◆Special Thanx for... ふみみん様











旧友が彼女を抱いて飛ぶのを、地上から見ていた私を
それもカリガネ、大好きと、



そらから降りて、そう言ってくれたひとがいた。






− 降りるひと −





王の自室は橿原宮の最上階、それも、最も奥にある。
本来、入ることを許可されているのは、ほんとうに一握りで、
王本人としては少し淋しいこともある。
だから、この王は自室でなく政務室で見かけられることが多い。
政務室とて高みの奥だが、ここなら人の出入りがそれなりにあるからだ。


「なんでこんな手続きが必要なのかなぁ。」


思っていることが正直に口から出るタチの王である。
彼女は机の上、うずたかく積まれた竹簡を横目に、不慣れな手つきで筆を動かしていた。
ほんの小筆だというのに、墨をややつけすぎてしまった感が否めない筆跡だ。


「『許可する』、っと。」


書き終わった竹簡は『既決』の木箱へ、続いて『未決』の木箱から新しい巻きを取り上げて、
はぁ、と溜め息をついたところへ、ノックがあった。


「はーい、どうぞ!」


話し相手来たる、と目を輝かせる千尋の視線の先で、バン!と勢い良く扉は開かれた。


「あっ、忍人さん!」
「あ、おしひとさん、ではない。人を入室させるときは身分と名を名乗らせろとあれほど」
「そ、そうでした。では、名をどうぞ。」


忍人は心底呆れた顔で、それには答えずに、持ってきた包みを王へ手渡した。


「……これは?」
「例のものだ。出来上がったので持参した。遅くなって済まない。」


例のもの、千尋は記憶をたぐり寄せる。
受け取った包みは白い麻布で巻かれていて、手のひらには少し乗り切らない長さで平たい。
ちょうど、クレープみたいな感じだろうか、懐かしく、軽くもなく重くもない、という特徴である。


「何かお願いしたんでしたっけ。」


うーん、と首をひねる千尋に、忍人は更に呆れ顔になって、開けてみろ、と促した。
忍人は幾分せっかちである。
くるくると布を開いてゆくと、果たして現れたのは一本の青い羽。


「――――!」


正しくは、先に金のペン先がついた青い羽であった。


「あ、ありがとうございます!」
「いや、礼には及ばない。金属など捨てるほどある上、手先は器用だ。」
「ううん、ほんとに、ありがとう。」


千尋は、真新しい羽ペンを大事そうに胸に抱いた。
目を閉じれば思い出す、あるあけぼのに見た、朧な夢の記憶。


綺麗になった、そう言った、青い翼のある涼しい目をしたひとは、
ひととき、ほんのり唇を寄せたかと思うと、白い陽光に溶けてしまった。
同時に、ようよう短くなりゆく夜が明けたのだった。


夢で見た景色を頼りに、王宮近くの原っぱへ出て、
彼が立っていたその場所で、彼の色の羽を見つけたのだったが、
整理整頓の得意でない千尋は、どうすればなくさないか?と考えて、
捻った結果が『ペンにする』であった。


羽を使った道具といえば、それくらいしか知識になかった。
たくさんあるならわからないが、何てったって一本しかないのだから。
それなら毎日使うものだし、硯箱に筆と一緒に入れておけば、決してなくさない。


「また謁見の申し入れか。」


忍人は既決の箱から一巻取り上げて精査するように眺めている。
ちなみに、精査は彼の仕事ではないが、謁見を願う人物によっては、警備などの業務が付随する場合がある。


「―――あ、そうなんです。」
「ふむ、常世関係ばかりか。っ、ナーサティヤ殿、これは俺も同席すべきだろう。」


千尋は我に返り、そうそう、仕事仕事、と、表情を引き締めると、
ペンをそっと置いて筆に持ち替えた。


「……君は、何故筆を使う。」
「え。」
「確か、それは『ぺん』と言って、物を書くために使う道具、ではなかったか。」
「―――でした!」
「……しっかりしてくれ。」


そう、忍人がとうとう呆れ返ってしまうくらい、千尋は嬉しさに動転していた。
だって、この手に確かに彼の羽。
北の地と、豊葦原に隔てられていても、今日からはこうしてペンになって、毎日触れられるのだ。


「大事に使おう。」


落とさないようにしっかり握って、つけ過ぎにならないように墨に浸し、
声まで、丁寧になった。


「では陛下、俺はこれで。書き上がった竹簡は事務官へ届けておこう。」
「あ、はいっ!あの、ほんとうにありがとうございました。」
「御前、失礼致します。」


忍人が木箱をカラにしたから、見通しが良くなった。


「うん、すごく書きやすい。」


王になって半年が過ぎても、毛筆はまだまだ半人前、とても苦手だ。
これからは、少しだけ見栄えよい書類が作れそうである。


窓辺に垂らした吊り布が、ふわふわと揺れている。
深まりつつある秋の風が、雲ひとつない空を吹き降りてくるとき、
この下界、しかし豊葦原で一番の高みに、それはいち早く届けられる。


