「那岐が言おうとしていることを、当ててみてもいいですか。」


多分に拗ねたような声だった。
ですます調を使うときは、欲しいものがあるときか、怒ってる。
そのどちらかである千尋だ。


「どーぞ?」


僕も足を止めて、手はポケットに突っ込んだ。


「『僕のこと、あきらめて欲しいんだ』」


似てないね、って思ったけど伏せておいた。
似てなかったけど、当たっていた。千尋には適わない。


「………うん、それもある。」
「うそ。そればっかりのくせに。」


千尋は勢いづいて、数歩を素早く詰めてきて、
僕は一歩、引いたんだけど、間に合わなくて、
薄っぺらい胸の、上着の身頃がひらいたとこへ、千尋はしっかり収まってしまった。



ちょっと、ねぇ、抱けないんだって



そんなこと、されたって、僕は腕を回してなんかあげられないのに
いい匂いがして、柔らかくて、泣きたいくらい可愛い子が
ずけずけと僕の領域を侵す。
波立ってはいけない心のまんなかへ、水銀のような雫を落とすんだ。



やがてさざめく輪郭が届いて、抑えきれなくなる前に、あふれてしまう前に



そう、引っぱがして、突っぱねて、
前のように言ってやったらいいんだろう。
僕はひとりでいたいんだ、入ってこないでくれ、そう言えばいいんだ。


だけど、僕は、僕だけは
こういうふうに千尋と会うのは、これでおしまいにしようとしてることを知ってる。
夕焼けの浜辺を後にして、天鳥船へ、いまは一緒に帰る途中じゃなくて、
送ってく途中なんだってこと



僕だけは、知っているから



前みたいにはとても言えずに
出来るなら抱きしめてしまいたいくらい、いま、君が可愛いよ。
だから、幸せになって、欲しいんだ。


「―――そうだね、それでぜんぶかもしれない。」


僕が腕をまわさないから、貼り付いてるだけの千尋は、
大きな強い目を上げた。


「そんなこと言っても、私あきらめないよ!」
「千尋」
「いまに始まったことじゃないんだから!ずっとずっとなんだから!私は那岐を」


その先を聞きたくなかったから、思わず肩をつかんで胸を離した。
流石に千尋も、固く目を閉じてしまって、びくんと竦めた様子を見せたけど
でもそんなじゃ、全然効果なかったみたいで


「私は」
「千尋ってば…!」
「那岐が好き!」



――――最低だ。



なにを紐解けば、これに続ける僕の答えの最も最適な例が見つかるだろうか。
何もかも放り投げて、駆け足で船に帰れば、たくさんいる男のうちの誰かひとりくらいは、
或いは対処法を知っていたりするだろうか。


でも


この窮地に陥ってもなお
僕のなかみは千尋が全部占領していて
優先順序を書き記したリストは、いつも千尋が一番上で
こんな時でも入れ替えが効かない。


僕はもう、二度と、千尋を失ってしまいたくない
同じ失敗は、もう、出来ないんだ。


「遠慮なし。」


なるだけいつもの調子で、言ったけど、
これ以上近付けたらキスになる、っていうくらい、僕は千尋に攻め寄って、
でっかくでっかくなった目を、刺し込むように見てる。


「……な、ぎ。」
「千尋はいつもそうだ。親しき仲にも礼儀ありって、知らない?」
「……知ってるけど。」
「僕は前に千尋に言った。僕の心を波立たせないでって、ちゃんと言ったはずだよ。」
「それも知ってるけど。」


自分で思うよりも、僕は余程、優しく映っているみたいで
千尋は珍しくもじもじと、目を合わせたり逸らしたりしてる。
今海へ戻れば、探し物が見つかるかもしれない、って思った僕だ。


「……私ずっと片想いなのかな。」
「………。」
「ううん、私じゃなくても片想いなんだ。」
「―――いいじゃないか、僕みたいなタイプはその方が幸せなんだ。」
「それって、幸せ、かなぁ。」


