◇
(何故こんなことになっているんだ)
九郎の頭が泡だらけなのは、洗髪の途中だからだ。
俯いているのもそうだからで、それは何も不思議でない。
途中なのだから気にせず続ければ良いのだが、解せぬ事に身体が動かない。
それは、後ろからピッタリ、何かが抱きついているからだと気付いたのは、
それから少しだけあとの事だ。
「………望美」
しかいない。
そうでなかったらいろいろとアレである。
弁慶でもアレだし幽霊などの線だとするとまた別の意味でタイヘンである。
「何してる」
「なかなおり」
「……俺は髪を洗っている」
「知ってます」
「なら腕くらい解放しろ」
渋々、というふうではあったが、
しがみついていた腕はやがてほろりと外れた。
同時に、背に押し付けられていた柔らかいまるみの感触も、離れた。
正直少し惜しい九郎である。
「それでいい」
振り切るように、ガシガシと洗髪を再開したが、
今度は許可もなくシャワーが上から降って来る。
まだ途中なのに、だ。
「お、おい!コラ望美!」
何とか止めたいが、生憎泡が目に入り、その所為で目を瞑っているので、
望美がどこにいるのかがまさに闇である。
「……っ、何をするんだ!」
「だからなかなおり」
とてもそうは思えない。
更に喧嘩をしたいのだと言ってくれればまだ買う余地があるくらいだ。
呆れてものが言えなくなった。
「そうやって大人しく聞いて下さい」
「……あー」
流れてゆく泡には逆らえない。
仕方がないので、すすぎの作業に入る事にする。
「忘れてました。九郎さんて意地っ張りだったんですよね」
「なっ何だと」
「大人しく聞いて下さい」
「……」
「誕生日は、覚えてたんですけど、その事は忘れてたんです」
さらさらと、ちょうど良い温度の湯が、髪を伝って額に流れる。
顔に纏わりついていた泡も、少しづつ切れて、
しばしばと瞬かせてみると痛みも軽くなっていた。
「なんだ、覚えていたのか、って、言いましたよね」
「……あぁ、そのような感じだったかも知れないな」
「ということは、忘れているかと思っていたんですよね」
「そういうことになるな」
九郎はややイライラしていた。
回りくどい言われ方は好きではない。
誘導尋問でもされているようで、落ち着きが悪いのだ。
背中を越えて、床に届きそうな毛先を持ち上げては、隙間の泡を洗い落とす。
量も多い方だから、これがなかなか厄介だ。
すでに目は開いている。
「私が毎年忘れる事を、九郎さんは覚えていた、っていう事なんですよね」
「なぁ望美」
望美の身体は半分湯船に浸かっている。
ちら、と横目に見れば、白い胸がすぐそばにある。
ごく、と喉が鳴るのは理性で止められるものではなくて、
仲直りなら、もっといい方法があるのではないか、という気がして来るのは否めない。
「だから私が覚えていて、すごくびっくりして」
「いい加減にしろ!」
九郎はぴしゃんと言って、望美の手から、シャワーを取り上げた。
続きに湯のレバーを戻して止める。
「いやです返して!」
「泡はもう落ちた!シャワーはいらん!」
「返して!」
望美も九郎も立て膝になって、ぐいぐいと引き合う。
流石に元・神子は力があるが、それでも九郎は男である。
風呂で本気の力を出して、どこか怪我でもさせたらそれこそことだ。
ならば他の方法で、望美の力を緩める術を、取らねばならない。
九郎は、空いたほうの方の手で、望美の胸を掬い上げた。
「――――っ!」
ピタ、と引っ張る力が止んだが、九郎には計算済である。
だからどちらもつんのめったりしなかったし、尻餅をついたりもしなかった。
望美が反論する前に、指の先を乳首に触れさせて、
かり、と小さく引っ掻いた。
「んは………っ」
「お前が覚えていて、びっくりというより嬉しすぎたんだ」
「……じゃ、ないかって……言おうとしたの」
