望美は京都の四条河原町をめざして歩いていた。
気になる話だ、と思っている。
南西角にある百貨店の正面玄関は、いかにも超老舗、といった風情で、いささか背筋がピンとする。
望美はかくかく、っと歩を進め、地下食料品売り場へと、悶々としながらエスカレーターを降りる。
「ほんと、、っぽいよね。信じたくないけど。」
エスカレーターを降りると、そこは近代的なグローサリーコーナーであった。
デパ地下ブームに乗って、最近改装されたのである。
望美は、黒いエプロンの、銀色の髪の店員を探してきょろきょろ首をまわした。
「神子様。」
「アレ、見えてた?」
「愛しいあなたの姿を見まがうはずもありません。」
ストレートな言い回しにいささかぎょっとしつつも、間もなく柔らかな微笑みに飲み込まれてしまう自分が悔しい。
品出しの途中だったのか、手には豆乳のパックが数個、握られていた。
こういう風に、仕事中の彼、というのは普段目にできない分、ドキドキするものなのである。
大きな手をしているんだな、と思ったのもあるが。
「ごめんね、急に来ちゃったりして。」
「ふふっ、よろしいのです。仕事場であなたと会えるなんて、私もうれしいのですから。」
なんの狙いもなく、眼を細めて笑う銀は、この世界へ来てから初めて目にする様々な食材に心惹かれ、
興味のあまりにグローサリー会社に就職してしまったのである。
ほぼ毎日のように、職場から新製品を持ち帰っては台所で何やら研究を重ねている。
おかげでおいしいものが毎日食卓に並ぶのは、望美にとってとても助かるのだけど。
だからこそ気になる話だと思っている。
「今日は私がご飯作ってあげよっかなーなんて、思って。」
「おや、、。かわいいことをおっしゃる。」
銀は、腰をかがめて望美の顔を覗き込んだ。顔が近い。
真っ赤になって言葉を探しあぐねていると、突然腕が引かれた。
銀は、望美の手を取って、背の高い陳列棚の間をぐんぐん進む。
「ちょ、、どうしたの?銀??」
「マネージャーに見つかってしまったようです。少しだけ、お客様の振りをしてくださいますか。」
お客、、なんですけど、と思ったが、敢えて伏せておいた。
客の手を引いて案内する店員が何処に、、とも思ったが、それも伏せておくこととする。
「あ、あの、、ビーフシチューを作ろうと思ってるんですけど、、ルウはどんなのが、、?」
「それでしたらこちらの、、、。」
銀は、使いやすい固形のものから、野菜などを煮込んで作る本格的なものまで、丁寧に説明し始めた。
望美の耳には、説明なんて入っていない。一つ一つ手に取って、本当に楽しそうに話す銀の顔ばかり見ていた。
『食べ物好きは、、。』
先程友達と話していた気になること、が脳裏を掠める。
「ですから、、、、お客様?」
「はっっ??」
ついに何も聞いていないのがバレたらしい。
「やはりお客様には難しすぎたかもしれませんね。本当は、何か他のことでいらっしゃったのではありませんか?」
「あ、、の、、。」
言えるはずはない。
図星をつかれて赤くなって、目の前に整然と並ぶスパイスの瓶たちを、所在なげに取っては返し、取っては、また返し。
そんな望美の様子を、銀はクスッと笑って見つめた。
「その指に、触れたい。」
「え、、。」
「あなたが触れる、その瓶にさえも、私は嫉妬してしまうのでしょうか。」
銀の手のひらが伸びてきて、棚に入ったままの望美の指を包む。
カラカラ、と音を立てて、瓶がいくつか床に落ちた。
「ちょっと、、落ちちゃったじゃない、どうするのこれ、、。」
「私があとで支払います。それより、、今はこうしていたい。」
どう言い訳しても、客と店員がすることじゃないと思う。
陳列棚の奥で手をぎゅっと握り合って、唇が触れるか、という程の距離で見つめ合っているなんて。
マネージャーを避けた意味も、かすんでしまう、、よ?
銀の、低くて甘い声が、耳許でささやく。そのしっとりした空気で、望美の体が少しだけ震えた。
「今日はできるだけ早く帰りますから、お腹をすかせて待っていてください。、、、ね?」
その言葉の意味を、知っているから。
赤くなった頬を、大きな手のひらで包まれて、望美は動けないでいる。
ハタと我に返って、目についたルウの箱を取り、牽制の言葉を紡いだ。
「ビ、ビーフシチューくらい、作れるもん。デザートだけ買ってきて。」
「ふふ、今夜の楽しみが増えました。でも、、。」
「うおっっほん!!!」
咳払いがした方を、二人でハタと振り返ると、マネージャーらしき、がたいの良いおじさんが、銀の背中をつん、とこづいて、顎でこちらへ、と招いている。
はい、と言って去るその瞬間に、銀が残した言葉は、望美の耳をさらに赤くした。
「デザートは私でよろしいと思いますよ。」
足早に、陳列棚を抜けてゆく銀の背中を見送りながら、望美はやはり、と思うのだ。
『食べ物にこだわる男って、エッチなんだって。』
友達に聞かされた恐ろしいハナシ。これって銀のことまんまじゃない、と思っていたら、自然と足がここへ向かっていた。そしてその疑いは、晴れることなく確信に変わった。
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