◆Special Thanx for... 和泉様
− このからっぽの竹籠をいまから −
もう寝てるかもしれないから、と、足音を静かにする。
夜はとっぷりと暮れていた。
料理も下手なら整理整頓の手際も大して良くはないから、
今日中にしておきたい用事を片付けている間に、半分濡れていた髪も綺麗に乾いていた。
望美は白い夜着に身を包んで、これより漸く、睡眠体勢に入ろうとする刻である。
小さな灯りがジリと揺れる燭台を片手に、
もう片方の手でそうっと御簾を上げた。
そっとしてよかった、やはり、彼は既に眠っている。
読書の途中で眠ったのか、掛布から少し伸び出て、うつ伏せになった肩が穏やかに上下していたが、
望美がもぐりこむための半分は、そのぶんだけちゃんと空いていた。
望美は、枕辺に灯りを置いて、寝床の縁に両膝をついた。
半端に延ばされたままの巻物のそばには、やはり燭台が寄せられていたが、
油はすべんとなくなって、あるかなきかの芯が貼り付いていた。
銀に似た金属でできていて、細かな模様が彫ってあるそれは、望美が置いたものと対になっている。
「弁慶さん。」
足音を潜めて入ってきたのに、それでも一応呼んだのは、
そんな寝方じゃ風邪を引く、と思ったから。
「……ん…。」
弁慶は、ちりちりと瞼を揺らした後で、ほんのり目を開けた。
望美が声をかけた訳を、わかっているように掛け布にくるまると、少し掠れた声で言った。
「随分遅くまで、お疲れさま。」
「なんのこれしき。」
に、と笑った望美に、ふわと笑い返した弁慶は、
安心した、とでも言いたげな顔をして、しかしすぐに、再び目を閉じてしまうのだった。
(だめだこりゃ)
子どもみたいな寝顔、と望美はいつもそう思うのだが、
だってこういうときは、長い巻き毛がいっそう柔らかげに見えて、
燈火の色に溶けてしまいそうだからだ。
望美は灯りを吹き消して、掛布をめくって潜り込む。
それにつられたように、隣の身体がやや寄って来て、肩と肩が触れあった。
どうやら風邪の心配は要らないようだ。
――――風邪は、心配ないけれど
目を閉じる間際、望美が、秘かに秘かに零した溜め息は、
果たして弁慶に届いているだろうか。
いや、幸せには違いない。違いないが、
ふたり、同じ褥で眠るのにも慣れなかった頃のことを、思うと零れる溜め息だ。
それは、今よりもっと、料理が下手で
もっともっと、家事に時間が掛かっていた頃のことだったが、
弁慶は、やっぱり先に寝床に入って、書物を読んでいたのだったが、
(それでも、必ず起きて待っていてくれたよね。)
確かに、秋の夜は長いみたいだ。
ふたりでくるまる空気の中で、やがてしんみりと、身体だけが暖まる。
◇
そんなことを思いながら、半ば無理矢理寝たせいだ。
望美が、弁慶と夫婦という名の下に暮らすようになってから、
初めてケンカというものをしたのが次の朝であった。
その感想を一言で言うと、『もう二度とケンカはしない』になる。
一言でなく細かく分けるなら、
・やなきぶん
・何をしていてもケンカのことばっかり思い出す
・今夜はごはんつくってあげない
とか他にもいろんな表現が出来るが、結局、そこへ行き着く。
もう二度と、こんな気分にならない為なら何でもできる気さえする。
弁慶が、出掛けに閉める戸の音を、玄関ではなくて部屋の中で聞いたのも初めてだ。
行って来ますを聞かなかったのも
行ってらっしゃいを言わなかったのも
それらはふたりの間に、今まで一度も起こらなかったこと。
「もう足の踏み場もないんですよ!」
と、つい檄してしまったのが発端だった。
弁慶が、汚れてもいい服装をしているときは、薬草を採りにいく時と決まっている。
後から起きてきた望美だったが、その格好を見るなりピンと来てしまったのである。
まだ京に怨霊が出た頃も、同じような会話をした記憶があるが、
あのときは望美も怒ってはいなかったし、弁慶だってもう少し悪びれたものだ。
「足の踏み場くらいありますよ、君は大袈裟なひとですね。」
弁慶は、少しも堪えないふうに、冗談めかして言ってから、
夏が来る頃に摘んで、新聞紙のごとき薄布に広げたままの、
薬草のミイラたちをヒョ、と越えて敷居を跨いだ。
「ちょ!待って下さい!」
「朝のうちに出たいんですよ。秋の早朝にしか咲かないのが」
「こんなにあるんだから、別にそれじゃなくたって大丈夫なんじゃないですか?
どうせよく見たら去年のが残ってたりするんでしょう、ちゃんと探したんですかっ?」
「ええ、君の言う通り、」
「ほらやっぱり!」
「確かにまだ残っています。でも、使えば減るものですし、熟成させる期間だって」
「へ、減ってないでしょう全然!この部屋見てわかんないんですか!」
弁慶も一緒になって怒ったほうがマシだったのかもしれない。
望美としては言えどいえど、暖簾に腕押すみたいでイライラが加速していた。
「望美さん。」
「……なんですか。」
やっと身体を向けた弁慶は、背中を少しまるくして、望美と目を合わせる。
諭すような顔で頬に触れたのだったが、指はとても柔らかに撫でてゆき、やはり全然怒ってはいなくて、
却ってイライラを助長した。
「こんなふうに、君を怒らせることができるのも、夫の特権かもしれませんね。」
「……特権?」
それなら妻の特権は?