「……っくゅん!」


続けて、あー、と深い息が漏れ、ふると千尋の身体が震えた。
聞きつけた釆女はすぐに肩掛けを持ち、その足で窓辺へ寄った。
開け放っていた格子を下げようというのだろう。


しかし千尋は、ちょっと待って、と制したのである。
書きかけの書面にペンを置いて、むずむずする鼻の奥を騙し騙し、立ち上がる。
肩掛けを、胸の前までしっかり引いて、四角い窓枠からそらを見た。


(カリガネ、やっぱりあいたい。)


カリガネに出会うまでは、千尋は、季節の中で、一番春を待っていた。
何か楽しいことが起こりそうでドキドキした。
けれど、今は、



冬を待ってドキドキする。



「もうすぐ、かな。」



―――この、冷たい風は



ふゆのにおいがする。あなたが渡った、北の色。
行ったこともないのに、そんな気がして、青の先まで見通したくて、
千尋は、まるい目を大きく大きく見開いた。









地上に降りたカリガネは、爪先に届きそうなふたつの羽を、ゆっくり二度はためかせてから、たたんだ。
日向は羽を持ち、空を飛ぶ民族だったが、橿原に入り、宮が近づいて来ると、かしらを先頭にして降りて来る。
王の頭上を飛ぶのはやっぱよくねぇだろ、という暗黙の了解があるのである。


「ヤーハァ!懐かしいぜ。……だが結構寒いな。」
「……寒がりのくせに肩を出しているからだ。」


一先に降りたのはサザキで、日向の長であるが、
カリガネが指摘したように季節にはややそぐわない出で立ちをしている。
ふたりに続いて、たくさんの仲間が歩いていたが、サザキは一番派手である。


「お前な、飛ぶのは確かに上手くなったが、その辛気くせぇ顔はなおらねぇのなぁ……」
「特段不自由していない。」
「知らぬは本人ばかりなり、ってな。ま、いいけどよ、姫さ―――じゃねぇ、女王さんが恐がんねぇように、
 今からそれなりにいいカオつくっとけ、な。」
「……。」


道は分岐に差し掛かり、一行は立ち止まった。
サザキと仲間は、まだ日も高いうちから飲みに繰り出すらしく、
橿原宮に向かうことにしていたカリガネとは、ここで別れるのだ。


「じゃーな、ゆっくりして来い。」
「あぁ。」
「あ〜っとそうそう、宿は一応取ってあるが、アレなら戻ってこなくていーぞ、ハハハ!」
「……。」


残念ながらその気遣いは無駄である。
アレな予定もさることながら、本日会いに行く、ということさえ知らせていない。
渡り鳥の旅程は、たとえ王であっても縛れやしない。
日和にまかせるより他にないのだから。
いろいろと、全ては地上に降り立ってから、なのだ。


王宮の門は長蛇の列であった。
カリガネもそのうちのひとりとなり、羽をすぼめつつ大人しく並んでいたが、
長身を活かして前を窺ってみると、どうやら竹簡をやりとりしているらしい。
門番がそれと照らし合わせ、名前や所属を尋ねたりしているのだ。


(これは………)


いやな予感がする。
会えない予感がひしひしする。



そう、カリガネが北で暮らす間に、彼女はこんなにも王になっていたのだ。



ポケットというポケットを探り、それらしきもの、または代わりになりそうなものを探してみるがあるはずもない。
列は着々と動く。長蛇だったはずの頭の連続は今やさながら串ダンゴか、
たった数人で順番が回って来る。
あれほど待ち遠しかったはずのその瞬間が、どんどんと間を詰めてやって来る。


「ハイ次、羽のお兄さんね。」
「っ、あぁ。」


門番は事務的に手のひらを出したが、何も渡すもののないらしいカリガネに怪訝な顔を向けた。


「入宮証でしょ、王の許可が書いてある竹簡、なに忘れたのォ?」
「ある訳がない、只今まで飛んでいた。」
「ほほう、渡りの日向か、いやはやお疲れであるとは思うが、手続きは手続きだからねぇ。誰に会いにきたの?」
「王に。」


