私のお願いは、何でも聞いてくれるって、言ったよね?


「……ん?」


いいえ、『おねがい』ではなかった。
春の、薄い花びらの開き始めた草の上、ふたりでころころ寝転がった日、
なんなりと、とこのひとが言ったのは、



―――ご命令ください。



うん、確か、そうだった。
私と一緒に生きてくことが、ねがいだとあなたは言いたいだけ言って、
そのくせに私が出来ることはゴメイレイとか



私が、その言葉に、100%で満足しただなんて、思っている?



だから改めて言う。



おねがいが、あるの。
ゴメイレイじゃなくて、聞いて欲しいことは、
――――ううん、かなえて欲しいことは。



ねぇ、あなたにおねがいがあるの。






− Bridge over … −








「姫。」
「―――っ、な、なぁに?」
「随分と上の空であられますね。」
「あ、ううんそんな―――」


いつもの癖で、そんなことはない、とごまかそうとして、やめた。
気付いてくれた今こそチャンスだと捉えなおす。


「うん、上の空なの。」
「おや、はっきりおっしゃいますね。折角早めに切り上げて、あなたの元へ急いだというのに、
 私と一緒ではつまらないと?」
「そういうことではないの。」
「けれど、上の空なのでしょう?」
「そう。」


千尋の目の前には竹簡が広げられていた。
千尋が自分で持っているのではなく、後ろから回る手が、千尋をくるむついでのようにして
巻きを緩めて、ほどきながら、読み聞かせている、ということである。
少し前までは、まるいテーブルを挟んで、その上に広げていた。
今ではようやくこうやって、ベッドにふたり、ふんわり沈んで、
すぐそばでささやかれる物語が、耳に柔らかく心地よい、それはほんとうだ。


黒龍が突然屈した(というふうに、柊と千尋以外の目には映るだろう)豊葦原は、
常世の軍勢が慌ただしく引き上げて、中つ国の民が方々から戻りつつあり、
王制が少しずつ整備され始めている。
正式な即位の式典の日取りが決まって、常世と平和条約的なものを結ぶことも決まって、
千尋も柊も、他のたくさんのひとたちも、毎日目が回るような忙しさだった。


女王には女王の為の居室があるように、宮に勤める臣にも臣の為の部屋がある。
柊にもちゃんとある。
仕事が終わるとくたくたで、特に千尋付きという訳でもない柊は、
当たり前のように、そこへ帰っていってしまうから、
ぼぅっとしていると何日も顔を見れないことがある。
寝る前には必ず私の顔を見に来てと、だから千尋はこないだそういうおねがいをした。


『それは、勅命ですか。』


と、柊はほんのり笑って、目線を合わせる為に腰を屈めた。
勅命―――そう言ったら来てくれるのだと、
珍しく千尋は素早く理解して、命令だなんて言いたくはなかったけれど、


『ちょくめいです。』


ハッキリ、クッキリ言ってやった。
それから今夜までのところ、その命令はちゃんと有効で、柊は毎晩千尋の顔を見に来てくれている。
少しずつ縮まった距離は、やっとベッドの上まで来た。



「では、何故上の空?」


カラカラと音を立てて、竹簡を巻き取ろうとする手のひらを、
千尋は上から重ねて握った。


「だって、このお話は知ってる。」
「えぇ、そうおっしゃっておられましたね。」
「それなのに、いつも、このお話ばかりを持って来るでしょう?」


柊が、眼帯のほうの目から涙を流したところで終わりを迎えるその伝承。
黒々と綴られる墨が突然にささくれて、筆痕が擦れたようにして、ぷつり、その先がなくなっている。
あのときの柊が、最後まで読むことができなかったその巻きを、
千尋は最後の既定伝承と呼ぶ。


