すべり台
■This story is written under the inspiration of 『すべり台』by Ringo Siina





何度目の、夏が来るのだろう。


極楽寺駅からウチへ向かうまでの、ほんの少しのアスファルト道に、
小さな児童公園が二つある。


高三になれば土曜でも半日の授業があって、お腹をすかせて私は歩いている。


もう、帰ってるんだろうな。



……関係ないけど、もう。



梅雨明け直後の刺すような眩しさに、私は悔いていた。
やはり今朝、日傘を持って出れば良かったと。


もうすぐ、あの公園が見える。
一つはそのまま通り過ぎて、
ほどなく、緑が多めの公園にさしかかる。
キリンのすべり台を右目にしっかりと捉えた。


ずっと、見送っていた。
真っ直ぐ見ることができない、あのキリンを。


今日は、何故だろう。
私の足は、進行方向を右へと変えて、ざく、ざくと荒めの砂利を踏んで。
キリンのお腹の中に作ってある、ベンチみたいなのに腰掛けた。



黄色いなあ、もう。



泣くにはとっても眩しいこの日差しを、避けてキリンの中に入ったのに。
こんなに黄色いんじゃ、何だか笑ってしまうじゃない。


あ〜あ、泣きわめきたかったのよ、本当は。


こんな帰り道を。
もうすぐ夏が来る、早めの土曜の帰り道を一人で歩いているなんて。
日傘の無い私には、隣にあなたがいない事が、イヤでも一目瞭然だから。


隠して欲しかったのよ、こんな私を。
黄色いキリンのお腹の中で、小さくなって泣きたかったのよ。


『なあ、望美……?』


そうやって、少しうわずった、熱でもあるような声を使って話すときは
私に何か隠してる。
こっちへ帰って来てから、モテモテになってしまった将臣くんが、
つい、他の娘と……とか、
そういう時。


ここへ来て、砂山作りながら喧嘩して。
トンネル掘って、仲直りして。
少し湿った砂にまみれた指が、トンネルの真ん中で触れる時、
いつもよりずっとドキドキした。


デートのときも時間にルーズなあなたを、この公園でずっと待った。
キリンの首を滑り降りて、砂場に足をポフッとつけて、
そのまんま俯いて、このまま寝ちゃおうかななんて思っていると、



『遅れたか?』



顔を上げると、間髪入れずにキスが来る。
膝の上に置かれた手のひらに、ギュ、っと力がこもって、
少しくすぐったいのと、そういう時のキスが変に甘いから
いつもよりずっとドキドキした。


そういうことを、いっぱいしても。
一筋縄でいかないことが、いっぱいあっても。



30センチの距離で、あなたが笑うのが、大好きだった。



学校ですれ違っても、隣家で寝起きしていても、
今はもう、ただの私と将臣くんで。
そのうち、二度目の秋が来る頃には、ここで笑ってた私たちは、
ただの刹那に変わってしまう。



記憶が薄れるという事は、そういうこと。
私はそのときを、待っているのだろうか。



黄色いなあ、もう……。



涙が、溢れて、流れて。
笑いすぎたから。
あんまり、黄色いから。



あなたの名前を呼んだ声は、喉の奥で掠れて痛くて。
唇の端から侵入した雫がしょっぱくて、もう本当に悲しくなる。


その笑顔でごまかされているような気がして。
見事に見透かされて上手く転がされているような気がして、
キリンの首から、想いも嘘も、嫉妬も愛しさも、全部滑り落とした。


甘えるときの湿度を含んだ声も、汗ばんだ背中にふれた時の熱さも。




「望美?」




ほら、幻聴まで聞こえて来た。
黄色いキリンが聞かせてくれたのね、泣きじゃくる私になぐさめを、って。


「ありが――――」


立ち上がろうと顔を上げた瞬間だった。
そこは、黄色い空間ではなくて。


真っ白いカッターシャツのひだの中だった。
あわせた胸から伝わる、よく知ってる温度。
動けないくらいに、苦しいくらいに、強く抱くこのやり方を、
私は本当に、よく知っている。


「もう、泣くなよ」


柔らかくほどかれた腕の中で、幻覚ではないあなたの顔を、間近で見て。


……って将臣くんの方が泣きそうじゃない。
そんな顔をしたあなたを初めて見て。
そして、瞳を閉じた。
そのキスは、よく知っているあなたの味がした。



この黄色いキリンの中で、わたしたちは二人で並んで腰掛ける。
間に合ったな、って笑っていうあなたの声を、



耳許で聞けてよかった。