04 心地よい距離






考えてみれば、たった五年だった。



もっともっと、たくさんたくさん、知っているんだって、思っていた。



あまりに君を、好きだと思うから。
あまりに君を、放したくないと思うから。



僕は、僕が知るよりもずっと、君のことをわかっていると思っていた。




◇◇◇




犬を少しだけ大きくしたみたいな、ちっぽけな狼みたいな荒魂。
そう言えばここへ戻ってきた夜、千尋にとっては初めて出会った荒魂も、そんなだった。


この日は、千尋と他愛ない午後を過ごして、その、帰り道だった。


「ね、これはどうかな?」
「ただの薬草として、なら、十分使えるとは思う。」
「それはメンタームみたいな感じで?」
「どっちかっていうと、マキロンみたいな感じで。」
「そっか……私もまだまだ修行がたりないね。」
「初日にしたらそれで十分。」
「本当?ね、ね、じゃあこれは?」


その日、突発的に、僕の午後は鬼道的草花収集の会みたいになってしまって
会員は千尋と僕とふたりだけだったけど、一人でやるよりやっぱりかなり効率は良かった。
カゴとか用意してなかったから、僕は上着を脱いで、カゴ代わりにして、
千尋が集めたのも一緒にして、夕焼けの道を急いでいた。
そこからひとつひとつ、自分のとって来たのを拾い上げては、
僕に寸評を請う二重まぶたが、とてもとても、可愛かった。


だけど、いま。
僕と千尋が集めて来た草花の数々は、
夕焼け雲が西へ引いて、群青色が色濃くなったこの小径の幅いっぱいに散り、
先を、根元を、踏まれて、ほとんどがくったりとなっていた。


一体ずつ対峙した、
犬が少し大きくなったくらいの、ちっぽけな荒魂は、
今はもう、跡形もなく。


結果的にはすこぶる良好な守備ではあり。


じゃ、気を取り直して帰ろうか、って
言えないわけでもない状況だった。


けれど、振り返った千尋が、ぺたんと地面に、座っていて
脱力したみたいに、ぽーっと前を、ただ見ていて



その先には、既に完全に、夕陽を飲み込もうとしている山際。
辛うじて親爪の先くらいの弧の範囲だけ、辛うじて朱と言えるくらいの、夕焼け。



一瞬僕は、何を見ているのか、わからなくなった。



ここへ来てから、どれくらいか、まだ向こうの習慣が抜けない。
たったそれくらいの日にちが経ったくらいの、曖昧な時間。
その間に千尋が僕に見せた姿の、そのうちの殆ど全てが、
神子と呼ばれるに相応しいものだったこと


持ったこともない弓を、構えて、引いて、
ちゃんと浄化させてしまうだけの、力を、はじめからもっていた千尋を



たったそれくらいだけ見て僕は



今までの五年分とか全部、棚上げしてしまって僕は



千尋を、強いんだなんて、あっけなく思い込んだ。
その、余りの間違いに、困惑している。



「千尋。」


いま、ぽーっと、焦点の合わない千尋が、
僕が呼んだのも気付かないかと思ったけど、
幸いゆっくり、こっちを向いた。


きれいに編み込んで来た三つ編みの結い髪が、ところどころほつれて
鏡でも見せたら相当気にしそうな感じになっている。


「……あの、ちょっと、立てなくて。」


どんな怪我したんだと思って、馬鹿、とか言いながらその実反射的に、
千尋の足元へと、僕の身体は動いていた。
小さな石がころころ混ざる赤い土に、両のふくらはぎをくっつけている、その膝先も、足首も、


「ここ?」


って、訊きながら触れたけど、ただ首を横に振るばかりの千尋だった。
仮にも男に触れられたりしたら、嫌だろうなということも
考えるに至らないまま触れたけど
それについても少しも、苦言されることもなかった。


