− 16歳 −





今日は何の日?
問われて特に思いつくものがない日なら、それは普通の日と言う。


雨じゃなくて、寒くもなくて、風が吹いても猫毛が乱れたりしない、
すごく気持ちいい日でも、普通の日と呼ばれてしまう。


「何の日じゃなくたって、いい日じゃないか。」


そういう日のほうが、却って好きな僕だ。
例えば今日のように遠足とかだと、特に興味ない場所にさえ連れてかれて、
それでも時間が来るまではウロウロ見て回ってなきゃなんない。


特別な日、っていうのは、
とかくめんどくさいことばっかなんだ。


プラス誕生日が一緒に来た今年みたいなのだと、
千尋も風早も変に張り切って、昨日の晩は大変だった。


何が欲しいですか、っていわれても、そんな急に思いつかない。
一応捻ってみたけど、捻って絞り出て来たものなんか、ほんとうに欲しいのかって考え直したらそれほど要らなくて、
やっぱいいって言った。


「じゃあ、バスの中でみんなでバースデーソング歌ってもらうとか!」


って、けだし名案とばかりに言った千尋を、説得するのは割と大変だった。
言い訳なんて効かないんだ。


「絶対やだ。却下。」
「えー、でも」
「以下何言われても聞かないよ。」
「………はぁい。」


だから最後にはそういう言い方にしないといけなくなる。
すっごい簡単に実現しそうで、その場面を想像したら、本気で震えが来た。


そんなことがいろいろあって、遠足に出掛ける前から十分に疲れてしまった。
だから僕は、何も特別じゃない、いわゆる普通の日が好きだ。



高速の、緩いカーブに沿って、滑るように走るバスに乗っていた。
帰りのバスだ。


行き掛けは、弁当とかペットボトルとか、あとレジャーシートとか諸々、
ぱんぱんになって重かった鞄も、今やけっこう空いている。
網棚に上げてる生徒もいたけど、僕は足下に置いていた。
中華街と煉瓦の小径を散策、時々博物館、みたいなコースで、
一日歩いて疲れ切っていたから、やっと乗り込んでまず腰掛けてしまったら、
もう立ち上がりたくなくなったっていう、それだけの理由。


千尋は僕の隣で寝息を上げていた。


これは疲れたって言うより、満足した、って感じの寝顔に見える。
僕とは正反対で、何でも全力で楽しんでしまうタチだ。
満足したって言うより疲れている僕は、つられて欠伸をひとつ。


まぁ、心配してたよりは悪くない誕生日だった。


はっきりと意思表示したのが良かったんだろう、
意を汲んでくれたのか、二人はバスで歌うこともなく、大袈裟なプレゼントを用意することもなく、
弁当に僕の好きなものがこれ見よがしに、それもすっごい量がつまっているという遠足だった。


(―――そっか。)


多分千尋は(風早もだけど)いつもよりだいぶ、早く起きたんだ。


気付くのが遅すぎる僕は、昨日千尋に言った率直な言葉を思い出して、少し胸が痛んだりする。
完全に閉じかけていた瞼をうっすら開けて、千尋をちらりと目の端に入れたら、
クウクウと眠る顔が、ちょっとだけ違って見えた。


そのときだ。
千尋の頭が、こっちに向かってかくん、と傾いて、僕の肩に乗ったのは。


(え――――。)


一体僕はどうしたっていうんだ。


その瞬間から、痛んでたはずの胸はすっかり調子を取り戻して、
打てるだけの早さで打って、バクバク煩い音を立てまくってる。
身体はぴくりとも動かせないっていうのに、一体どこが運動してるっていうんだ。


千尋の睫毛が長いことなんか、前から知ってる。
ソファでうたた寝してるのだって何度も見たことがある。
その時と何も変わらない、半端に緩んだ口許と、ぽっとあかくなったほっぺたも



何も変わらないはずなのに、僕は、一体どうしたんだ。



千尋の頭が乗ったところから、僕の熱は、身体を覆う皮膚一面に増幅して、
背中なんかシャツがじっとり汗ばんだりして、喉がからからに渇いた。
好きな子が隣で寝てるっていうのは、別にベッドの上じゃなくたって、
ハダカとかじゃなくたって、十分へんな気持ちにさせるんだってことを、



僕は16になった日に、知ってしまった。



したこともないのにすごくキスがしたくなって、
それってちょっとやそっとじゃ頭ん中から出てってくれない欲望みたいで
僕は、千尋を揺らさないように、まずは腕つりそうになりながらドリンクホルダーのペットボトルをとって飲んだ。


「はー……。」


なんて誕生日だ。
なんで、一年に一度の誕生日に、僕はこんなに困ってるんだ。


そっと、首と目線だけで、周りを見回してる僕がいる。
視界で捉えられる範囲、隣とか斜めの前後とか、みんなあさってのほう向いて爆睡してた。
―――出来るんじゃないか?って思う。


千尋もぐっすり、起きてるの僕だけ、若しくは起きてるやついたとしても、ずっと後の席とか前の席とか、
僕からは確認できないから、そこからも僕が、何をするか、見えない訳で。


(千尋の所為だよ。)