「お飽きに?」
「ううん、読んでもらうと、そういう風に書かれてたんだ、って、面白いけど。」


千尋は腕の中でくるんと振り返る。
顎が擦れあうと、つるんとして柔らかい肌で、千尋が男のひとの肌として思い描いていた感触と、
柊は若干ずれていた。


すぐそばにある唇を、しっかり視界に入れながら、千尋は、その距離で聞こえるだけの大きさで続ける。


「もっと知りたいの。」
「なにを?」
「上手く言えないけど……。」



柊が、どんなふうに生きて来たのかっていう、こと。



「竹簡は、もっとたくさん持っているでしょう?天鳥船にいたときに、この書庫ではイササカ小さいですねって、柊が言ったんだよ。」
「―――我が君。」
「そこには私の知らない柊のことが、たくさんたくさん書いてあるんでしょう?」


例えば、と、千尋は、今度は首だけでなくて身体ごと向き直った。
そして、利き手を柊の眼帯へ伸ばす。
もう少し、というところで、止められてしまうことはわかっていても、
いつも、ぱちんと弾くような音を立てて、柊が指先ごと握り込んでしまって、
留め具に届くより先に、進めなくされてしまうのは変わらなくても、



知りたいということを、知っていて欲しい。



「これから夏になったら、そんなのしてたら暑いと思うなー。」
「慣れています。」


涼しげに言うからとても腹立たしい。
振り払って無理矢理にでも外したいのに、柊は千尋よりも、ずっとずっと力が強かった。
戦いのときは、小さな小さな武器で戦うから、
怪我しやすいひとだったから、歯の浮く台詞ばかり使うから、
どんなにひ弱いひとだとタカをくくっていたのに、どうして全然強情で、頑固で、つよいひとだった。


「ほんとうは刀とかも使えるんでしょう。」
「さぁ、どうでしょう。」
「もう!なんでわらうの!私がなにも知らないと思って!」


ポカポカ胸でも叩いてあげたいけれど、両手が捕まっているからそういう訳に行かなくて、
千尋は抗議を込めて、柊の胸の中に、やや強めに体重をかけて、埋まるしかない。
ぽすんなんて可愛いものではなく、ばふ、みたいな音がした。
長い髪はその拍子に、どこかで引き攣れたみたいで、根元がひりと痛んだ。
その、痛みと悔しさと、ほんの少し、切なさと、入り交じったものが震わせる肩を、
柊は小さく抱き寄せた。


「足りないの。」
「……は。」
「そんなじゃ全然足りないの。」


毎晩ここへ来てと言ったのは、少しずつでいいから柊の話を、
聞かせて欲しいと思ったから。
ついに睫毛がとっぷり落ちて、深く深く眠るまで、
柊の声でその先を、教えて欲しいと思ったから。



(あなたとつくる未来に、飛び込んでいこうという時に、あなたについて私が
 幾らも知らないなんて、あまりに覚束無すぎるから。)



美しい言葉の奥に、きれいな唇の裏側に、
隠したものをぜんぶぜんぶ、さらけ出して、欲しいから。



「もっと、ぎゅってして。」
「『ぎゅ』、ですか。」
「そう、ぎゅってして。」


柊は、千尋の言ったようにする前に、くすと明らかに吹き出した。
どうして笑うの、と再びの苦言をしようと、顔を上げかけたところを、
しっかりと鼻先まで、その胸に押し付けられてしまったから、
千尋はその先を言えなくなる。


「ふ………。」
「ぎゅ、というのはこういうふうに?」


そのとおりであるけれど、うなづくことも、できない。
引き攣れていたはずの髪の毛は、いつの間にかきちんととかされて、
少しも痛くないふうに、けれどきつくきつく、抱きしめられている。


まるで、うっとりと、蕩けるような香りのする、
未だ常世の模様の服は、いつ着替えるつもりなんだろう、そんなことを思いながら、
千尋は、唇で柔らかな襞を潰しては平らにした。


