◆Special Thanx for... ののみ様
- 月駆け小唄 -
「花梨ー」
ヤカンの注ぎ口から、しゅんしゅんと水蒸気が噴き出すのに向かって、
いま一番好きな女の名を呼ぶ。
顔を見ながら呼べればいいのだが、沸騰しつつあるヤカンから少しでも目を離せば、
ガス台に吹きこぼれたりして危険であることを
俺はこれまでにイヤと言うほど学んでいる。
ものを読んでみたところに依れば、ガス漏れ、だかそういう危ない事態に発展することもあるらしい。
彼女が下宿に遊びに来ている今日は、殊更そのような目に遭わせるわけにはいかない。
「はーい。なんですか?」
聞いたか、この可愛らしい返答を。
誰が聞くでもない、俺一人の為に発せられた声に、胸を高鳴らせる。
チリチリといい音がしてきたのを確認してガスを止めると、
続きに、今度は顔を見ながら問いかける。
「コーヒーか、紅茶か、どちらにする」
「……か、勝真さんとおなじので……いいです」
ぺたんと膝を投げ出して、見ていたものから顔を上げ、
言いにくそうに詰まりながら、遠慮がちに答えるのが堪らない。
心なしか頬も染まっている。
同じものを選んでくれることの幸せに咽びながら、俺は茶棚からコーヒーのビンを探し当てた。
隣には砂糖と、味をまろやかにさせるための、白い粉末のビンもある。
「では砂糖は入れるか、みるくはどうだ」
「……それも、おなじでいいです」
「そうか」
ではどちらもいらないということになるな、と茶棚を閉じかけたときだった。
「まって勝真さん!」
「どうした?」
「あの、ほんとうはどっちも……あまり……」
「……あ?」
予想外のことを言われると、つい顔を顰めてしまう癖がある。
そういう顔で、声も怪訝そうな発声になってしまったから、
花梨は小さな身体を更に縮こめてしまった。
「す、すみません、ほんとに、先に言えば良かったんですけど……!コーヒーと紅茶から選ぶなら
どっちでも同じかと思って……でもやっぱり残しちゃ悪いですし……」
「い、いや気にするな、怒った訳ではないんだ」
「ごめんなさい……」
自分が撒いた種に、まるっきり落ち込む、花梨のこういうところは、あの頃から少しも変わっていない。
そして、あの頃の俺なら、辛気くさいとでも一蹴して、更に落ち込ませるところだが、
もうそんな狭量な俺ではない。
「そんなこともあろうかと思ってな」
「え……?」
「飲み物という飲み物は、揃えておいたんだ」
「ほんとですか!じゃあ、」
「あ、しかしスーパーで揃うものだけだぞ」
「そういうものしか知りません」
「気が合うな」
「ふふ」
花梨が選んだのはココアだった。
上面だけ見て買って来た為にどういうものかは知らなかったが、
コーヒーとよく似て見えて、実はとても甘いのだ、と教わった。
ここへ来て、花梨と俺の立場は逆転している。
怨霊はびこる京にいた頃は、俺が手取り足取りしたような内容を
今は花梨から教わっている。
それこそ、文字の読み方からだ。
携帯電話の小さな画面で、イライラするほど小さなボタンを押すのにさえ手間取る俺を
花梨はときに笑い、時に慰めたりして根気づよく仕込んだものだ。
文も書けないのかと言って落ち込ませたあの頃の俺を蹴ってやりたい。
「熱いから気をつけろ」
「はい」
腰を折って、花梨の鼻の先へと、カップを近づけた。
湯気を立てる、琥珀+乳白色の液体をキラキラした目で見ながら、両手で受け取る。
たったそれだけの仕草に、何故これほど胸を鳴らさねばならないのだろう。
ふうと息を吹きかけるのも、少しずつ啜ってゆくのも。
じーんと見蕩れていた所為で、注意を促した俺の方が、若干唇を火傷した。
「っつ!」
「勝真さん!」
「な、なんでもない!気にするな」
「火傷したんでしょう、大丈夫ですか?」
向かいの顔が、ぐんと乗り出して来る。
大丈夫でない、と言えば、どうしてくれるというのだろう。
―――というような悪戯心が湧いてしまう。
だから気にするなと言っておいたというのに、花梨は無防備に過ぎる。