「何処か、見えないところ?」


その質問にも、ふるふる、と首を振る。


僕は思い至る。
ふと、本当に、ふと、思い至った。
そして、手のひらに付いた土とか、汚れとかを、ぱんぱん、と払ってから
ほつれた金の結い髪に、のせたとき。


ほんのり、ぱふ、と、甘い空気がつぶされて、僕の鼻腔まで届いた。


「ここには僕しか、いないから。」


青い瞳に、それしか言えず、そう言った。


大きく、見開いたまるい目の、グラデーションが歪んだ気がし
青みが増してそうなっているのか、充血する赤い微細な血管が、そうするのか
ただ、間違いなく、歪んだ。


溢れて来るぬくい水を、どうやって、止めようか。
カサもないのに通り雨が来たときみたいな気持ち。
同じ気持ちになったことは、前にもあった。


中1の晩夏、千尋が祭で金魚を掬った。
水槽なんてなかったから、一晩、庭先のバケツの中に入れておいた。


「明日買いにいこ。」


って、ふたり分の貯金箱を割った夜、台風が来て
次の朝起きたら、バケツの中身はいっぱいの雨水、ただ、それだけになってたときのことを
鮮明に鮮明に、思い出してしまった。


台風一過の青空の下、千尋は、唇を噛んで家を出て
学校との中間点くらいまで、いつもよりゆっくりゆっくり歩いて、
その間にたくさんの生徒が追い抜いていった。


そして、僕とふたりだけになってから、立ち止まってきゅうと泣いた。


あのとき僕は、立ちすくむことしか出来なかったけど、
今もそう、変わってないな、と、
柔らかい髪を撫でながら、思うけど、


でも、知ったかでも、思い込みでもいいから
君が泣ける場所が、僕だって
そう、あの時確かに、僕は信じていたんだ。


「泣き止むまでこうしてる。」


と、抱きしめることだけ、あのときより少しだけ、進歩させて。
涙を拭うとか、ちょっとまだ出来そうにないから
何にも言えないけど、ただ、この胸だけ、借りてよ。



気が済むまでここにいてよ。



「強くなりたい。もっと、私は。」


よく聞き取れない、くぐもった声を、腕を強めてつぶした。


「うん。」
「でも、怖いの。」
「うん。」
「でも、ならなくちゃ。」
「うん。」


何も言えない、と言ったのは、何も格好つけたわけじゃない。
本当に、言えなかった。



ひとりで強く、ならなくていい。



と、ただそれだけの言葉さえ、僕はそこまで出しかけて、飲んだ。



真っ暗になってしまってから、目を凝らして、
しなびてしまった草花を、ふたりで拾って、上着のカゴにもう一度集めた。


「もうそのへんでいいよ。」


もう、泣き顔は晴れただろうと、未だ屈んでいる千尋に声をかけた。


「あるよ、まだ。ほら。」


ほんの雑草みたいなのを、渡されたとき、少しだけ指先が触れた。
細くて、柔らかくて、女の子の指だった。
そのまま手のひらで握りしめてしまいたかった。


「そんなの、幾らでもあるから。」
「でも、でもね。これは、ふたりで見つけたものだから。」
「――――。」
「共同作業の結晶だから!」


ふふ、と、千尋は大きく笑った。
今まで泣いてた子の傍で悪いけど、
ほんとうに、僕まで、口許が緩んでしまいそうで、
僕はこっちを探す、ということにして、背を向けた。


「あーあ、すっごい腹減ったんだけど。」
「いいよ、じゃ先帰っても。」
「一人でやるより、ふたりでやった方が早い。」



昼間千尋が言ったようなことを、今度は僕が言う。











お題『7つの小さな恋』から『心地よい距離』でした!

みんながいると、見せちゃいけない部分がある千尋と
みんながいると、甘えさせてあげられない那岐。
でも、二人きりなら、っていう、二面性ある距離感だったらいいと。

お題はこちらからお借りしています ◆Mike and Betty様

2008.12.30 ロココ千代田 拝





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