ほう、と九郎は、二本の指の間に乳首を入れて、
円を描くようにしてまるみを揉みこむ。
小さな粒がきゅうと固くなって、望美はひんと泣くような声を上げた。
「わかっていたなら何故怒った」
「っ、ん……、そのときは、わからなかったんです」
目を潤ませて、小さく震えた始めた望美にひとつ近づいて、九郎は唇をすぽりと奪う。
反射のように、絡まってきた舌は、既に色づくまでに熱かった。
シャワーは簡単に望美の手から外れて、九郎は片手でそれを戻す。
「んん……あぁんもっと」
望美は、九郎の手を誘導して、もうひとつの胸にも触れさせた。
快感は倍になって、湯に浸かった下半身が、のぼせそうに熱くなる。
ちゅ、と音を立てては、何度も口づけるうちに、互いに身体をくっつけたくなるのだが、
そのたびに浴槽の縁がとても邪魔なのである。
「ん、ふぁ……、九郎さ……っん」
「っ、望美」
これでは、とてもくっつけたくなっている、肝心なところをくっつけられらない。
浅い息に耐えられずに唇を離すと、つつと細く糸が引く。
「歯がゆいな」
「……上がり、ますか?」
「いや、」
すく、と立ち上がった九郎は、薄く照れたように笑んでいて、
それは、この日望美が初めて目にした、九郎の笑った顔だった。
「とても、待てん」
「え、ちょっと、待ってここで!?」
ざぶ、と湯船に入ってきてしまった九郎に、
望美は流石にためらいの顔を見せたのだが、
構わず腰をくるんと抱かれて、同じように肩まで浸からされて、
膝が跨いだところは九郎のそれの直上だった。
「や、あの、うそでしょ」
「嘘じゃない」
九郎は望美の肩をつかんで、ぐ、と下方へ圧力をかける。
浮力は確かに働いていたが、女が腰を上げようとするのを、
男がだめだと押さえ込んで、どちらが勝つかは明らかだった。
尤も、本気で嫌がっているのなら、それも不確かではあるだろうが、
湯に透けて見える、垂直にそそり勃ったものを見ながらでは、
入ったら、どんな心地がするか、思い出しながらでは、
少しも抵抗にならない。
「い、や……」
「聞き分けのない奴だな、もう先が当たっている」
「っんん……」
ぬる、と九郎の先端に絡む、
水ではない液体の所為で、少し気を緩めただけで、つぷ、と侵入を許した。
「あ……!」
抑えきれない声が漏れたのを聞いて、九郎は大きくひとつ突上げた。
「ああぁ、だめ……だったらぁ!」
「入ってしまってから言われてもな」
「も、もう……」
そして、ゆるゆる始めた律動で、たぷ、と水面に波が立ちはじめる。
「湯が邪魔だな」
九郎が言うのは水の抵抗の事で、
いつもするように、キッパリと腰を動かせないという意味だった。
「お前が動いてみたらどうだ」
「え……!」
「浮力で、いつもより楽なのではないか?」
九郎は思いついたように言うが、明らかに顔が悪戯そうである。
「わ、わかってしたんでしょう!」
「縁起でもないことを言うな、俺は潔白だ」
「うそだ」
こういうことをしているときの九郎が、
いつもの純粋な、まっすぐな九郎と同じであると思っていたら
それは大きな間違いだという事を、
望美はいつしか覚えていた。
「九郎さんのエッチ」
「エッチで構わん」
「……知らない」
それでも少し、動かしてみると、言われたとおりいつもより、少しだけ上手くいく気がした。
腰を浮かせると、中のものが滑るように引かれる感触、
ざわ、と鳥肌が立つ。
「んは……、ねぇつぎ……は?」
「さっきのところまで戻せばいい」
「こう……?」
長いものに座り込む、震えるような痺れに、望美は甘く唇を噛む。
「あぁ……」
慣れない所為と、照れの所為で、とても拙い動きである。
本当に良くなろうとするには、もう少し強く、擦り付けたい。
九郎の、いちばん先の、いちばん高さのあるぶぶんで、