「姫。」
「……ん?」
「私は、どうすればよろしいのでしょう。」
「え……。」
「ぎゅ、の、次なるご命令を、お待ちしているのですが。」
「―――――。」


また、命令という言葉を使うのだ、と、少ししんなりしてしまう。
この、甘くてつよいちからも、命令だからそういうふうにするんだろうか。


「それじゃぁ……次は、チュ………とかは?」


ふいに腕が緩んで、目が合った柊の顔は、きょとんというか、あんぐりというか、
そらいろの瞳が白黒するふうに見えるくらいに、驚いたものになっていた。


「ごっ……ごめんなさい!わ、わすれて!」
「申し訳ありません、あまりに可愛らしくて。」
「っ。」
「ぎゅ、の次は、チュ、ですか。」


可愛らしいと褒める割に、次の言葉を言いかけては吹き出しては、
顔を背けたりする柊に、千尋はただただ頬を染めてゆく。


「なっ、なんで笑うの!」
「口付けでも、接吻でも、表現は様々にある中で、そのようなことをおっしゃるからです。」
「………そんなの恥ずかしいじゃない。」


キス、と言ってもわからないくせに。
だからそんなふうに言うしかなかったのに。


それから柊は、まっ赤にさせた償いに、と言って、
確かにゴメイレイ通り、キスをくれたのだったが、
それまでにしたことのあるやり方とは、少し、違っていた。


「ん……っ」


思わず声が出たのは、唇のあいだを、柊の舌が割ったからだ。
キスの時にはいつも、肩に置かれるはずの手が、まるで迷いなく背中に回って、
連続の動作で腰まで降りて来る。
衣替えをした後の千尋の夜着は、軽くて薄い、すっぽりと頭からかぶる一枚着で、
柊が辿る通りに、容易に身体のラインが浮く気がした。


肌もつるつるなら舌もそうで、
千尋のと絡んで滑るように、奥まで舐めとられると、
ぽ、っと火種を置かれたように、一点からじんわりと広がってゆく甘みがある。


「っ……んん、ぁ。」


柔らかいベッドへ、腰からずんと沈んでゆくみたいな気がして、
これを、感じるというのだろうか、と、朧げに思った。
息を繋ぐ時の、隙を見はからって千尋は言った。


「ねぇ、この続きは……?」


角度を変えて、もう一度合わせる寸前だった柊は、
あまりの近い距離から、千尋の潤んだ瞳に気付く。
夜訪うのだからと、努めて明るく保った室内のあかりが、あからさまに不躾に思えて来て、
これはとても、難しいことになりかけていると思っていた。
だから、これで打ち止め、とばかりに、緩く吸い上げるように口づけてから、
明確に身体を離した。


「柊…?」
「この続き、と命じられた私が、何をしようと考えているのかを、あなたがご存知だとはとても、思えません故。」
「そ、んなの、知ってる…!」
「我が君、どうか私の身になって下さいませんか。あなたは王となる方。」


早くも身体を捻って、床へと降りようとしている柊を、
千尋は身軽さにモノを言わせて先回る。


「そんなのはもっと先のことで!」
「ですからなおさら」
「いまの私は葦原千尋といいます。だから、これはゴメイレイではないの。」
「――――。」
「これは、おねがいなの。」


と、千尋は柊と目を合わせて、ハッキリ、クッキリと言った。


「王になったら、私のゴメイレイを、なんでも聞いてくれるつもりなんでしょう?」
「それは、お誓いした通りです。」
「それなら、タダの私のおねがいくらい、すぐに叶えてくれなければ、いけないと思うの。」
「―――私は未だ、あなたの臣ではない、とおっしゃる?」
「だってそうでしょう?あなたはタダの柊じゃない。」


そして、それはもう、ほんの少しの間だけだよ、と、付け加えた。


「この先を綴る伝承が、失われていて良かった。」


柊はそのように言って、まるでしがないものをたぐり寄せるようにして、
千尋をベッドへ沈めてしまう。
あまりに鮮やかな手際で、一体どこをどうされてあおむけになって、
今直下からその顔を、見上げているのかがわからない。


「これほど幸福な私の物語など、誰にも、読ませられはしません。
 いいえ、私のことよりも、あなたの、このようなお姿は、決して、誰にも―――。」


ひとまわりも、否きっとそれ以上に、大きな身体をしているひとの、
肩幅にした二本の腕のあいだは、あまりに狭く思えた。




◇◇◇




自分で言い出したことが、こんなにも恐ろしすぎて隠せなくて、
千尋はいまにも泣きたくなっていた。


「明日に、しましょうか。それとも、もっと先に?」
「いっ、いいの、だ、大丈夫……」
「我が君。」


生成りのシーツから、柊の肩が覗いていて、そこがしっかり肌色なのに目眩がする。
ほんのりと笑う顔はいつもと変わらない、否それ以上に優しいのに、
千尋は、自分で言った言葉とは正反対の表情をしているのを自覚していた。


