サイクル










昇降口へと続く渡り廊下を、将臣は鞄を肩に引っ掛けて歩いてくる。
よく磨き上げられた窓ガラスから、真っ赤に輝く夕日が見えて、ツ、と足を止める。
オレンジ色の海から吹く風を感じたくて、将臣はからから、と窓を開けた。
制服のカッターが、冬の風をはらんでふくらんで、裾がひらりと揺れる。


この景色をまた見ることが叶う今を思う時、遠い時空の彼方で、
そう、同じこの浜辺で、噛み殺した涙の記憶が脳裏を掠める。


「あっ!いたよっ!!有川くーん!!一緒に帰ろぉよー!」
「ん?」


将臣は、黄色い声に振り返った。
めんどくせーな、と思っている。
しかし、そういう気持ちは心の底をぐっと噛んで隠すのだ。
将臣は、ニッカと笑って、声の主(正確には二人)にこう切り返した。


「わりー、今日カネねーから、また今度な。」
「ええ〜っ、別に何もおごってくんなくたっていいからさ〜、ねえ?」
「そうだよぉ。」


正直、どうして自分がこんなにモテるようになってしまったのか、将臣には理解できなかった。
前にも、たまに女の子から告白されたりという事もないわけではなかったが、
こういう風に、マンガみたいなモテ方をするようになったのは、こっちへ帰ってきてから、だと思う。


「そっかぁ〜?じゃ、しかた―――」


二人の女の子に制服の腕を引っ張られては、何だか断りきれなくて、
どうせ電車数駅で済む事だから、と、了解しかけたその時だった。


バサバサバサ!


突然の乾いた音に言葉を遮られ、ほぼ同時にA4判の白いプリントが一枚ひらひら舞い来て、
将臣の靴先でトン、と止まった。


『ラッキーだったぜ。』


将臣は、長身をかがめてそれを拾うと、珍客のやってきた方向へチラリと目をやって、
わざと大きくため息をついた。頬が緩んだのを気付かれないように。


「あいつ……。仕方ねーな。わり、やっぱ今日ムリだ。またな。」
「あっっ、もお〜!有川くんたら〜!!」


将臣は、窓ガラスを閉めてから、バラバラに散ったプリントに右往左往している彼女へと、ゆっくり向かって行く。
薄紅色の長い髪のてっぺんを、紙片を持った手のひらでくしゃくしゃ、っと撫でた。


「何で言わねーんだ?一人でこの量運ぶなんて、正気かぁ?」
「だって、日直は私だし。平気だよ、これくらい。それに………。」
「そのヘーキでこの結果だろ?渡り廊下にばらまく、って仕事もあんのか?日直は。」
「急に大人になっちゃうからだよ……。」
「あ?なんだそれ??」
「……。さっき書いたでしょ、進路調査票!」


望美は語気を強めて、会話を切った。
二人でそこら中を這い回るようにして、一枚ずつかき集める作業は、決して楽なものではなかった。
ざっと80枚はある、ホームルームで書かされた進路調査票は、当然一枚でも取り逃すわけにはいかない。


「俺んとこに集めろ。ほら。」


差し出した手に、望美は少し迷うような顔をして、拾った数枚を渡した。


「……よかったの?」
「別に。構わねーよ。二人でやる方が早いだろ。」
「そうじゃなくって。あの子たちのことだよ。」
「あんなの、いつものことだろ。―――やっぱ、気になるか?」


返事の代わりに、望美は長い睫毛をゆっくり伏せて瞬くと、
目をそらして再びプリントを集め始める。膨れっ面でもしたいところだろうが、
それを気丈な表情に隠して、細い指で紙を拾い上げる仕草をみていたら、急に愛しさが増して。
その指が、次に捉えるであろう先へと、将臣は腕を伸ばして、白い紙面を手のひらで押さえつけた。


「ま、さおみくん!!それじゃ拾えな―――」



重なったのは指だけじゃなく。望美には目を閉じる隙も与えられなかった。



二人の手のひらの下で、A4のプリントが少しづつ波打ってゆく。
合わせた唇の隙間を、飽和した体温を放出しようとする、吐息が漏れる。
望美は、空いた片方の手を将臣の胸に突っ張って、必死で顔を離した。


「も、もう!!こんなとこで……っ、見られたらどうするの?!」
「いいじゃねーか。見られた方が。」
「そんな……。」
「俺は、お前のモンだって、いい加減解ってもらわねーとな。」


望美の顔がかあっと赤くなる。言わなくても、全部バレてしまうことが、嬉しいような、悔しいような。
そっぽを向きながら、湿気てベゴベゴになったプリントを渡すだけで精一杯だ。


「その方が、俺もラクだしな。」
「な、何よそれ……!」


からからと笑いながら、将臣は残ったプリントをさっさと集め出す。
望美はしばらくその背をにらんでいたが、やがてあきらめたように、一枚、一枚拾っては将臣の手にそれを渡してゆく。


二人で、同じモノを目指せるというのは、幸せなことだったのだ、と、今更ながらに将臣は思うのだ。


「ま、それだって、全然大げさな仕事じゃねーけどな。」
「え?何?」
「何でもねーよ。」


夕焼けの渡り廊下に、二人の影が伸びてゆく。
江の電の走る音がする。トン、と背中同士がぶつかった。
どちらからともなく体重を預けて、肩に互いのぬくもりを載せる。思いを馳せる先は、望美も、同じなのだろう。


ほら、こうなっても、もう、別々じゃない。
源氏の神子と還内府は、ここでよろしくやってるぜ。
同じ夕日を、どこかで見ている全ての友へ―――。