はつはる、君と、まめ灯り
■大団円ED後/現代 if 設定/R15■






「ちょっと買い過ぎちゃったかな。」
「いいんじゃない?正月だし。」

三が日が明けた、葦原家近所の商店街。
大晦日から元旦にかけて、食材を使い切ってしまった家は多いらしく、
いまだ所々シャッターを閉めている店もあるが、殆どの店先は賑々しい。
葦原家も例に漏れず、空っぽの冷蔵庫を何とかすべく、
那岐と千尋が買い出しに来ていた。

二人いても、一通り回り終わる頃には、既に大きな袋で両手が塞がってしまうほど。
歩いていればさほど気にならない重さではあるが、
立ち止まっていると、地球には重力というものが働いているんだなぁなどと、
地味に自覚せざるを得ない感覚になってくるのは、彼らにとっても同じである。

「……もひとつ持つ?」
「でも重いよ?」
「だってガラポン回すんだろ?ほら、列動いたよ。」

那岐は荷物をひとつ増やし、
心まで軽くなったらしい千尋の方は、いそいそ列を詰めながら声を弾ませる。

「当たるかな、ドキドキするね!」
「こういうのは参加することに意義があるの。あとでがっかりされて慰めるのは面倒だから――――」
「ほらほらっ、次だよ!」
「……。」

前のカップルがガラガラと回しているのを、千尋は覗き込むようにして首を長くした。


ガラガラ……
ポン!


「―――っでましたぁぁいっとおぉぉぉです!あべっくポカポカ温泉券!
 嬢ちゃんすごいねーこりゃ新年早々縁起がいーや!」

魚屋のおっちゃんの、耳をつんざくほどの声と鐘、行列もぐわんと波打った。

(……だからってあべっくはないだろ)

那岐が赤くなって俯くほどの、どうにもアレなネーミングであったが、商店街というのはそういうものである。
それより那岐は、千尋の目が一層輝いているのを心配すべきなのである。

「一等だって。残念だったね、千尋が引いてもロクなの出ないよ。」
「わっかんないよー、こういうのに乗っかっていかないと!」
「……そ。」

こういう千尋の一面は、那岐がどうにも真似出来ないな、と思うたくさんのうちのひとつだ。

「お次は金髪の嬢ちゃんね!彼氏は我慢ね!」
「別に彼氏じゃな」
「よぉぉぉし、いっきます!あべっくポカポカ引きます!」
「―――は?」
「さぁ〜まわしてまわしてぇぇ〜〜〜いいの引いてぇぇ〜!」

おっちゃんの腕と千尋のガラポンがぐるぐる回りはじめたが、
那岐はひたすら不機嫌になりつつあった。



(……誰と行くんだよ)



そんな新春の早朝であった――――――




◇◇◇




まさか、あべっくの片方として僕が指名されるとは、全く夢にも思わなかった訳で。
こうして宿帳を書いていても、まだ半分信じられない。
情けない話、昨日の晩は眠れなかった。だって本当に、まさかとしか思えなかった。
忘れ物とかしてなきゃいいけど。

本来名しかない僕だけど、この世界では名字というものが与えられている。
宿泊者、の欄の一段目に、葦原那岐、と書いて、
続く空欄にペン先をもっていったんだけど、そこでハタと固まってしまった。

「どうしたの?千尋だよ。」
「それは知ってるけどさ。」
「あ、ひろはヨにエロで寸。」
「……。」


平気な顔してエロとか言わないで欲しかった。何だその説明。


そうじゃなくて僕が固まっているのは名字のこと。
僕が書いたその下に、同じ名字で千尋って書くっていうことに
ちょっと手先が困ったことになってるんだ。
いま書いたら絶対ミミズみたいになる。

「もー、わかんないかなー。」

千尋はそんな僕の左手から鮮やかにボールペンを取り上げた。
僕は咄嗟に目を逸らす。

「葦、原、でしょう?千……尋っ!かんたんかんたん。」

そう、千尋が言ったように


   葦原那岐
   葦原千尋


そう、並んでいるんだと想像するだけで精一杯で、とても直視出来なかった。
だからその後の住所とか電話とか、全部千尋に任せた。
達筆なんだからと、もっともらしい言い訳も付けた。