まだ三分の二は残っているカップを支える両手の上から、
自分のを重ねてつつんでみた。
花梨の、すぐそこまで迫った目と、しっかり合わせていたいぶん
瞬きを堪えた俺の目は、唇よりもよほど、ひりひりとしている。
「この世界では」
「はい」
「唇の火傷には、何が効く?」
「……えっと……」
ここまで男の顔が迫っていて、後ずさったりしないんだな、というのが驚きだった。
もし、俺が動物かなにかだったら、いたいけな獲物を前にして、間違いなくひと飲みにしそうな場面のはずだ。
が、花梨は先程から、俺のやや赤さを増した唇を、邪気ない顔で見つめたままだ。
「向こうの世界では、何か効くものがあったんですか…?」
「っ、あ、いやそれはその」
不意をつかれた。
言葉を探しているうちに、花梨が更に続ける。
「唇がカサカサになったりしたときには、付けるものがあるんですけど、火傷には効果がなさそうですしぃ、」
どうやら真剣だ。まずい。花梨は飄々としているが、
俺の顔からどんどん余裕がなくなっていくのが自分でもわかる。
本音を言わせてもらうと、実はこう思っていた。
俺の言葉に動揺するはずだった花梨や、顔をまっ赤にするはずだった花梨が、
『く、口付け、とかですか……?』
万が一、もしも、このように答えたとしたら、
答えたとおりにしてもらった上で、今日この夕方、彼女をここへ呼んだ本当の目的へと
ごく自然に流れて行こうと思っていた。
好きな飲み物(として示される可能性のある飲み物)を揃え、
それを渡しつつ向かい合わせで飲みながら、眩しい笑顔を見つめることも、
目的のひとつではあったのだが、それだけで帰すつもりなど、微塵もなかった。
だがどうだ。
ほんの少し予定が狂ってしまっただけで、
俺のほうがこんなにも、動揺している。
花梨は何も刺激的なことを言っている訳ではない、顔だって妖艶に変化している訳でもない、
それなのに、何故だ。
ただ、まんまるい目が見つめるだけ。
人差し指を顎の尖ったぶぶんに立てて、うーんと考える顔、
いうなれば無防備すぎて、手が出せない。
耐えきれなくなって、パッと視線を逸らした。
つつんでいた手も、外してしまった。
そして、胡座にした膝の上に大人しく安置する。
いつの間にか手のひらは酷い汗にまみれていて、ジーンズに擦って拭ったりした。
(何やってんだ、俺は)
「勝真さん」
「な、なんだ」
「考えたんですけど、唇の火傷に、よさそうなのがありました」
「――――」
言葉が出なかったのは、今度は花梨から、酷い至近距離に迫って来たからだ。
「しても、いいですか?」
「いいもなにもなにを」
「キスです」
「き」
花梨はもう一つ身を乗り出した。
ココアのカップに、制服の、胸の膨らみが浸かってしまいそうで
俺はそれをそ-っと移動させて、花梨の動線から外した。
少し、妙な気を起こしさえすれば、その柔らかそうな胸に触れてしまえそうで、
そんなことを考えている間に、俺の唇は塞がってしまった。
「!」
悪いとは思ったが、目を閉じる余裕がなかった。
だから、花梨の唇が、触れてから離れるまでの一部始終、
染まってゆく頬のイロハの全てを見てしまう。
何だか、大事なものを盗んだみたいな気分だ。
ふ、と唇が浮いて、睫毛がしばつくのが見えて、慌てて目を閉じた。
そして、それからでは、花梨がどんな感触だったのか、思い出そうとしても遅いみたいだ。
「……治りましたか?」
「酷くなったようだな」
「え!そんな―――」
「と言えば、もう一度、してくれるか」
「か、勝真さんっ…!」
「何故今更照れるんだ?」
「勝真さんこそっ……どうして今度は平気な顔なんですか?」
「ん、何故だろうな」
キスの意味がわかったからかもしれないな、と、その距離で届かせるのに十分なだけの大きさで言った。
少女のように振る舞っておいて、さも、無邪気に見せておきながら
俺にそれを、教えるなんて
だから俺だって、教えたくなる。
「花梨」
「は、はい」
「そっち行って、いいか」
「―――」