いつものようにぐりぐりと、掻き回す感触が欲しい。
が、数度繰り返しても、そういうふうには出来なくて、望美は少し不満だった。
悪くはない、しかし、内側を、頼りなく擦れてゆくだけでは、
もう少しのところを越えられないまま、
快感はくすくすと燻っては、湯船に漏れてゆく気がする。
「九郎、さん……」
「ん?」
「もっと、したい」
「いくらでもすればいいぞ」
「そうじゃなくって……っん」
どれだけ腰を落としても、根元までは、もう少しだけ足りない気がして、
強請るような目線を向けると、そのぶんを九郎が腰に角度を付けて埋め込んだ。
「あぁっ、それ、それがいい……っ!」
「なんだ、やはり降参なのか」
「だって九郎さんがしてくれるのがいい」
「どうしてだ」
「あっ、んあっ、そのほうが……気持ちいい……の」
望美の腰が、九郎にしっかり抱きかかえられた。
下から深く突上げる規則的な抽送で、望美の身体が浮き沈む。
ふたりぶんの長い髪はしっぽりと湯に濡れて、水に舞って躍るようで、
大きく波が立つのを、恥ずかしいと言っても、九郎はやめてくれなかった。
「あ、あっ、いい……濡れちゃう……」
「何を言ってるんだ、とうに濡れ過ぎだ」
「だって……あ、あぁ…!」
「ほら、溢れてきて濁りそうだ」
九郎は、奥へ捻るようにいれては、入り口でしっかり揺さぶった。
先で中の襞をかき分けて埋め込むと、望美がぽっと体温を上げる。
「ここだな」
「そ、こ……もっと」
「お前は、いつの間にそんな目をするようになったんだろうな」
「や……言わないで」
九郎がどこを、どうすれば、次にどうなってしまうのか、望美の身体は覚え始めている。
望美の身体が反応して、締めつけたり奥へ引き入れたりすることで、
次にどうして欲しいのか、九郎の身体は間違う事なく動くようになっている。
深いのも、浅いのも、貪欲に
搾り取るように、感じる。
九郎の首に、腕がまわった。
しんなりと、強く抱き込んで、繁く浅い息をする、
蕩けるような目が合った。
「……ちょうだい」
「本当にずるいな、お前は」
「そんなの……」
「いつもそれくらい素直になれ」
「な、それどういう意味―――」
束の間でも、強がりたかった望美の、
気丈な声は一瞬で、言葉尻がふにゃりとへこむ。
深くにある、いいところへちゃんと九郎が届いて、
そして幾分激しく打ち付けることで、泣きそうな喘ぎに変わってしまった。
「あ…っ、いや……ッ、だめ……おっきい」
「お前が締めつけるからだ」
「九郎さんがするから、あぁ、もうほんとに……っ」
九郎の腕を抜けていきそうなくらいに、
望美は大きく身体をくねらせて、切迫した息をした。
達していこうとする、離れていこうとする身体を、
九郎はしなやかに抱え込む。
深く、深く、繋がる根元に押さえ込む。
「やだいっちゃう――――!」
「っ……!」
ただ入っているのには、少し頃合を過ぎた湯船に、
白濁の液体が密かに溶けた。
◇
毛足の長いバスタオルで、
陽の色の、長い髪を拭きながらリビングに戻る途中、
どう言い訳をしたものか、と、九郎は内心穏やかでなかった。
だから、もぬけの殻になっているのだと知ったときには、
やや大袈裟に驚いた。
それは、まるで絵に描いたように、パサ、とバスタオルを落としてしまうのに十分だった。
「なんだ、いないのか、あいつは」
「当たり前じゃないですか、いたら一緒に入ったりしないですよ」
「……まぁそれもそうだが」
それならそうと言ってくれれば良いのに、
若しくは、いるのかいないのかをする前に尋ねるべきであったと、
遅ればせながら九郎は漸く思い至った。
それほど、気に掛けていたという事ではある。
気が短いのは自負するところだが、
一年に一度しかない誕生日なら、
喧嘩しないに越したことはない、それくらいの常識は持っているつもりだ。