純和風って感じの、普通なら高校生にはちょっと来られないランクの温泉旅館みたいで
そういう理由でなく、僕は出だしから舞い上がってしまっている。
あまりそういうオーラを出してなきゃいいけど。

「すっごく嬉しいんだけど、ちょっと複雑だなー。」

広い廊下を、仲居さんに続いて歩きながら、千尋は少しトーンの低い声で言った。

「何が?」
「あのカップルと、私たちとで、一等全部出ちゃったじゃない?」
「出す気満々に見えたよ。」
「うん、そうなんだけど、よく考えたらあのあと商店街的には盛り下がるかなーって。」

横顔はやや曇っていた。
こういうときは、千尋の頭に手のひらを置いて、ぽすぽすとやる。
これまでの経験のとおりなら、これで少しは元気になるはず。

「ま、そのぶんも、千尋が楽しめばいいんじゃない?」

やっとくくれるようになったと言って、朝から高めに結上げた髪。
折角きれいな色なんだから、もっと弾んだ方がいいと思う。

「那岐は?」
「ん?」
「私と一緒で、楽しい?」
「――――今のところは、十分だね。」
「ん、それならよかった!」

ずっと堪えてた動悸が、飛び出してきそうに打ち始める。
部屋までに治まればよかったけど、脳より身体の方が正直で、
どうにもそう上手くは行かなかった。
仲居さんが丁寧に色々説明してくれてたけど、殆ど頭に残ってない。
千尋がちゃんと聞いててくれたことを祈るしかない。

四角い机に座椅子で、向かい合わせっていう。
で、茶托に乗ったお茶と、よく解らないお菓子っていう。

(湯のみっていつもどうやって持ってたっけ)

この取って付けたみたいな恥ずかしさは何だろう。
やましい気持ちじゃないんだ、ってことを――――本音はどうあれ
男としてはやっぱ言っといた方がいいんだろうか。

「……さっきのさ。」
「さっき?」
「……おんなじ名字とかさ、変だろ。誤解されてたら厄介だなって。」
「……やっかいって?」
「だから、その、例えば結婚してるとかさ。」
「……兄妹じゃないかなぁ、多分。」
「……なるほどね。」

自分で始めたことながら、地味に傷ついた僕だ。
こういう筋書きは予定になかったけど、あったとしても少し早すぎる。
今なら湯のみの持ち方も思い出せそうだ。


(ふーん、兄妹、ね。)


それなら前みたく、いとこの方が幾らかマシだ。
いとこなら、それこそ、いとこだからじゃなくて、



ほんとに同じ名字になることだって出来る。



今年は向こうで新年を迎えましょうって、風早が誘ってくれたから
久々に懐かしい景色が見られた。

国がまだ落ち着いてないんじゃないかって、千尋は心配してたけど、
これ以上落ち着くと逆に、新年に国を空けるなんてとてもできなくなるらしい。


だから多分、ここで迎える正月は、これで最後になるってことだと思う。
大掃除は疲れたけど、政務もなし、堅苦しい衣装も着なくていい。
おまけに二人で旅行なんて、ほんと、これ以上ない、いい正月だけどさ。


仮にもあべっくナントカに誘われて、ここに、千尋と来てる訳だけど、



(ねぇ、僕は、何か勘違いでもしてる?)



不機嫌が顔に出るタチだから、『館内案内』って書いてあるファイルを開いて隠した。
何か突っ込まれたら余計なこと言っちゃいそうだ。
パラパラとめくりつつ、貸切家族風呂30分2000円という文字を見つけて手を止めて、
切なく眺めてみたりする。
こんなことがなかったら、もしかして、とかいう期待じみた気持ちのひとつ、
持たずに来たわけではなかったからだ。