花梨は自分の座っている周辺を、確かめるように、目線を泳がせる。
右側にテレビとオーディオ、それらはどちらも沈黙している。
真後ろはベランダ、しかしここは5階で、逃げるにはやや難がある。
もう一つのドアは俺の真後ろ、キッチンを越えたところにある。
つまり、こちらへ逃げてもその前に、俺の腕が捕まえてしまうということだ。
―――なんて、考えたかどうかは知らないが
最後に、もう一辺を占める、一人用の寝台にちらりと目をやったのを、俺は見逃さなかった。
再び『本当の目的』に向かって動こうとしている俺のことを、
理解した、と捉えていいのだろうか。
「どっちでも……」
「今度は、あとでイヤでした、って言っても、聞かないぜ」
「っ……いいません!」
「ほんとか?」
「もう、決めました」
それは、キッパリとした花梨の声だった。
◇
電気を消して、と言うから消した、というフリをしたが、
俺とて明るい中でするには心臓が跳ねすぎていたから助かった。
寝台に背を凭せ掛けるようにしながら、膝の間に花梨を引き込んで、ぎゅう、と抱きしめた。
京で、こういうふうにしたときは、こんな日が来るなんて思わなかった、
と花梨は言って、
俺は来るかもしれないと思っていた、と言った。
「えっ、そんなに早くから…?」
「こ、こちらを向くなと言っただろう!」
あの頃と何も変わらない返答をした、じつに進歩のない俺だ。
言われたように前を向き直った花梨の、毛先を指で分けやって、
露になったうなじに唇を寄せた。
「っん……く、すぐったいです」
初めこそそう言って逃げ腰になっていた花梨だが、
吸い付くような感触に誘われて、もう一度、もう一度と繰り返すうちに、
嫌がっているのではない息づかいが混ざり始める。
「あ……、ん、っは……」
身を捩ると、揺れる胸に釘付けになる。
上から見ていても、しっかりと盛り上がっているふたつの膨らみを、
俺は常々はち切れんばかりだと思って直視できずにいた。
京にいた頃の衣装からは、そうは思えなかったのが主な原因だ。
その胸に、どうやら触れてもいいらしい。今夜は。
思い立った瞬間に両手が動いてしまっていた。
思いがけず、むぎゅ、と遠慮ない力になったのは計算外だ、それは本当だ。
「かっ、勝真さん……!」
「すまん、痛いか?」
「……恥ずかしいんです」
そうだろう、たった数枚しか重ねていない制服は、
その上から触れても素肌が近すぎて、柔らかすぎて、
俺とてそれだけで飛び出しそうになる鼓動を飲み込むのに忙しいくらいだ。
いっそ、思い切り良く脱がせてしまって、直接触れられるようにしたほうが、
幾分落ち着いていられるのかもしれないとさえ思う。
セーターをぐいと押し上げて、ブラウスのボタンに手を掛けたら、
花梨が指先を握って阻んだ。
「み、見るんですか?」
「見たい」
「や、いや……」
「決めた、と言ったのではなかったか?」
「そう、ですけど……」
花梨の正直さにつけ込んで、小さなボタンをぷつ、と捻っては外してゆく。
手のひらを押し返すように、つんとはり出した胸が、
大きく息をしているのが感じられて、どういう訳か俺にも感染る。
身頃を左右に開いたときには、期待で手が小さく震えていた。
(というのに―――)
焦れったいとはこのことだ。花梨は、わざわざ押さえつけるような下着を付けている。
なんという下着なのか知らないが、これはもどかしい。
というか、押さえつけてこの大きさなら、自由にするとどれくらいになるのだろうか。
思わずごくりとの喉を鳴らし、
膨らみと、下着の境目へ、人差し指の先をほんの僅かにさし込むと、ふに、と指先が凹む。
「本当にやらかいんだな……」
「も、もう……!」
「めくったら泣くか?」
うなじのほうから乗り出して、花梨を覗き込んだ。
潤んだような目と、短く小さく吐く息が、切なくなるほど可愛かった。
堅牢に見えた下着は、見た目より頼りない作りのようで、これならすぐに脱がせてしまえそうだ。
少し、指を下方へ動かせば、中央の頂が晒される。