やや長湯になってのぼせた感があるが、
結果的に仲直りは成功したようであるし、
よしとしよう、と、自然に向かったキッチンの冷蔵庫を開けた。
「なんだこの量は」
ケーキも、柿も、その他諸々、
自分を祝う為に用意されたのであろう品々はすべてが×2となり、
ぎっちりと詰まって収まっていたのである。
残念な事に、中には足の早いものもある。
「………流石にどうしろというんだ」
呆然と、顔に冷気を受けていると、
部屋着の腰に、のぼせた温もりがきゅ、と腕を回してきた。
「九郎さん」
「なんだ」
せっかく暖まっている小さな手を、冷やしてしまわぬよう、
九郎はかさりとマメのある手のひらを、上から重ねて握る。
「お誕生日おめでとう」
「……あぁ、ありがとう」
「素直ですね」
「誕生日くらいな」
「ふふ」
「はは」
さわやかげに重なっていたはずの二人の手は、
最早あんこか何かを捏ねてでもいるのか、というように、組んづ解れつな有様で、
誰か見るものがあればそっと視線を外さざるを得ない。
「弁慶さん、泊まるところあるって言ってましたけど、そうなんですか?」
「さぁな、将臣のところにでも行っているのではないか」
「電話してあげませんか?」
「あ、あぁ、それは……名案だ」
望美は親切心で言うのだろうが、
九郎としては、正直なところ、微妙な気持ちである。
弁慶が席を外したのも、きっと気を利かせての事だろうと思われる訳で。
今夜くらいは、一人占めにさせてくれ、などと、
似合わぬ台詞でも吐いてみようかと、一声が喉をつきかけたときであった。
「これ、半分は弁慶さんが買ってきてくれたものなんですよ」
「なに、そうなのか!?」
彼の帰宅時を思い出してみようと思った。
が、返す返す、薄いカーテン吊られる出窓、その向こうに眺めた、
暮れ行く夕焼けの色くらいしか思い出せない。
しかし、望美が言うのなら、そうなのだろう。
「そうだな。たまには三人で誕生日を祝うのも、いいかもしれないな」
「でしょう!決まり!」
望美は嬉々としてリビングへ跳ねてゆく。
携帯電話を取り出して、ボタンを押す後ろ姿が愛しい。
九郎ではない男を呼ぶ為であっても、それもまた、九郎の為であると、知っていればこそ愛しい。
この日の夕暮れ、チャイムが鳴って、望美が現れたときには本当に、驚いた。
『誕生日でしょう?』
との台詞のとおり、手にはたくさんの買い物が下げられていた。
いつも、10日か11日か、とにかく9日に祝ってくれた事などなかったから、
驚きすぎて、嬉しすぎて、どう喜べば良いのか、わからなくなってしまったほどだ。
怒ったような顔をしたのだろうから、
望美だって怒るのも、無理はないと、今なら思える。
いつも、後手後手にまわってしまう。
言い訳のようだが、しかしこれは、知らないだろうと思うことがひとつある。
誕生日を三人で祝うのもいい、と九郎は言った。
それは、いつもはふたりで祝っていたから、という意味だ。
10日か11日か、とにかく9日ではない日に、望美とふたりで祝っていた。
望美はそのことを、思っているだろうが、本当に指したのはそうでない。
11月9日は、望美はいつもいなかったが、
代わりにいつも、弁慶とふたりであったのだ。
携帯電話に蓄積させた、望美とふたりで撮った写真を矯めつ眇めつ、
「今年も忘れられたみたいですね」
「……明日には来るといいがな」
などと、愚痴を聞いてもらいつつ、過ごしていたということを、
あとで弁慶が帰って来たら、種明かししてからかってやろうと思う。
そう、たまには三人で祝うのも良いが、
来年こそは、望美とふたり、この日に誕生日が来ることを
切に切に、願う。
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