「へー、家族風呂だって。」
「ふーん。」

それでも言ってみる僕も僕だけど、千尋も千尋で気の無い返事。

「小さいんでしょ?家のお風呂と一緒だよ。」
「根本的に違うとこ、あると思うんだけど。中から鍵が―――」
「温泉成分。」
「……もーいいよ。」

何かトゲがあるようにさえ聞こえてくる。
ますます不機嫌になりそう。やっぱ言うんじゃなかった。

「……那岐のばか。」

千尋の声のほうが、僕より余程不機嫌って感じで、思わず顔を上げた。
おとなしく傷ついてればいいものを、僕の不謹慎な脳内が、
やっぱりダダ漏れに漏れていたってことだろうか。
なんて、この見解は非常に甘かったということを、この時点で僕はまだ知らなかった。

「………どのへんが?」
「さっきの!やっかいって、やっかいってなによ!」
「ちょ、どうしたの。」
「何で誤解されちゃいけないの?いろいろ都合いいじゃない!」
「……あのさ、なに言ってるかわかってる?」
「せ、せっかく、あ、あべっく当たって、せっかく、勇気出したのにぃ!」
「……は?」
「鈍感鈍感!もう知らない!お風呂行ってくる!」

千尋は勢い立ち上がって、くるりと背を向けた。
ガタガタと激しい音をさせながら、クローゼットの取っ手に手を掛ける。
ここは僕も、立ち上がるべきだ、って、わかってる。わかってるんだけど――――

「私と那岐は、か、家族だったこともあるんだから、か、家族風呂一緒に、行ってあげてもいいって思ってたのに!」
「――――。」


何か言わなきゃって、わかってるのに――――。
言わないから捨て台詞が降ってくる。


「ほんとに兄妹になってあげる!」


振り向いた千尋は浴衣とバスタオルを掴んでいて、
一組を僕に投げつけた。

バスタオルは、すこぶる上手く、僕の顔面に飛んできて、
千尋は腕利きの弓使いだったってことを思い出したりしたのは一瞬で、
視界は、一面の波打つ白に阻まれた。
それは、僕の猫っ毛に静電気を起こしながら、ぱふんと膝に落ちたけど、
千尋はもういなかった。


「嘘だろ……。」


すごい剣幕で、千尋が言ったひとつ、ひとつ。
口許を隠した指が震えそうで
僕は情けなくも、ひとり、照れ混じりの溜め息を落とす。



ねぇ、風早。
こういうとき、どうすればいいんだろうか。
千尋は、あんたが、僕が、思うより大人になってるみたいだよ。



考え事は、昼寝か風呂か。
昼寝の時間はとっくに過ぎてるから、残るは風呂。
今日の風呂はでっかいみたいだから、いつもよりはかどるかもしれない。
そう、あって欲しい。




◇◇◇




まだ、身体がぽかぽかしている。


部屋の奥、バルコニー際の、縁側みたいな、横長のスペース。
ここをなんて言うのか知らないけど、
籐の椅子に斜めになって、浴衣でぼんやりしてるだけだけど、
今のとこ湯冷めする気配はない。

松とか、海とかも、真っ黒ながらに影が揺れて
潮騒も耳に心地いい。
冴え冴えとした、まるい月が出ていた。


僕の方も、一応の結論が出ていた。


二人っきりなんだから、いくらでもチャンスはあると思っていたけど、
温泉出たらすぐに夕食の時間になって、
いいタイミングで立ち替わり、小鉢だとか天婦羅だとかをもって来てくれるので、
未だ敢行には踏み切れていなかった。



女の子は、こういうとき、どうして欲しいのか――――



ぬるめの、とろとろの湯に、身体すっぽり浸かって
飽かず考えたけど、そんなことは少しもわからなくて



だから、僕が出来ることは、
男として、こういうとき、何が出来るのか、



どう、したいのか



きっと、それをするしかないんだと思う。



きっちり、隙間なく敷かれた二組の布団。
千尋は、そのうちのひとつの上でぺたんと座り、折りたたみの鏡を立てて、しきりに髪を触っている。
やっぱりシャンプーもってくればよかった、とかぶつぶつ言ってる。

