05 時々、思い出して






裸足になって、寝転んで空をみる。
擦り切れそうなヒコーキ雲は、もう多分、見ることはなくて
あー、消えてっちゃうよって
淋しそうな顔をする君も、だからもう、みることはない。


あのときより、少しだけ広くなった背中は、鏡のような水辺の、サラサラの砂の上、
昼の太陽の名残で暖められて、今どうしても、手を繋ぎたいと思ってる。


隣で同じように、細い足首を投げ出して、仰向けに寝転がる千尋へと、
手首に少しの勇気を持たせた。


翼のように、軽く広げた腕の先、
上向きに、くるんと丸まった手のひらを、
全て包むことはできなくて、


人さし指と中指だけ、
いつか行った浜辺で、千尋が集めた貝殻みたいな、小さなまるい、爪をつまむ。


雲を見ていたのか、睫毛を揺らす風に耐えていたのか、
ただまっすぐに、大きな目をぱっちり開けてた横顔が
ゆっくりまたたいて僕を見返った。


「もう帰る?」


わざと、ゆっくり歩いて遠回りしたのに、もうそんなことを言うんだ。


僕らは野営の薪を拾いに来ていた。
橿原宮のてっぺんを、木立の隙間に見やりながら、
僕はどの班にされるんだとか、ナーサティヤは強いだろうから気が抜けないねとか
あんまり面白くない話ばっかり、散々繰り返したけど


二人分の腕いっぱいに枝を抱えた頃、山を下り始めて、
もうひとつ道が交わる、少し広くなったところまで歩いて、視界がぱっと開けた。
上がっていた息が、ふかい溜め息に変わるくらいの、パノラマだった。


その、あんまり綺麗な夕焼けを、あまりに素直に綺麗と言って
見とれるみたいな顔をした千尋。


いや、その、オレンジを透かしたような顔は、
とても、とても、可愛かったんだけど
そのとき僕の脈拍が、音を立ててひとつ、こつんと打ったのは、
その所為じゃなかった。



学校からの帰り道には、そんな事は一度も言わなかったから。
だからあのころの僕は、僕がいなきゃダメなんだって、大層な事を思っていたんだ。



夕焼けは綺麗だ。それはそうなんだから仕方ない。
綺麗なものを綺麗と言う千尋、何も不具合なんてないはずなんだ。


けど、僕は、そんな空に嫉妬した。


何だかちょっと、心がささくれてしまって
だから、少しだけ遠回りした。


「帰りたい?」
「那岐は?」
「もう少し、このままいてもいいかなってさ。」


力を一つ、強くして、指先を握り直した。
千尋は、オレンジに染まった頬を高くして、含むみたいにして笑った。


「なぁに?今日は甘えたい気分なの?」
「――――は?」


そんな風に見えているとしたら不用意すぎる僕だ。
少しも自覚はないんだけど、どのへんがそうなんだろうか。
割とはっきり顔に書いたんだろうか。
俄に顔が赤らんでゆくのが、手にとるように解って、
僕は漸く、この夕焼けを許せる気がした。


「そんなんじゃないよ。なに言ってるの。」
「あ、逸らしちゃだめだよ。」


繋いだ指先を振り払って、顔を背けた僕と
くるんと腹這いに寝返って、肘で這ってつつと距離を詰めてくる千尋。
その、きっと避けられない気配。
ぎゅ、と後ろから腕が回って、ひらひらの青い袖が視界へ入ってきて、


「ちょ、千尋……!」


背中が、ひだまりの温度より、もっと柔らかいあったかさで包まれてしまう、
明確な明確な予感。
いや、もう、予感じゃなくて現実に、なってるんだけど。
僕の心が、全然準備出来なくて、割とすごく焦ってるんだ。


「……外でする事じゃないだろ。」
「離してあげない。」


そう言って、頬を埋め込んでくる。
まるくて、やわらかな感触はそれだけじゃ終わらなくて、
胸、あたってるんだけど、って言ってやりたい。


―――――ような、言いたくないような。


「あんまり甘えてくれないから、なんか嬉しくって。」
「だから甘えてないって。」
「うそ。すっごくドキドキしてるよ?」
「………。」


耳を当てたり抱き込んだり、千尋のするとおりに皺になってゆく頼りない生地の背中。
多分にはしゃいでいる高い声を聞きながら、



僕は、いつまで君の、好きなようにさせてあげられるんだろうか。



ヒコーキ雲を惜しがる事も、夕焼けを怖がる事も、
しなくなった千尋は、それでも、いまでも、
僕を、好きで。



わかっていて、もっと、もっと、一人占めにしてしまいたくなる気持ちを



いつまで抑えてられると思う?