泣くと言われたら残念だが、泣かせてしまうのも本意ではない。
俺は肝心なところで及び腰だ。自覚はある。
しかし花梨は気丈だった。
「……ちょっとだけなら」
この感動は、少し言葉にならない。
俺の人差し指は、花梨の小さな手のひらにふんわりと握られて、
たおやかすぎる華麗な生地を、爪がふいと押し上げた。
「か、花梨、待て、」
こちらにも一応こころの準備というものがある。
術でも弓でも言えることだが、自分の間合いで詰めていかないと、いきなりは――――
「待ってくれ―――」
言い切らぬうちに、人差し指がそれに触れてぐっと詰まった。
小さくて、だが確かにまるい粒の感触がしたかと思うと、
花梨がそうするままに、零れるような乳房ごと、ぺた、とつつまされてしまった。
「……なんと言うか、この状況はおかしくないか?」
「こうでもしないと、恥ずかしすぎて」
「……ときどきお前がわからん」
「ご、ごめんなさい」
花梨が手を離して、ようやく自由にすることが許された胸は、
本当に、目を見張るほどの大きさがあって
手の中でぽよんとたゆませる、たったそれだけのことに酷く緊張する。
「ん……」
「いやでは、ないよな?」
「そういちいち聞かれると……困ります」
「……すまん」
確かに、と自分でも思う。
いつでも、花梨は、俺より先に覚悟を決めていて
俺より一歩先に、前を向いて歩いていて
そんな花梨を、見慣れていると思っていたが
そして、だから花梨に惚れたのだが
こんなときまでそうだとは。
流石は、こんなに遠くから、飛んでくるだけのことはある女子だ。
適わない。
―――いや、適っていかねばならない。
いまあらためて、そう思う。
◇
寝台に仰向けになった花梨が、下から白い腕を延ばす。
秋の夜気は澄んでいて、カーテンをしっかり引いた中でも、
上りはじめた月光が隙間入る。
その、震える指先で、肌着代わりにした俺のTシャツをすっぽりと抜き取ってゆく。
パチパチと乾いた音がして、髪が舞い上がる心地。
それを見て、花梨がくすくす笑う。
「ばくはつしたみたい」
「……お前にも同じことをしてやる」
制服のセーターは毛素材で出来ているから、
言ったように同じようにしてやったら、俺より猫毛で、俺よりやや短い花梨の髪は、俺より酷く舞い上がった。
「ほう、こういうのを爆発したみたいだと言うのか」
「ひどい……」
「いや、可愛い」
「うそつき」
両手で頭を抱き込んだ、全身肌色の花梨が、俺の場所からどういうふうに見えているか、
あまりわかっていないらしい。
隠すところは、頭ではないのではないか、と思うが、
言ってしまうと俺の楽しみが削られるから、その妖艶な姿勢を、舐めるように記憶しながら、
腰の括れから手を這わせた。
「んん……ぁ」
肌を合わせると、絹よりも心地よい。
重ねた身体が摩擦するより、早く火照り上がる花梨の、
滑るような半身を、俺の同じぶぶんで撫でてゆく。
「勝、真さ……」
零した声を、唇で止めて、ようやく花梨の頑な腕がほどける。
舞い上がっていた髪は、綺麗に落ち着いたらしい。
代わりに俺の髪に手を入れるから、こっちはまた酷い有様になりそうだ。
「ふ……ぁ……」
口付けながら、いい声が出るようになって来たのを見計らって、手のひらを下方へ移動させる。
なだらかなまるみに触れたとき、花梨の身体が大きく跳ねて、唇が離れた。
「まだ怖いか?」
寝台に乗る前に、一通り慣らせてはおいたのだが、
反射的に脚を閉じてしまうところを見ると、そうなのだろうなと思う。
「だって……今度は、その……いれるんでしょう?」
「あぁ、できればそうしたいな」
「……はいるのかな、って」
花梨の視線は、たどるまでもなく俺のそれにある。
ややもすると勃ちすぎのそれを、まじまじと見られるのは堪らない。
「だから、はいるようにしてやると言っているんだ」
幾分ぶっきらぼうな言い方になる。
俺の膝の間で、固く閉じたところから、指を捩じ込ませるようにしていれる。
緩いわかれめに届いたところで、指先が暖かいみずで濡れる。