「くくるの?」
「……どっちでもいいでしょ。」

そう、もうずっと、こういう会話ばかりだ。

「ま、どっちでも可愛いけどね。」
「……んはっ?!」
「だからさっさと決めてこっち来なよ。」
「な、何よその言い方……」
「来ないの?」
「……行く。」

くくらないで下ろした髪は、胸にやっとかかるくらい。
少し内股で歩く千尋は、やっぱり浴衣も似合っていた。
もっと絢爛な姿で見慣れた所為か、何かすごく、身体のラインが浮いて見える。
女王というのが厚着なわけが、何となくわかった気がした僕だ。

白い、小さな手が、椅子の背にかかって、

「そっちじゃないよ。」

僕は、そっちじゃない方、つまり、自分の膝の間を、目線と顎とで指した。

「ふ、ふーん。」
「何、平気そうな顔して。」
「へ、へーきだもん。」

ぱたぱた、と、そして、どすん、と、
千尋は思い切りよく僕の膝に納まった。

「痛いよ。」
「那岐が来いって言ったんじゃない。」
「そういう事言ってると―――」

僕の腕は、ごく自然に、動いた。
こうしなきゃ、っていう、計画はもっていたんだけど
なかったとしても、多分、僕は普通に、こういうふうに、出来たんだと思う。


千尋の身体は、僕よりひとまわりも小さくて
胸を、その背にくっつけたら、耳の尖ったぶぶんが、睫毛に当たりそうなとこに来てた。
それは何だか、すごくあかい気がする。
まだ湯冷めしてないのは、千尋もおんなじみたいだった。


「―――こういうことになっちゃうよ。」
「那岐……これじゃ景色見れないよ。」
「そんなの見に来たんじゃないし。」
「……嘘。」
「千尋と、喧嘩しに来た訳でもないし。」


僕の、細い声でも、髪の上から唇で触れれば、あかいあかい耳まで届く。
言葉にできないぶんも、きっと、届く。


「……ぎゅって、して。」
「してる。」
「もっと。」


千尋に応えて詰められる隙間があるとすれば、やや余裕を持たせていた下腹の部分。
これをぴたりとくっつけなかったのには、一応、訳があるわけで。



僕はやっぱり、男なわけで。



「ねぇ、那岐ぃ。」
「……当たったらごめん。」
「ん?」
「……別に。」


背水の陣というのは、こういうことを言う。
折角戦があったのだから、実戦で学ぶべき諺だったが、僕は今、漸く知った。


ぎゅ、と引いたとき、腕にやらかめの弾力が食い込んだ所為で
心配した事態は一層ひどくなり
早くも硬くなり始めてるってことが知れるのは時間の問題だと思われた。


心臓というのは、ここまで早く打てる。
千尋も、僕も、そのうちつっかかるんじゃないかっていうような脈拍を
伝えあってしまえる距離。
ここまで来て、何かを隠そうとする方が、寧ろ間抜けなのかもしれなかった。


「千尋、こっち向いて。」
「向いたらキスとかするんでしょう。」
「まぁね。」


千尋は、振り向く前に、僕に手を握らせた。
千尋と僕が手を繋ぐのは、全くもって初めてじゃなかったけど


水かきと水かきが触れる繋ぎ方をしたのは、これが初めてだった。


「好き?」
「じゃなきゃしない。千尋は?」
「好き。」


その、言葉ごと、飲み込んでしまえたら、いい。


千尋の、くるんと上向きの睫毛が閉じきるまで、待つのはかなり、苦しかった。
だから、そうそう解放なんか、しないよ。



僕の唇で、やわにつぶれてゆく、この、同じ細胞が、
いま、言ったんだよね。
好きって、そう、言ったんだよね。



少しずつ、濡れてゆく表皮を感じるだけで、
千尋の腰に当たってるものが、更にかたちを変えてしまうから
舌を入れたらほんとに、まずいことになりそうで、
僕は、感情より理性を汲んだ。


それなのに、やっとの思いで唇を離したら、こんなことを言われた。


「……那岐のエッチ。」


すっごい、浮かばれないから開き直る。


「じゃ、いっそエッチもする?」
「………いい……よ?……那岐なら。」
「……あのさ、一応言っとくけど、ほんと、すぐにでも出来るんだけど。」
「だから……っ、いいよ……って。」


千尋は真っ赤な顔で、水かきから力を込めて、僕の手を強く、握った。
どこまで信用してくれてるんだろう、って、ちょっと感動してしまって
ここまで、言わせておいて、僕はまた、感情よりも理性を汲む。