門番は緩みつつあった口許を引き締める。
訪問先によっては事後承認の選択肢もない訳ではなかったが、これはいよいよどうしようもない。


「………正式に手続きを。」


それが門番最後の言葉となり、一巻きの竹簡を手渡されたカリガネはくるりと翼を翻され、
何となく気のむくまま歩いた先が、宮からやや離れた草原であった。
見渡す限りのはらっぱで、一層高い宮が、よく見通せるところだ。
腰を下ろし、尻をぺったりとつけて足を伸ばせば、
黄色い小さな花をつけた野草が、くるぶしに絡み付いた。



冬は、まだ遠いということだろうか。



いや、それでも、手続きさえ踏めば、近いうちに――――
何故か、とても重い気がする竹簡を、勢い開く。


「………。」


記入箇所は膨大だった。
選択式の部分と記述式の部分があり、まず賜姓民族、一般民族の種別、
さらに首長級、軍関係者、議員級、教師、宗教者、商人などに枝分かれし、○で囲むようになっている。
特筆すべき身分でない者のために一般市民という欄もあり、
謁見理由を記したあとで、首長による身分証明の署名をもらわねばならないようだ。


備考によれば、一般市民は女王に謁見できる可能性はとても低く、相当の理由がない限り弾かれるらしきことが、
柔らかい言葉でしかし明確に書かれている。


カリガネはよく回る頭で考えた。
まず、日向とは一般民族である。サザキは日向の長であるから首長級、という身分で、
身分証明の署名はサザキにもらうことになるが、そんなことより、


―――――私は?


「……一般市民だ。」


相当の謁見理由、それを言葉にするとするならば、
彼女に会いたい、たったそれしかなく、詳しく述べれば



愛している



それしかなく、しかし、それでは最も最初に弾かれる要素になる気がする。
王には王に、ふさわしい階級の、それこそ賜姓民族の首長などに位置する、
立派な男が、長蛇の列をなして待っているはずで
順番がまわってくるのはいつの日か、いや、まわってなど、来ないのでないか


少なくとも、このまま正式な手段を、とっている間は。


「……君は、どの部屋にいるのだろう。」


目が向いた先は一番の高み。そう、彼女は王だ。自分は、一般市民だ。
背中に埋まった、青い翼の付け根が疼く。
歩いていって不可能なら、飛ぼうとして、疼く。


カリガネは、サザキの部下である。
かれこれ20年ほど寝食を共にして来た部下である。
性質はとても、似ているとは言えないが、その間に染み込んだ、日向の癖がある。


『正攻法でだめなら、裏をかけ。たとえ海をなくしても、また空を掴めばいい』


聞き慣れた声が、すぐそばで聞こえる気がして、そうだ、と肯定した時、
疼いていた翼は反射のように、ふわり、風を含んで上昇する。
ぺたりと付いていた尻が浮いて、くるぶしに絡んだ花が一枚ずつ離れて、陽の匂いが近づいた。



それは、まるで、君のようだ。



やはりにこれは、
飛ぶための翼だったのだ。
恋しい人を、ただ、一目見んがために、この翼はある。



軽くなった心は、宮の高みへ舞い上がる。









「陛下……?」


釆女は、呼んだ美しい少女へ、痛々しい表情を向けていた。
冬の近い窓辺に立った華奢な女王は、肩掛けでは足りぬほど、その薄い肩を小刻みに振るわせていた。
それでも、閉めようとすると、いやだと言う。
先程からずっと、まっすぐに空を、見つめたままなのだ。


「お寒うございましょう。」
「うん。」
「後生にございます、陛下、どうか」
「……会いたいよ。」
「――――陛下。」


瞬きもせず、見つめているのには限界がある。
乾いた網膜を潤すためか、それとも、別の理由があるか、
王のまるい瞳は、いまにも透明の雫を零しそうだ。


「調べて。」


千尋は呟くように言った。そして、手のひらにじわと汗を握る。


「竹簡でございますか。」
「カリガネっていうひとが、私に会いたいって言ってないかどうか調べて。」
「は、ただいま!」


釆女は知っている。その中に、その名のないことを。
王に渡す前に、一度目を通すのだから、ないことはわかりきっている。
しかし言われたとおり、釆女は静々と窓辺から離れていったのである。


千尋はウズウズと答えを待った。
目線は常に空へ、耳は斜め後方へ意識した。
冬は、まだまだ遠いけれど、確かに、くしゃみしたくなる程度には、風が冷たいのだ。


「………あ、れ?」


煙が、もや、と立ちのぼったかな、というような色が、ふわと視界の奥に現れた。
いや、煙より、もっと意志のある浮き方、まるでトリのように
いいえ、トリよりも、もっともっと、背の高い



