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十八年という年月は、果たして長いか短いか。
僕の自覚の範囲では、少なくともまだ飽きてない。
けど、同じだけの時間、同じ毎日をもう一度繰り返すがどうか、と尋ねられたら、丁重に断わりたい。


少し話は飛躍するけど、ついでに。


この世界は、果たして狭いのか広いのか。
一ヶ月ずつ、新しい家を買って、新しい土地へ引っ越しても、全部回るまでにきっと死ぬ。
それだけの広さの世界。
知ってるより、知らないことが多いから、狭いと言うのは間違いだ。


でもって、そのうちのどこかの地点に、きみより可愛い、まだみぬひとがいるから、
もう一度生まれ直してみてはどうか、とそそのかされても、
僕は丁重に断りたいと思う。









06 この広い世界で








「ふたりでいっしょに暮らしたいな。」
「王がそんなこと言っていいの?」
「いいじゃない、いまくらい。」


豊葦原中つ国、橿原宮王宮現在、千尋の部屋は幾つかあるが、
いま彼女に向かい合っているのはそのうちの執務室と呼ばれるところ。
執務、なんて大袈裟だ。
国のイロハからマツリゴトのこと、その他付随する何だかんだを、
僕らは一から教わってる段階。


椅子がやや高いのか、千尋は足をプラプラとさせて、
丸いテーブルにその振動が、僅かながらに伝わって来る。


「ねぇ、書けないんだけど。」
「え?」
「揺れるの。……ほらまたヘンな字になったじゃないか。」


千尋は、あぁ、と目を丸くして、大人しく膝に手を置いた。
いや、手を置いてる場合じゃないだろ、って言ってやりたい。
今はほんの中休みで、15分だか20分だか、先生交替の為の狭間だ。
次は軍部規定という講義で、当たり前のように忍人―――葛城大将軍から教わる訳で、
やつが僕らの真ん中に椅子置いて、咳払いを一つ始める前に、
最低限の予習はしとかないと色々と面倒なの、知らない訳じゃないだろ。


「せっかく休み時間なのに。」


僕の思惑を他所にして、千尋は頭を一つ、近づけた。


「だから今のうちにやっとかないといけないんだろ。」
「今のうちにすることあるもん。」
「ならそれをやりなよ。」


素っ気なかったんだろうか、ふーん、と、千尋が出したその声は、
多分に気分を害したニュアンスが含まれていた。
けど、僕としては時間がないから、構うのは後回しにして硯に筆を運んだ。


「もう!」


先が墨に浸かったか浸からないかのところで、
あからさまな苦言と共に小筆が奪われて、僕の左手はカラにされた。
反射的に顔を上げて、僕らはこれで、やっと目を合わせたことになる。


「な、返せよ。」
「いや!」


僕は半分意地になって腰を浮かせた。
千尋も負けじと立ち上がったとこまでは、売られた喧嘩買ってやるって言うような気持ちだった。



―――んだけど。



千尋が上半身を乗り出して、顔を少し傾けて、顎にさらりと髪がかかったとき
そうかキスがしたかったのかと、やっと思い至れた僕だ。
にもかかわらず長い睫毛はほんのそこで止まったまま、もう少しっていう距離を詰めない。


「……待ってんの?」
「うん。」
「なんで?したいならすればいいじゃないか。」


僕はテーブルに両手を付いて、体勢を整えたあとで、そんなにない隙間をもう1/2狭くする。
くっつかないように注意しつつ、唇と、青い目のなかみに、焦点を交互に合わせた。


「ねぇ、しなよ。」
「やだ。」


睨むみたいだった顔が、甘く緩みつつあるのは千尋だけじゃないかも知れない。
遅かれ早かれどちらかが、きっと残りの1/2を、詰めてしまう、
明確な予感が心拍を上げさせる。
一気にゼロにすればいい距離を、千尋はわざわざまた半分だけ少なくして喋るから
うっかり接触事故が起こりそうだ。


「那岐が好き。」
「そんなのずっとだろ。」
「那岐もおんなじだったくせに。」
「そうだよ、悪い?」



この、減らず口。



小さく言っても聞こえるから、そんなふうに声にして、
事故にならないうちに僕は、最後の隙間を埋めた。


ほんのり触れるだけでお茶濁そうと思ってたのに、
表皮を一枚重ねたら、その奥にもっとやらかいぶぶんがあることを
思い出してしまって僕は


そうしないうちにすっぽりと、ちっちゃい唇を含んでしまっていた。


「ん……」
「まだだよ。」


かたん、と軽い音がして、僕らのあいだを筆が転がってく。
教科書のほうが汚れたならあとできっと怒られるんだろうけど
そんなことはもう、かまわない。


ついばむように繰り返し、くっつけてはつぶして、
漏れる息まで飲み込んでしまいたくなる。
ここにベッドがなくて良かった。


いつのまにそうしたのか、離す時にはまるっと頬を包んでいて、
手のひらのあいだの千尋の目は、少しだけ潤んでいた。


「ごめん。やりすぎた。」
「……はじまるね。」
「集中しなよ。」
「……できるかな。」


何気に煽られる言葉だってことを、知らないらしい千尋の、
僕が濡らした唇を、親指の腹を使って拭った。
つづきはあとで、もうしない、って、
気持ちにフタをすることの難しさを、僕は改めて学習している。


元そうだったように座り直したら、小筆はノート(として使っている白い巻きもの)のほうに転がっていた。
まぁ、助かったと言える。
なに喰わぬ顔になってるか、髪の毛乱れてないかとか、互いに微調整の意見をした。


「ね、ふたりで暮らせたらいいと思うでしょ?」
「まぁね。」


僕は筆を持ち直して、先を整えつつ墨に浸した。
千尋はそう思っても、いいと思う。そう、今くらいは本音を言ったって、かまわないと思う。


けど、僕が言ったら贅沢だ。


限りなく公のものであるべき千尋が、そのいちばんに僕を好きだと言う、
それが何よりの特権だからだ。


へんな話どこにいたっておんなじなんだ。
手を伸ばしたら触れられる距離を、わざわざ少しずつ詰めて遊ぶくらいの
それくらいの空間があれば、



あとは、千尋がいれば。



ちっちゃい部屋に、ちっちゃいベッドしかなくたって、簡単に指を絡められるほうがいいんだ。


「終わったら、部屋来る?」
「つづき?」
「まぁ、そんなとこ。」


赤くなりそうだから手を休めないで、上手くもない字を追っかけながら言った。
僕の目が届くのは、たったこれくらいの範囲だ。
だからせめて、できるだけ長く、出来るだけたくさんの時間が、千尋で埋まればいい。


「あとふたコマかぁ。」
「難儀だね。」


そうだよ、結構大変だったんだ。
世界中を回るのと、大差ないくらい、千尋を僕の腕に抱くことは


僕がぎりぎり、やっと叶えた夢なんだ。














- 06 この広い世界で - 完



                                  




お題『7つの小さな恋』から『この広い世界で』でした!

恋してるときっていうのは、もともとそう広くないじぶんの世界が、
もうほんと狭くなる気がするんですけども(笑)
那岐は結構な期間、自分のカラのなかにヒキコしてたんだろうけど、
その時期にさえ千尋のぶんだけは空けてたんじゃないかなぁと垣間見える可愛さ。
ここが那岐の私的喝采ポイントであります。

お題はこちらからお借りしています ◆Mike and Betty様

2009.05.23 ロココ千代田 拝





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