男というものを、大きく二つに分けるとして、
僕はきっと、いちばん肝心な据え膳を、喰えないほうに入るんだ。
もの凄く、火を見るように、明らかだ。


「――――わかってなさすぎ。」


僕はこうして、逃げてしまう。

「ど、どこ行くの?!」
「歯磨いて寝る。」
「う、そぉ……。」
「ていうか、持ってないし。」
「何を?」

それには答えずに、僕はバッグに手を入れて、洗面用具を探す。
昨日の晩に、ギャツビーの顔すっきりシートみたいなのと、
歯ブラシと歯磨きと、メンソレータムのリップとかも入れといた、
耐水の黒いやつ。ついでに言うと、それもギャツビーの何かに付いてたやつ。
こだわりないとか言われるかもしれないけど、使いやすくて前から気に入ってた。

けど、なかなかみつからない。

「千尋も磨いたら?」
「……うん……。」

千尋も、隣でごそごそし始めて、どうやら元気ないのはわかったけど
申し訳ないとは、思うけど。

「やっぱないな。」
「あ、今朝使ってたの、見たよ?」
「最悪。そのまま置いてるか。」

寝不足はよくない。

「あ!」
「なに。」
「ごめん、那岐、私が持ってたんだった。」
「……は?」
「これでしょ、ギャツビー。」

確かに、千尋が持ってるのがそうだった。でも―――

「なんで?」
「風早がね、渡しといて下さいって持って来たの。忘れたの気付いてくれたんだね。」
「へぇ、やるじゃんあいつ。」
「だって風早だもん。」
「……。」

この一言が、余計なんだ。もう慣れたけど、千尋はいつもそう。
洗面台の鏡に二人で映って、なんだかほんとにいつも通りになって、
僕はやや項垂れつつ袋の口を緩めて、それを見つけた。
歯ブラシと歯磨きの間に、なんかある。


「………なにこれ。」
「あーにー?」


口の中をぶくぶくにしつつ、千尋が中を覗き込む。
白い指が、それを摘もうとして、僕は咄嗟に背を向けた。


見れば見る程、長方形の、ちっさな封筒。
正月に限って言うと、こういうかたちのものは、普通、お年玉とよばれる。


でも、僕は既に高校生で、その前に、一応、豊葦原の王族で、
多分、もう子供って訳じゃ、ないと思う。


(風早が、って言ったよな……)


あいつは、僕らが二人で洗面台に立つことを、その習慣を知っている。
わざわざ千尋にこれを持たせて、
旅館の備え付けじゃなくて、僕が必ず、これを使うように、しむけた。



そうなんじゃないかって



何か、予感があったんだ。



はぐ、と歯ブラシを突っ込んでから、僕は封筒を手に取った。


「――――!」


男なら、触っただけで何かがわかる、ものだった。
千尋に触らせなくてほんとよかった。
歯磨きは付け過ぎたけど、味なんか全然しない。

(何考えてんの。)