千尋は、独り言みたいに言って、帰るほうへ向き直った。
肩に置いてた僕の両手は、するんとあっさり滑り落ちた。
だいぶ翳ってきたから、ほんとうはもう少し、送っていきたかったけど
多分、このあたりで制限時間一杯っぽい。


「ねぇ那岐。」
「なに。」
「そういうふり方は、あまり良くないと思う。」
「……ごめん。今度から気をつけるよ。」
「今度って」


うん、今度って、なに言ってるんだろうか、僕は。
自分でも、支離滅裂具合はよくわかってる。
けど、好きな子をふるときの男ってこんななんだって
いつか機会があれば、思い出して欲しい。


そんな男、とても、珍しいはずだよ。


ひとり、船へ戻って、千尋は、泣いたろうか。
ここからじゃもう、わからない、わからなくて本当に、ごめん。


もう子どもじゃないのに
抱きしめようと思えば、痛いくらいにすることができる身体を持っていてさえ
僕の心はしがなすぎて、
置いてきたのは僕だってのに、まだ思うんだ。



好きだよ、ほんとうに、好きだよ。



その言葉は、どう頑張っても言えないことを知っていた。
けれど、ほんとうにほんとうに言えなかったなんて
ああ、何かがあふれてくるんだ。
抱けなかった君の代わりに、何かが飽和して僕を包むんだ。



もう大人になったっていうのに、僕は、泣いてしまいそうなんだ。



どうしても千尋が、ずかずかと入って来るのを真正面で受け止められなかった。
こんな守り方じゃ横路逸れてるって、そういうふうに思われてしまうって
ほんとうは知ってた。


そして、その日は静かにやってきて、僕はまた、別れた日の浜辺に立っていた。


息を深く吸って、黒くて大きな、殻の龍を、凪いだ気持ちで見つめていた。
深く深く沈めた熱が、全身を鳥肌に粟立てて
僕の内側から漲るちからと、鬼道が流れ込むのが溶け合って、意識は一層明確になってゆく。


御統に、連なる石を擦りあわせて、きしきし音をさせた。
ちからを、額の裏へ集中する。


これが、きみをしあわせにする、僕にできるたったひとつ。


「守るよ。」


たった、これだけの世界だ。
両手を広げたぶんと、あとは目を閉じて、想像できるだけの周囲。
僕のそれだけの世界を、君が埋めて、埋めて


それだけで、何だって出来る気が
その時の僕にはしていて



千尋が流したであろう涙のことを、そのまるい世界の外へ、蹴散らせると思った。



そして、不穏に嘶く雷鳴を押し流す。
頬を撫でてく生温い風ごと、君を喰らうという全てのものを、薙ぎ払う。
その為に僕は、薄っぺらい身体に似合わない力をもって生まれた。
諳んじた詠唱は、もう随分前から突っかからずに言えるようになっていて、
いまや、たゆまなく澱みなく、口から滑って流れる。


そして、最後に空、高く高く投げるものは、5年とプラス、半年分の
君と過ごした思い出をぜんぶ。
僕が、それを見ることが叶わなくても、君がそこで笑っていれば
どこにいても、みにあまるほど幸せだ。



あぁ、遠くで君の声がする。









「ほんとうに、そんなこと思ってたの?」
「……思ってたんだから仕方ないじゃないか。」


途中で何度か、早く寝なよ、って言ったのに、もう少しもう少しとせがんで、
千尋は僕の、きまり悪い思い出を最後まで聞き出したがった。
こんな面白くもない話、ピロートークにもならないし、
そしてこの先は、本当に格好悪いだけの僕がいるだけだから、絶対やだって断った。
どうせ好きな子と一緒に寝るなら、僕だって楽しい話したい。


千尋を守ると、心で大見得を切って、あの日よくよく格好つけて千尋を置き去りにした僕は、
結局千尋の、類い稀なる勇気によって守られたっていう、盛大なオチがついてしまって、
少しずつ落ち着いたいま、穴掘って埋まりたい気持ちでいる。