差し入れるとつぷと音がするほどにぬかるんでいて、すぐに水かきまでが埋まってしまった。
「あ、ぁ……っ」
中で指を動かすたびに、膝が少しずつ緩む。
そんなに大きく動かす訳ではないのに、花梨は確実に体温を上げてゆく。
くの字にした指先で内側をゆっくり擦るように、
奥まで入れては、引いてはするのを繰り返した。
「あっ……ん、それ、だめ……」
「ん?」
「なんか、きゅって、なる……」
花梨の、泣きそうな、薄く開いた目が合った。
間違いなく感じている顔だった。
だめ、と言われたことを、そうかでやめる訳に行かない。
こちらこそ、キュ、となりそうな心を堪えて、辛抱強く同じのを続けた。
「ん、あ、いい……、すごい上手……っ」
「なぜわかる?」
「そ、それじゃ……あんっ、それで、下手なんですか……?」
「お前は本当に誉めるのが上手いな」
花梨の白い身体が、大きな呼吸で上下し始めて、
人差し指で出来るぶんだけ奥へ入れたときの、締め付けがひとたびごとに強くなる。
「ああっ……ほんとに、勝真さんてば」
「もういれられそうだが、どうする?」
「っん、いじわる言わないで下さい」
「意地悪ではないだろう、親切心のつもりなんだが」
指先をくいくいと小刻みに曲げるのに、花梨がそのとおりに声を上げる。
その切迫した、高く短い嬌声に、
もう間もなく達してしまうのがわかった。
(どうせ、意地悪と言われるなら)
とことん意地悪になってやってもいい、そう思って指を抜いた。
「え……?」
不満げな顔だ。本当に申し訳ない。
再び身体を長くして、花梨の身体に重なった。
「あのままいかせてやってもいいと思ったのだが」
「や……も、なんてこと言うんですか!」
網にかかったサカナの如く、花梨は俺の胸を叩きつつ、小さく暴れた。
「いや、悪い悪い」
「……思ったのだが、なんですか?」
「初めての晩ぐらい、一緒がいいんだ」
おかしいか?と、花梨の胸に埋もれる唇で、小さく小さく聞いた。
大きな胸というのは便利だ。
花梨は何だと聞き返したが、なんでもないと逃げておく。
これから、都合の悪いことは、ここで言うことにしようと思う。
「わ、わかりました。がんばります」
「痛いかもしれんぞ」
「がんばります」
花梨が頑張りますと言って、できなかったことは何一つなかった。
これまではそうだったから、これからも、そうであるといい。
信じて、目を合わせて、まるみで入り口を探る。
「上手くできなかったら、すまん」
「だ、大丈夫です。比べるひと、いないですし……」
「―――そうだよな」
今更だが、そうなのだ。
下手でもなんでも、それならこの先、ずっとそれは、こんなものだと思ってもらえればいいのだが。
宛てがったところがつると滑った気がした。
「んあっ……!」
「ま、まだなにもはいっていない!」
「だってこそばゆくて……怒らないで」
「……すまん」
「あの……初めてだから、」
花梨は耳許で囁いた。
「やさしくしてください」
その言葉は、唇を一度噛み締めないといけないくらいに、
俺の心をきゅうと摘んでいった。
だが、優しく、なんて、俺に求めるには難のある分野で、
しかしいつもそうありたいと思っている分野で、
それでも、いつもそう上手くはいかない筆頭なのだと、はじめに言っておいた。
「ううん、勝真さんは、いつも優しかったですよ」
「えらいオマケの及第点だ」
せめて、いちばん痛いぶぶんがはいるまでくらいは、優しいキスができるといい。
「っ……!」
先端を圧しいれたところは、指で感じていたのよりも、ずっとずっと狭く、
花梨は途端に身を固くした。
切なげに息を吸う間だけ唇を離して、
そうでない間はなるだけたくさん口付ける。
していることが、酷いことだと知っているから、唇からだけでも、愛していると伝えなければならないと、
それだけを思っていた。
「花梨……」
「っ、ん、はっ……大丈、夫」
なんて言うから、ついに俺が絆される。
進めていたものは、半分くらいのところで止まってしまった。