裸になったのを、見れないし見られたくないと、我が儘を言ったから、
柊は始めてからこれまでのあいだ、一度もシーツを外さないし、その中に潜ったりもしていない。


ベッドのそばに灯した蝋燭のあかりだけを残してくるまって、体温をしっかり覚えた後で、
柊は手だけをシーツの中へ入れて、少しずつ千尋に触れたのだった。
それからどれくらいときが流れたのか、手探りに触れられたところが、まだのぼせたように熱をもっている。


「は、はい!目、つぶってるから、いまのうちにいれて。」
「……そのような。」


気に入らない、というような声。
気持ちはわからないではないけれど、この気持ちもわかって欲しい。


「だって、こわい。」
「ほら、やはり怖がっておいでだ。ですからもっと慣れてから、と申し上げているのに。」
「でもいまがいいんだもん……」
「………我が君。」
「わからない?」


いいえ、と柊は言って、そのあとで、ぺたりとする熱い何かの感触が、
千尋の脚のあいだを割って、それがはいろうとするぶぶんへあてられた。


「――――っ!」
「先程のようなのとは、違うでしょう?」


先程の、というのは柊の指のことで、黒革の手袋を外した手はとても細く見えたのだけれど、
いざ中へ埋まったときには、本当よりもずっと太さがあるように思ったくらいだった。
ひどい圧迫感はそれでもやがてぬかるみをかき混ぜて、
千尋の喉から切ない声をたくさん上げさせた。
これはきっと、それ以上。明らかすぎる質量の違いを、入り口で感じている。


けれど、柊のことを、まるごと知りたいと思ったことは、変わっていない。
互いに全てをさらけ出して、この先、このひとと一緒に生きていきたいと思ったのだから。



その為に、おねがいだとか、まだ王じゃないとか、たくさん言い訳をつけたのだから。



「眼帯とってくれたら怖くなくなるかも知れない。」
「それだけは。」


どさくさに紛れて、留め具にだけは手が届いたのだったが、
無理に外したらすごく怒られそうな感じの雰囲気が、直上から迫る。
こういう気を纏うときの柊は、まだとても怖いのだ。


「………まだだめなの?」
「他でもないあなたですが、軽率にもお見せして、早くも嫌われたくはありません故。」
「嫌いになんて」


そのかわり、と柊は、遮るように、やや強い語気にした。


「……なぁに?」
「それ以外のことであれば、あなたのお願いを、もう一つ叶えて差し上げます。」
「――――ほんとに?」


いま、ご命令ではなく、おねがい、と言った。
千尋の中で、そのことがとても大事だった。


「じゃぁ、おねがい。」
「なんなりと。」


耳を寄せて、それはね。


「痛くしないで。」


私を、誰よりも拝し敬うと、何度も言ったあなたを見込んで、ねぇ、叶えてくれるでしょう?


「―――――難しいことを。」


言葉の続きがキスに変わる。
表面張力に耐えきれなくなったぶんの、水がたぷんと溢れるような、
高い音を何度もさせて、下降してゆく唇の、
緩く吸い上げられる首筋から、細かな汗が吹き出てくるように、
甘い甘い痺れの中で、まるでしっぽりと酔っぱらう。


「あっ……んん………。」


繋がるべきところへ溢れて来るみずを、くるくると先に絡めて、
柊がほんの少しずつ、埋めては、抜いて、回数を重ねる度になかへなかへはいってくるのはそれではなくて、
勝手に増幅してゆく、こそばゆいようなあまみ。


何度目かに宛てがわれて、びくんと千尋の身体が跳ねた。


「あっ……ん!」


柊が、身体の一部の僅かな先端でするだけのこと、
きっと、まるみのうちの半分さえはいっていない、それだけの、未遂とさえ言える挿入で、
千尋は鳥肌を立てる。


「いや、だめ、それは……っ」
「まだ何も。」
「だって……!」


気持ちいいと思う刺激を取り込む点を、分布図にすると、
いま柊が遊ぶようにしているところあたりに、無数にあるのだと思われた。
頼りないほど柔らかいはずのそこが、ピンと左右に張ったように硬くなって、熱くなる。