裏面の、風早直筆のメッセージを読んで、更に脱力した。

「え、お年玉じゃない!那岐だけずるいよ!」
「別に、僕だけじゃないよ。」
「だって私の入ってなかったもん!」

今にも取り上げられそうなので、口を濯ぐ間だけ待ってもらって、
メッセージの一部を隠して千尋に見せた。


『二人で使って下さい』


「あ。」
「納得した?」
「早く言ってよ。」
「言ったよ。」
「これでサービス料もお土産代も、心配ないね!」
「だね……。」

実際足りなかったらシャレにならないけどねって言いたい。
風早のバカ。
こんなのより、ほんと金でも入れといてくれた方が余程いい。
僕は据え膳喰えない方の男だ。



千尋じゃなくて、僕のことなんて、あんたは知らないだろうけどさ。



◇◇◇



「じゃ、消して。」
「……うん。」


千尋は電気を豆電球にして、僕は糊の利いたシーツの間に潜って、目を閉じる。


「………。」
「………。」

聞こえて来るのは沈黙だけで、
千尋が布団をめくる音とか、浴衣の衣擦れとか、そういうのが全然しない。


「………寝ないの?」


目を開けると、千尋は、豆電球の下、そのままの姿勢で立っていた。
顎のところで手を組んで、何度か溜め息を吐き出したそのあとで、
かなり可愛い声が漏れた。


「………そっちいっちゃだめ?」


その一言で、目が冴える。
眠そうな顔を、いつまで保ってられるんだろう、僕は。


「……あのさ、わかってる?」
「わかってる。」
「家じゃなくて、温泉、来てるんだよね。」
「そうだよ。」
「てことは、二人っきりなんだよね。」
「だから、そっちで……寝ちゃ、だめかなって。」


千尋の目は大きいのに、そのどこにも、合わなくなって
少し震えているようにさえ見えて


あぁ、二度も、こんなことを言わせるようじゃ、流石にだめかなって
僕は、布団の縁に、手を掛ける。



―――――もう、これで最後の猶予だよ。



「僕、男なんだよね。」
「知ってる。」


豆電球でも、わかる、茹でた何かみたいになった、千尋の顔。
触れてって、それは、そういうことなんだと、
言われなくてもわかるのは、どうしてだろう。


「じゃぁ、入る?」
「おじゃま、します。」


それでも、何もしないで寝る、という選択もあった訳で。
さっきみたいに、うしろだっこくらいで、
いや、胸くらい触らせてもらってもいいかもしれないとか、色々思ったけど。


でも、千尋が膝を折って、僕の鼻先で、浴衣の合わせがやや崩れたとき
これは、もう、どう頑張ってもだめだと思った。


「千尋、あれとってきて。」
「……あれ?」
「ギャツビー。」
「もう歯磨いたよ?」
「お年玉の方。」
「……売店は閉まってると思うけどな。」
「いいからとってきて。」


ガサガサとやってる後ろ姿は、いつもよりずっと、綺麗で
女の子って、ほんとまるみあるんだって、思う。


「中身だけでいーよ。」
「うん―――――って、これ……っ!」
「みた?」
「……みた。」
「読んだ?」
「読んだ。」
「納得した?」
「……した。」
「じゃ、もう待てないから、それ持っておいでよ。」



風早は達筆だった。
神々しいくらいの、行書体で、千尋の字が綺麗なのもその所為だ。
僕のこと、わかってないって言ったけど、
全部計算ずくなんじゃないかって、時々怖いくらい
風早は先を先を、見ている。



『もしも、千尋も欲しがったときは、二人で使って下さい。』



暈したつもりだろうけど、却ってエロいっていうことを
あいつはどこまで知ってるだろうか。



組み敷き方とか、教わったことなんか、なかった。
けど、普通に、出来てしまうもんなんだって、わかった。
好きな子と、二人でくっついて寝ちゃったら、
ごくごく当然のようにして、身体はそういうふうに動くんだ。


「ん……ぁ……っ」
「これくらいで感じてどうするの。」
「だって……あっ……ん!」


首筋に、口付けただけで、こんなになってしまうものだろうか。
それは、僕にも、千尋にも、言えることだけど。


短くて、浅い息を、耳許で聞きながら
胸でつぶしてゆく柔らかいものの感触に、車酔いみたいな心地がする。


「や……痕付けないで。」
「誤解されてもいいんじゃなかった?」
「もぅ……」
「ね、やっぱ厄介だろ?」
「っ、やっかいじゃない!」
「じゃ、見えないとこにする。」
「……ん。」


痕付けるとか、付けないとかより
隣の、綺麗なままで残ってる布団の方が
余程どうかと思うけど



みたいなことを考えつつ、僕は左手で帯を解く。












謹賀新年、やっぱり外せない姫初め……!
寸止め仕様で何も初めてないというのはわかってる、うんいってくる。
このあといろいろして家族風呂行くんだと思います。きっと24時間稼動なんだ、あぁいうのは。
大団円後の那岐と千尋を、くっつけようという魂胆でした。
ん−、風早やるぅ!と吠えまして、新春のご挨拶にしたいと思います。
本年も、どうぞよろしくお願い致します!!

2009.01.02 ロココ千代田 拝