する、って決めて、けど千尋の頭は僕より一段低くて、
肩にペッタリになってるから、身体の固い僕が出来たことは、
千尋のさらさらの前髪をかき分けた、白いやらかいところへ、
まるでおもちゃみたいな、ちっちゃいちっちゃいキスだけだった。


まるで僕の唇まで、何倍も薄くなったみたいに、すべすべで、いい匂いがした。


ほんの一瞬で、心拍は限界値を更新してしまった。
唇を離したら、もう顔も見てられなくなった。
やり逃げで悪いけど、僕はもう目を閉じて、ふてくされたみたいにして、
眠ってしまうしかないと考えた。


発火しそうな僕を乗せて、バスはとろとろと揺れて、さっきの柔らかさを思い出させた。


そして、いつしか僕も、千尋のほうへ身体を預けていた。
重みと重みが上手く釣り合ったら、少しだけ凝っていた肩も上手くほぐれて、
二人で寝るときはこうするといいんだ、って、わかったんだ。



眠っていたのは30分くらいだったかもしれないし、
割と5分くらいだったのかもしれない。


夢ではないと思うんだけど
その時千尋が、何だか動いたような気がして
もしかして重いなら起きてあげないと、って思っていると


唇に一瞬だけ、同じ感触が触れてった。


(………ッ?!)


初めてだから信憑性がやや低いかもしれないけど、
いや、これは絶対指とかじゃない。さっき僕が千尋のおでこに触れたのと同じ
多分、絶対、同じなんだ。


このまま寝たフリでいるのが、いいんだろうか。
気付かないフリで、何ごともなかったみたいに、僕らはやがてバスを降りて、
夕飯一緒に食べたらいいんだろうか。


そして二度目に、今度は割としっかり触れられた。


「――――っ!」


僕は思わず目を開けてしまった。
近い近い千尋の目が、睫毛でくすぐれそうなところにあって、
一瞬まるくまるく見開いたあとで弾けるように離れた。


「や、っだ、起きてたの!」
「っ、起きたんだよ!」
「も、もうなんで起きちゃうのー!」
「ていうか、千尋がっ、」


僕は我知らず、千尋を窓際へ追い込んでいたらしく。
逃げるものを掴まえたくなるのは、男の本能みたいなものらしく。


「千尋がへんなことするからじゃないか。」


再び顔を近く近くして、そう苦言した。
自分がやったこと棚に上げて、意地悪な顔を作った。
シートの上で、千尋の手を握ったのは半分どさくさまぎれだったけど、
千尋も同じように握り返して来る。



ねぇ、それって、それってさ。
千尋も、僕のこと、ねぇそういうことじゃ、ないの?



「千尋。」
「……ん?」
「なんでキスしたの?」
「な、んでってそれは……」


僕らのふたつぶんの狭い座席が、沈黙でいっぱいになる。
どっちの手が汗ばんでるのか知らないけど、どっちもなのかも知れないけど、
とにかく、すっごいべたべたしてる。


「そ、そう、誕生日だから!」
「そう来るんだ。」
「……それじゃぁ、だめかな。」


千尋が、試すように絡めた水かきのぶぶんが、少しだけこそばゆかった。
バスは高速を降りて、ETCのゲートに向かって、緩く長いカーブを描き始めた。
そろそろ信号とかで、揺れが不規則になって来る気がするから
そうなると、起きてくる生徒が増える気がするから


真相解明は、今じゃなくていいと思った。


「いいけど、もう一回してくれる?」
「ん?!」
「だって誕生日だから。」


今度は二人とも、ちゃんと目を覚ました状態で。
キスしよう、って決めあって、するキス。



それは、ほんとうに、気持ちよかったんだ。



欲しくもないものを、無理して強請らなくて良かった。
気まぐれにバースデーソングなんか歌われずに済んで良かった。
これがプレゼントなら、これ以上何も要らないって
僕はいま、半分本気で思ってる。


誕生日だから、って君は言って
だから誕生日が過ぎたら、もう、してはくれなくなるのかもしれないけど
そしたら今度はクリスマスだから、って言って強請ることにするよ。


その次は正月だから、バレンタインだから、ホワイトデーだから
テストが終わったから、春休みになったから、


(あと、なにがあるんだっけ。)


連休に飽きちゃったからとか、今日はいつもより暑いからとか、昨日より晴れたからとか、
でもって、そのうち何もなくなった、その時は。



何もないけど、に、なったらいい。



それでも、キスの理由が必要なら、その頃には僕が、
君のことが好きだから、って言える僕になってたら、もっといいと思う。



その時にも千尋が、今みたいに僕の手を握って、ただ、隣にいてくれたらって、



ねぇ、僕は、
ほんとうにそう思うよ。




− 16歳・完 −





去年の那岐誕は『18歳』だったのでした。
来年こそは17歳を書きたいです 笑
もうしつこいんですけどもやっぱり跳躍前キスを推奨しています。那岐はやってるぜったいやってる!
もうねこれはね、どうしてもね、あかん(…)
思い込みって怖いですね、しかしもしそんな那岐千なら私は全力で幸せになれる。
那岐おめでとうっ!!

2009.09.15 ロココ千代田 拝