「いや、もうしないで、だめ……っ」
「痛くしないで、とおっしゃるからするのに。」
「あ、あ、あ、!」


柊はきっと知っているのだと思った。
ここが、何も知らない女の子が最初に気持ちいいと思えるところで、
意図的に、ぜんぶわかっていて、するのだと。



はじめては、いたいだけ



そう、聞いたことがあったから、そういうものだと思っていたけれど、
全然そうじゃない。



はじめては、とても気持ちいい。



気持ちいいと意識した瞬間から、それは倍々になって膨らんだ。
耳の渦巻きまで迫り上がって、出て来そうな鼓動の音が、怖いくらいに近かった。


「いや……どうなるの……?」
「ただ、いく、とおっしゃればいいと思います。」


言われて、のぼりつめた感覚は、とてつもない早さで千尋を中心へ取り込んだ。


「っ、いく―――――!」


背中が撓る。
喉が反り返って、瞼が少しも開けられない。
突っかかりそうな鼓動と同じ早さで収縮する内部に気付いたとき、
そこをするりと滑ってくるものを受け入れた。


「い……っ!」


これが、柊の―――
自覚するよりも、彼が動くほうが速かった。
冷めやらぬ内壁のすることと、逆のベクトルで侵入する、長さのある皮膚の、
しなやかな硬さで飽和する。



怖いなんて、思っても、もうとっくに遅かった。


「そんなに飲み込まないで下さいませんか。」


湿度まみれの声に、千尋は漸く我に返る。
耳の中の鼓動も、静かになっていた。


「ま、まって………!」
「生憎、これで全部なのですが?」
「――――へ。」


ぱちんと目が合ったと、思ったら、
柊は、胸と胸とをぴたんとくっつけて、千尋をくるんと抱きしめた。


「ん……?」
「あなたが愛しい、と、思って。」


そういうことは、ちゃんと目を見て言った方がいいのに。
千尋は言葉にしないまま、浅い息を繰り返す肩を、抱きしめ返した。
この、きれいな肌に、爪を立てたりしなくて良かった。
おねがいを、ちゃんと叶えてくれるひとで良かった。


折角はいったのに、少しも動かなくなってしまった柊の、
柔らかくていい匂いの髪に、顎を埋めて、その中へしっとり囁いた。


「柊が大好き。」
「痛くはありませんか?」
「………うーん。」


しばらく考えて、嘘を言った。


「ちょっとだけ。」
「へぇ……とてもそうは、お見受けできませんでしたが。」
「い、いたかったもん。」
「そのような悪戯な方が、次期の女王におなりとは。」
「それまでにはなおしておきます。」
「そうして下さい。」


お互いに、本気なのか冗談なのか、わからないような会話を繰り返して、
何故だろう、とても、柊が近い。
はいっている、ということだけでない、何かが少し、動いた気がする。


「ちょっとだけど痛かったから、おねがいは半分しか叶ってないの。」
「そう来ますか。」


柊がむく、と身体を起こしたから、千尋の、少し足りない腕が離れてしまい。


「だから柊も、半分だけ、教えて。」
「……この目のことですか?」
「だめ……?」


答えを待つ間に、柊はそのまま腕をうんと伸ばして、
朧なあかりの根元を、摘んで消した。


「あ……っ」


はいっているものの先が、つられてぐいと動いたせいで、
千尋のなかに再びのうねりがよみがえる。
部屋は、言葉通りの闇に沈んでいた。


こんなに暗くしてしまっては、見えるものも見えない、
が、これが彼なりの、防衛線だと言うのだろうか。


「外して下さい。」


触れたこともないものを外せと言われて、この闇。
当然に手探りになるから、結局上手く外せないで、おでこのほうへせり上げる形になってしまった。
千尋の手を追いかけるようにして柊は、今にも露になりそうな右の目を、
前髪の全てで覆ってしまう。