「なわけないだろう、痛いときは痛いと言えばいいんだ」
「違…っ、じゃなくて、あの……」
言い淀む顔を、不器用な手つきで撫でることしかできない。
こうしていると、本当にひと飲みに出来そうなくらい、小さい顔だ。
ようやくその続きを聞くことができたのは、まるい目が何度も瞬いたあとだった。
「これも、勝真さんだから」
「……なんだって?」
「はいってるの、も」
「―――」
「それなのに、痛いなんて、思いたくないんです」
もし、これが夢なら、今だけは覚めないで欲しい。
「なんてことを言うんだろうな、お前は」
「いけなかったですか…?」
「いや」
お前を好きになって良かったと、あとで胸に埋めようと思う。
「そういうことなら、遠慮なくさせてもらう」
「っ、はい!」
花梨の、いい返事のおかげで、一思いに入れることができたのだったが、
花梨は本当に、きゅうと閉じた目の間から、涙を零すこともしなくて、
そう言えばとても我慢強いところもあったのだったな、と思っていた。
殆ど止めているくらいの幅で動いて、それでも軋むような狭さだ。
花梨にもきついのだろうが、太さのぶんより締めつけられているようで、俺にも厳しい。
これで音をあげては、笑われてしまうのだろうが。
「もう、大丈夫です」
「いや、というより俺が」
「あ……っん、なんか……っ、気持ち……いいかも」
「―――そうか」
男とは、かくも現金なものなのだ。
俄に気が確かになってゆく。
脇へ零れていた胸を中央へ寄せて、ふわふわと揉みしだいたりして、
ようやく本来の男の気持ちを、呼び覚まされた気になった。
乳首に舌を這わせると、すぐに固く立ち上がる。
「あぁ……っん!」
舌の先を尖らせて、輪郭に沿わせて舐め上げては、
ころころと転がる感触に酔っていると、中がじわりと熱くなる。
濃いぬめりが降りて来て、動かさずにいられなくなって、
入り口で根元までを、とんとんと数度突上げた。
「んっあ……や、だめ……!」
「隣に聞こえるぞ」
「だって……すごく……よくって……!」
言いながら花梨は枕元のリモコンでオーディオの電源を入れた。
いつの間に用意していたのだろうか、花梨が割と周到であるというのはいま初めて知った事実だ。
「知らない曲……」
「贅沢を言うな」
それより、俺を見て欲しい、そう思ったから、本気になる。
痛むかと思って遠慮していた律動を、一気に深めた。
「ひぁ……っ……!」
先を捻るようにすると、括れの深いところに、熱い液体が絡まる。
柔らかい襞の間を、隈無く突いて広げて、どこが花梨のいいところか、
注意深くその身体を記憶する。
「ここは?」
「や……めてくだ……あぁっ……んん」
しっかりと腰を打ち付けて、豊かに揺れる胸を見ている。
あられもない声で鼓膜がつつまれて、それが反射になって、
更にいいところを探ろうとするのを、本能というのだと思う。
喉から出るほど打っていた鼓動が、幾分落ち着き始めるのもこのときで、
もっと良くさせたいという思考でいっぱいになる。
肩を一段低くして、頭からつつみ込むようにして抱き込んだ。
「あぁっ、いっぱい……」
「痛いか?」
「ううん」
「ほんとうに、か?」
「はい」
そして、いまやっと零れた涙を拭ってやる。
「お前が好きだ」
「―――」
「本当に、好きだ」
きっちりと繋がったところから、溢れて来るぬめりまで愛しかった。
挿しいれる毎に、粟立つような音を立てるのは、
満たした音楽でも攫いきれない。
しんしんと締めつけられて、震えるような快感に逸る心が、
腰の動きをどんどんと速める。
浅いところを泳ぐようにするだけでも、花梨がひぃと喘いで濡れてしまう。
奥から掻きだしたものは、俺の根元に伝って、シーツまで零れているのだろう。
吸い上げて反らした喉の、その脈の早さを知る。
舌先でつつと辿れば、ぶる、と小さな震えが連続した。
「あっ……あっ、だめ気持ちいい……っ」
「まだだって」
「だめもうだめ……!」
撓ってゆく花梨の背中へ、回した腕が汗で滑る。