そら、高く高く、とんでいるひとあり。



「トリ……じゃない…!!」
「陛下―――」


王の猛烈なダッシュで、釆女の声は、すぐに遙か後方へ押し流された。
躓きそうな衣装の裾を、上手に持ち上げて、千尋は執務室の敷居をジャンプで越える。


「カリガネ、あれは絶対、カリガネ!」


間違えるはずのないシルエットだと、第六感が言っている。
1.5の視力で確認できる範囲に、彼が入ってくるまで、悠長に待ってなどいられなかった。


幾つもある階段を駆け下りて、入り組んだ回廊をまわる、まわる。
途中で肩掛けが翻って、ぱさりと飛んでしまったから、掛かった声もあった。


けれど、あとでいいかな。
ぶつかった人も、ごめんなさい、今度きっと埋め合わせをするから、



今は、ただ彼のところへ行きたいの。



翼のない私は、この脚で、せめて前のめりで駈けてゆく。
門は長蛇の列だった。
まさに謁見を願うひとたちは、突然の王の疾走に、目を丸くしてどよめいた。
まるで敬礼する暇もないのである。


そして、千尋が辿り着いたところは、夢で見た原っぱだ。
カリガネは、既に翼をたたんで降りていた。


「カリガネ……!」
「千尋。」


飛び込んだ胸は、とても暖かかった。背にまわる腕は強くて、夢で見たのと同じ感触がした。
けれど、あのときのように夢でないから、近づく唇を受け止めても、
陽の色に溶けてしまったりしない。



あなたは、私は、ちゃんとここにいる。



名残惜しい胸を離した時、冬待ちの風が吹いて、千尋は思わず身を竦め、
柔らかな糸で編んだストールを引き寄せるみたいにして、カリガネの翼をつまみ引くと、
その中に隠れるように入った。
そのまま少し大人ぶり、腰に手を廻してみたのだが、
カリガネは見るよりもしっかりとした体格らしく、向こうまでが遠かった。


「帰って来たら、ぎゅってして飛んで欲しいなって思ってたんだけど…」
「あぁ、飛ぶか?」
「もう少し、あったかい日を、待とうかなって。」
「そうか、それもいい。」


千尋は少し考えて、続けた。


「ねぇ、しばらくは、いてくれるんでしょう?」
「停留許可の取れるうちは、な。」
「永久許可を発行します。」
「生憎、通常の申請書しかない。」


カリガネにつられて足元をみれば、へな、と広がった竹簡がある。


「これでもいいよ。」


千尋はそれを取り上げて、ぱんぱんと砂を払う。
ちゃんと全てに書込んで、然るべき窓口へ出すように、と、やや正式な言葉で伝えたのであった。


「だってそうじゃないと、私の許可も不正になっちゃうでしょう?」
「―――そうだな。」


見つめあって、笑いあえることが、これほど幸せである。
カリガネの翼は、ペンにした羽と同じ色をしていて、すぽりと包まれるとほんとうに柔らかだ。


「ねぇ、お部屋まで飛んで。」
「もう少し、暖かくなってからではなかったか?」


カリガネは悪戯そうに言う。
そんなことを言っても、きっと、叶えてくれるのだと、よく知りもしないけれど、何となくわかる。
愛想はないけれど、たぶん、優しいひとなのだ。


「見せたいものがあるって、思い出したの。」
「それは、なんだ。」
「言っちゃったらつまんない。だから、いますぐ連れて行ってあげる。」


カリガネの手のひらが、千尋の腰を掬った。
くすぐったくて身を固くしたのはほんの一瞬で、ひ、と声を上げる暇もなく、胃が浮いて、
連れて行きたいところを眼下に眺め渡した。


「寒くはないか。」
「寒くはないけど……くすぐったい。」
「………!」








部屋についたら、まっさきにみせてあげたいものがあるの。
夢で、あなたに会った場所で、見つけた青い羽のこと。



首長のサインをもらったら、私の許可を取りに、また、ここへ来て。
次の春が来る前に、あなたが行ってしまう前に、ちゃんと来て。



そしたら私が正式に



許可します、のその前に、永遠に、と、あなたのペン先で黒々と、
綺麗な字で書いてあげます。




− 降りるひと・完 −





リク企画創作『カリガネ×千尋 まさかのED救済計画』でした…!
おお、カリ千!とめちゃくちゃ楽しく書きました!!
ちゃんと救済できてるといいのですが(…)
私も、EDアリだわぁぁ!と前のめりでプレイして号泣したクチです。
ああ見えて思わせぶりですよね、ふだんシュッとしてるくせに……カリガネのそういうとこが好きです。
ふみみんさま、リクエストありがとうございました!

2009.10.05 ロココ千代田 拝