「そんなじゃ…ぜんぜん見えないよ?」
「ですから、触れて。」
「――――――。」
「その方が、幾らかマシだと思います。」


千尋は何度も、指先を近づけた。
緩く巻いた前髪を、僅かに掻き分けたりもした。
けれど、最後の束を、どうしても割れなくて、
爪の先の、もう少しの何ミリかを、ついに埋めることができなかった。



あんなに、知りたいと思ったのに。



柊は、ちゃんとさらけ出そうとしてくれているのに
いいえ、だからこそ、こんなやり方は、



今になって、正義感だとか平等性だとか、そんなことばが浮いてきて、 千尋は明らかに動揺していた。



ほんのすぐそこにあるものが、傷跡なのか、それとも、もっとひどいものなのか、
ごくりと唾を飲んだままに静止させて、
千尋はただ、問うた。


「…………痛かった?」
「そう、ですね。あなたの言葉を借りるなら、『わふ』と噛まれてしまいました。」
「わふ。」
「はい、わふ。」


あぁ、なんて、可愛いひとに思え。


笑ってはいけない、笑う種類のはなしではない、
千尋は 幾らもわかっているのに、読むべき空気を読んでもなお、
ふくと吹き出してしまった。


「おや、お笑いとは。」
「ごめんなさい、何か、『わふ』とか。」
「心が痛みます。愛しいあなたの真似をしたまでだというのに。」


あからさまな演技で、大袈裟にうなだれる柊が懐かしかった。
夜見の門前で、芝居が出来ないなんて言ってたけれど、
きっと俳優にでもなってみれば、とても得意だってわかるはず。



けれど、そんな柊は、千尋の知る限りの中で一度も、嘘は、言わなかった。



「嘘なの。」
「は?」
「痛くなかったの。だから、今日は、私も触れないって、思ったの。」



嘘つきって憤慨して、痛いくらいに続きをして。
そうすれば、あなたがどんなひとだって、
夜が明ける頃にはわかるかなって、



―――そう、思うの。




◇◇◇




その時の私が、どんな顔をしていたのか、
はっきり映せる鏡もないし、あってもこの暗さではやや朧だろう。
ただ、柊が満足そうな声をしているから、少なくとも可愛いというふうには見えているんだと思った。


「あなたに見送られたという私を、不幸せな男だと、思っておいででしたら間違いです。」
「―――。」
「ときをめぐるのは、幸せなことでした。踏み行く傍から思い出に変わるそれらは、
 瞬くごとに数えきれない伝承となって、いつも数多のあなたが、私の中で生きておられた。」



そして、いま、あなたが笑って下さるなら。



「その限り、私は、数多のうちのどの私も、全て、愛しく思える。」


声と一緒に、一番の奥へ、届いた。
甘い声を上げたいのを、今ひとたび、我慢して。


「ねぇ、終わったら。」
「……はい?」
「今夜はここで、一緒に眠ってくれるでしょう?」
「幸せに尽きます。」



とてもくっついては眠れなくなるまで、あと少し。
ひとりでも、寝苦しい季節が来るまでのあいだだけ、
どうかここで、おねがい、もっと、ぎゅ、ってして。



そして、いよいよ夏がやって来たら、くっつかなくていいからなるべく近くで、
そう、枕元くらいには近くから、私の知らないあなたの物語を、少しずつ聞かせて。



幸せだと、あなたが言ったあなたのことを、私も、出来る限りたくさん、知りたいの。







− Bridge over …・完 −













柊EDは色々と七不思議なんですけれども!追加まだですk(ry
やっと両想いになった…!っていうところで柊が岩盤の…ッあぁ!(悲しすぎてその先を言えない)
っていう、で、やっとこ再会できたその日にドラマティック展開とはいえ、
千尋的には片想い気味なベクトルから始めるんじゃないかなという気がしているのです。
私的には岩盤の柊はやっぱり宝で、千尋の記憶の中でしか触れられないとこにいる、
それこそ伝承のカケラみたいな目で捉えてるんですが、
彼に繋がってく途上の再会柊の、岩盤柊より幾らか若いその青さとか無鉄砲さで、できることがあると踏んでいます。
R15くらいで十分でしたね…知ってる。たぶん柊は健全だ(笑)

2009.06.06 ロココ千代田 拝