この世のものが、すべて陰と陽とに分けられるとして、
僕はどう考えても陽ではなくて、千尋はどう転んでも陰でない。
陰と陽が最大限の力を使って、それぞれに大切なものを守ろうとした場合、
陽がする守り方のほうが、成功したあと幸せなんだってわかった。


だから、僕らはまた、ふたりでいられる。


話せるぶんだけとはいえ、洗いざらい話してしまったら、
それはそれは恥ずかしくなって、もう顔見てられないから、
千尋の額を、ハダカの胸にくっつけるみたいにして抱きしめた。
シーツがふわり、浮いてまた沈んで、よく陽に干したあとの匂いがする。


「……ありがと。」


小さく小さく言ったのは、いま伝えられる精一杯の気持ち。


「ん、どうして?」
「僕が千尋だったなら、帰ってこようなんて、思わなかっただろうから。」


どこをどうやって、あの浜辺に帰って来たのか、
今となっては知ることができない、と千尋は言って、
ただ、僕と一緒にいたいから戻れたのかもしれない、とも言って


好きになったのが、幾分無鉄砲な子で良かったって
僕は本気で思ってる。
だって、そんな千尋なら、僕は、きっとなくさない。
怖がる必要なんか、もうどこにもないんだ。


だから、君が、晴れて王になったその時には
ひたひたと忍び足で訪れるであろう両手いっぱいの苦難を
僕もはんぶん背負っていい?


そうは見えないかもしれないけど、ほんとは面倒見いいんだ。


4分の1だか16分の1だか、気休めくらいのものだけど
幸いにして確かに、同じ血が流れてるってことを言い訳にして、
僕になら、幾らでも甘えてくれていいから、



千尋が、世界で一番、幸せな王になればいいと思う。



「ねぇ、幸せ?」


尋ねた千尋は、ようやく眠そうな声になってた。


「うん。」
「あー、よかった。」
「だから、もう絶対、離してなんかあげないよ。」
「私も、もうふられてなんかあげない。」
「……ほんとごめん。」


一生ぶんほど、借りができているらしい。
こんなじゃとても足りないけど、僕は千尋に、申し訳程度のキスをした。


そろそろ、月が空の真ん中へ昇る。
澄み渡り始めた空気が、これから少しずつ、もっともっと、冷えてゆくけど、


大丈夫、今度こそ僕は、君のそばで
縮こまってく身体を、暖めたいって思っている。


「ねぇ千尋。」
「……んー?」
「ん、いい。おやすみ。」
「おやすみ。」


眠ったあとの千尋の夢に、届くといいと思いながら、
僕も、重くなった瞼を閉じた。



少し、先の話をするよ。



僕より先に起きる君に、お願いがあるんだ。
ある朝、目覚めた窓の向こうが、胸のすくような真っ白になっていたら、
その足で枕元まで戻ってきて、僕を起こして欲しい。
多分僕は文句言うかもしれないんだけど、ひるまないで、起きるまで呼んで欲しい。


そして、凍えないように着込んだら、手袋役は僕がする、っていう、
まぁそれだけの願いなんだけど、


この手のひらいっぱいで出来ることがあるって気付いた僕は、
その日最初のあしあとを、ふたりでつけに行きたいんだ。
てんてんと、続く未来のむこうへ、僕は君と、行きたいんだ。










- 02 あなたの幸せ 〜How Shall We...? - 完



                                  




お題『7つの小さな恋』から『あなたの幸せ』でした!

いままでずーっと千尋のそばにいた那岐が、それじゃだめだって決めちゃったところ、
風伝峠の海のシーンは、数ある那岐千スポットの中でもかなり好きです。
そんな那岐の心の中で、ずっと思ってて欲しいこと→「そりゃふたりでいる方がいいに決まってるって知ってる。」
なんかこのイベントばっかり書いてるような……うん知ってる 笑
お題はこちらからお借りしています ◆Mike and Betty様

2009.10.02 ロココ千代田 拝





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