「那岐。」
「………ん?」


千尋は少しだけ大人しくなって、そっと、包むみたいにして、
身体をぴったりと寄せた。
とても、静かになって、夕焼け色の波の音が聞こえる。


「たまには、いいじゃない。」
「何が。」
「こういうふうに、映画みたいなの。」
「どんなだっけ。」
「……もぅ。」


多分、膨れただろう千尋は、掴んでいた僕の服を離そうとしたんだけど
そうはさせないで、上から手のひらを重ねた。
そして、千尋がしたよりもつよい力で、離せないように包んでしまう。


「や、離して。」
「離さないって、言ったくせに。」
「だって……からかった。」


そうやって、可愛いことばっかり言ってればいいよ。
好きなだけ煽って、結構気に入ってるこの服を、いいように皺にして
好きなだけ焚き付けた後で、離れようとか、それは随分虫がいい。



次に寝返るのは、僕だ。



「じゃ、例えば、どんなことしようか。」
「……っ!」


言いながら、ゆっくりと、でも、逃げられないように、
体温が離れてしまわないように、砂の上で身体を返す。

今度は僕が、胸で千尋を押さえつける。
背中向ける事なんか、できないように、指も全部、絡めて握った。


「ち、近いよ、那岐。」
「映画みたいにするんじゃないの?」
「でも……っ」


瞬きの微風が瞼にかかりそうだ。
すぐにでも、重ねてしまいたいのを堪えて、なるだけきりと引き締めた唇を
ギリギリまで近づける。


「僕は、したいな。」
「な、にを?」
「このまま千尋とキス。」


マックスの視界で目が痛い。戦法上、目が悪くなるのは困るんだ。
だから、早く、させてよ。


「……やっぱり、甘えたいんでしょう。」
「うん、認めるから。」



しよ。



「………ん」


わざと、音がするようにして重ねたら、僕の方が声にしてしまった。
けど、舌を入れるような深いのはしたくなくて
ただ、つるつるの、やわらかいのを、何度もおしつけあいたくて
ときどき離して顔みながら、同じようなキスを繰り返した。


「ねぇ、好き。」
「うん、好きだよ。」


だから、合間にちゃんと言える。
なんか、ほんとに映画みたいでこそばゆいんだけど
言われたように、たまに、甘えてるだけだから。



ほんと、たまに、だからね。



唇がしっとりと濡れて来て、オレンジに反射する。
眩しいなぁ、と、思うけど、止められなかった。


ふたりで、名前ばかり呼んだ。


きみ、きみ、幾度呼んで
好き、好き、とそれしか言えない唇に、なってしまったんだ。



あんなに難しかった言葉が、今、たったそれしか言えなくなってしまった。



初めて誰かを好きになって、もはや僕は、ダメな男になろうとしてる。
今やこんな僕でしか、ないけれど。


『那岐と一緒なら、夕焼けの帰り道も、怖くないの』


そんなことを言って、わざわざ校門の柱のとこで、凭れて待ち伏せてた千尋。
怖いとか言う割に、誕生日とかバレンタインとかに、くれるものはいつも暖色の何かだった千尋。
その度に、言いかけてくれてた言葉を、はぐらかしてばかりだった僕。


そのぶんは、これから、ながいながい時をかけて取り戻すから
僕は、ずっと、ずっと、君に恋をしてゆくから



時々、思い出してほしいんだ。



ヒコーキ雲の尻尾が、青空に真っ直ぐな線を引くのを、
二人、アスファルトの上に立って、ぽっかり眺めてた頃のこと。



どうか、もう少しだけ消えないようにと、こっそり願った僕のこと。



まだ夕焼けが怖かった頃の、君のこと。











お題『7つの小さな恋』から『時々、思い出して』でした!

禍日神が来る前あたりだったか、千尋が那岐に告白しちゃうイベントがありましたけども
那岐がうっかり振ってしまうのが、すごく好きです。ほんとうっかりさんだ。かわゆす!
激しくて、純情で、うっかりで、ものすごく隙だらけの那岐が、ちょっとやばいくらい好きです。

お題はこちらからお借りしています ◆Mike and Betty様

2009.01.31 ロココ千代田 拝





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