ぎり、と強く締めつけられて、飛びそうになった理性を留めることが、
これほど難儀だとは思わなかった。
ひくひくと収縮した花梨の奥へ、ずいと引きずられる先端を引き戻すのに、
やや情けない声が出そうになったくらいだ。
「勝真さん……っ」
「ここにいる」
「あ、あ、い……っちゃ………ぅ」
魂まで抜けていくのか、と、そう思うのに十分に
達してゆく身体は軽く、向こうへ向こうへ離れようとする。
「花梨っ―――」
それを、がむしゃらになって引き寄せて、
それでも、最後の最後に抜かなければならないことのもどかしさに、
いつまで耐えられるのだろう、俺は。
この世界で、花梨を抱くことに不自由があるとすれば、その一点に尽きるから、
待っているから、早く、大人になるといい。
◇
帰り道は、花梨がとてもよくしゃべった。
噛み合う話題も、そうでないのも、たくさんたくさん出して来た。
だからだろうか、家まで送ってゆく一本の道が、常よりとても短く思える。
ふと、会話が途切れて、一段低い右側の頭を意識した。
ちらと目の端に見れば、細い細い指先に向かって、ほう、と吐き出した息が、白く立ちのぼっている。
つまり、こんなことにも気付かずに、ただ前を見て歩いていた俺が浮き彫りになったということだ。
「……ほら」
手を差し伸べたのだった。自分でも相当ぶっきらぼうな出し方で、
それまで、ああ、とか、だな、とか、そういうのしか言っていなかった声帯は、
その一言を告げるのに、やや掠れた。
「え?」
「だから、繋げ」
「―――はい!」
ついさっきまで、これ以上はできないまで密着していたというのに、
何故手を繋ぐことに、これほど緊張せねばならないのかが疑問なのだった。
花梨ははしゃぎ気味に手をとって、また話を続ける。
「えっと……永観堂って知ってますか?」
それは京にいる頃、もみじの名所として知られた寺だ。
知っているので、あぁ、と答えた。
「もみじが、綺麗なんですよ」
「―――この世界でも、あるのか」
「向こうにもあったんですか!」
「あるもなにも、よく紅葉狩りに行ったものだ」
「わ、ほんとですか!すごい!」
ここへ来て、何となくちゃんとした会話になりつつある俺たちだ。
時間が掛かったのには、主に俺に、原因がある。
花梨が矢継ぎ早に話題を提供しているのが、気まずい雰囲気を打開しようとしてのことだと、
本当はわかっていた。
俺は口がうまいほうではないし、
昨日まで越えられなかった一線を越えたあとの妙な気恥ずかしさは、特別どうにも苦手だった。
「だったら、今度一緒に行きませんか?」
「永観堂か、何度も行ったしなぁ」
わざと、乗り気でないフリをした。
それも照れくささの一環だ。
そして、これくらいのことで、めげたりしない花梨を知っているから、甘えたということだ。
「ふふ、こっちの世界にはライトアップがあるんですけどー」
「なんだ、その、ライト何とかってのは」
「来てくれたら見せてあげられるんですけど、何度も行ってるならだめですよね」
「仕方がないな、そうまで言うなら行ってやってもいい」
「わ、やった!」
転がされているのは俺だ。十分わかっている。
嬉しそうに上がった声と、同時に腕も振り上がる。
このまま抱き上げてしまいたいくらいだったが、
この世界では日が暮れてもそれなりに人通りがある。
「本当に、お前は元気だな」
代わりになるかどうかは知れないが、繋いでいても少しずつ冷えてゆく手を、
コートのポケットにつっこんだ。
そうすると、急に黙り込むのがまた、おもしろいところだ。
「なんだ、静かになって」
「あ、はい」
「答えになってないぞ」
「……あったかいです」
「ああ、良かったな」
もう少しだけ、歩幅を小さくして。
藍の空、進んだぶんだけ前をゆく月を、ゆっくりゆっくり追い掛ける。
ライト何とかのもみじを見せてもらうまで、
大人しく待っていられるかどうか
実に自信は、あまりない。
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