それは彼が眠った後で
足の踏み場のない私室を、せめて爪先立ってヒョ、と越えることくらいは出来るよう
こっそり整えておくことだとでも言うのだろうか。
(そして、あなたの寝顔しか、見れない夜を眠ることなんでしょうか。)
「でも君は、笑っているほうが何倍も可愛いですよ。」
「もう知らない。」
「望美さん?」
「もう知らない!」
頬を撫でる手のひらを、振り切った時の感触を、望美はまだ覚えている。
バタン!と音をさせたくて、そうすることで本当に怒っているんだとわからせたくて、
御簾の掛かった部屋ではなくて、わざわざ塗籠に入ったのに
弁慶は、今の今まで追い掛けても来ない。
僕が悪かったですとかの、デフォルト的な台詞でいいから
その扉の向こうから、声を掛けてくれたなら
それを三回くらい繰り返してくれるのを聞いた後なら、ちゃんと出て行こうと思っていたのに
ここで聞いたのは、玄関の引き戸が閉まる音、それで全部だったのだ。
「……ばかみたい。」
暗さに慣れて来て、下手な片付け方の家財道具がところ狭しと目につく。
このままここで拗ねて、久しぶりにお昼まで寝てしまおうかと、ガラクタをかき分けようとして、
指はそれに触れたのだった。
それは、ころんと、さみしそうに、
まるこく軽い風体を、ホコリに晒して転がっていた。
「……かご?」
取り上げてすぐに、それが何のかごなのかがわかった。
目が慣れてよく見えたからではない、それに触れなくなって久しいというのに、
毎日片手に下げていた時の、空いた方の手は彼に繋がれて、後をついて歩いてた時の、
「私のかご!」
弁慶のひとつでは、とても入り切らないからと、わざわざ同じのを買ってもらって
ホコリじゃなくて薬草で、いっぱいにして帰った頃のことが
一瞬にしてパタパタと、額の裏に甦った。
「こんなことしてる場合じゃなかった!」
行かないと、早く、早く。
弁慶の行ったところへ、行かなければ。
こんなところで拗ねていたって、それこそまさに、咳をしてもひとり。
さっきまで、浮かべる度にいがいがした気持ちになっていたあの顔が、
いま、何より見たい顔に変わる。
カラのかごをぎゅっと握って、玄関をあけっ放しにしてきたことに、出てから気がついたけれど
振り返ることもせず、足は前へ前へ繰り出た。
急く息と呼応して、ゆうべのことが思い出されて仕方がない。
寝顔ばかり見ているなんて、前は起きて待っていてくれたなんて、
そう、確かに、そうなのだが、
今よりずっと家事が下手だった望美は、今よりずっと時間がなかったはずなのに
今よりずっと、弁慶にくっついていたのではなかったか。
薬草がたくさん生えている森を、一心不乱に歩いてきて、ハタと立ち止まった。
ここで道は、みっつに分かれている。
「あれ……どっちかな。」
心が急にしぼんで来る。
弁慶さん、と、何度か口に出したけれど、厚い木々の向こうへ吸い込まれるばかりで俄然無意味である。
ああ、もう二度と、ケンカなんてしたくない。
ケンカなんてしてるから、あなたがどこにいるのかわからない。
『明日は、君をどこへ連れて行こうかな。』
『どこでもいいですよ。何を採るんですか?』
そういうふうに、たくさん話をしたのだった。
晩ご飯のときにも、褥に入ってからも、眠るまでたくさん、声を聞いた。
『ハコベ、とか、足りなくなってきましたね。』
『ハコベ?』
『あまり深く分け入らなくても採れる野草です。薬にもいいけれど、おひたしにしてもおいしいんですよ。』
『私が作ってもおいしいでしょうか?』
『ふふ、それは、頑張って下さいね。』
『は、はい!』
――――嬉しかったのに。
話さなくなったのは、尋ねなくなったのは、
それはどちらからだったろう。
それとも、聞けなくしたのか、話せなくしたのか。
望美は空っぽのかごを片手に下げて、立ったままで泣いた。
「弁慶さん……もう、どこ行ったの?」
俯いた喉の奥、おねがいだから迎えに来て、と、
零した声がきゅうと締まる。
◇
「やはり望美さんのようですね。」
そうだと認知して、反射のように息を吸い、声を掛けようとしてすぐだったが、
弁慶はさっと顔色を変えた。
余り目が良くない為に、遠目からでは、もしかして望美かもしれない、くらいにしか見えなかったのが、
実際声の届く距離まで来て、それがやはり望美で、加えて泣いているのだと明確にわかったら、
不惑のひと弁慶も戸惑うのである。
どうしたんですか?なんて聞いたら、きっともっと泣かせてしまうのでは、
何故なら理由はわかっていたからで、今朝、そのままにして出て来てしまったから、それしかないと、
確信して本音を飲み、作った笑みを浮かべ直した。
「ちょうど良かった。場所を変えようかと、降りて来たところなんです。」
歩きながら言ったから、既に手の届く範囲、
言いきらぬうちにパッと顔を上げた望美が胸に飛び込んだ。
「の、ぞみさん……!」
「ほんとに、来てくれたんですね……!」
「あの…一体どうしたんですか。」
涙声で言われて、つい本音が出たのである。
望美の腕は背にまわり、生地を皺にするほどの強さではあったが、覚悟していた怒りの感情は読み取れない。
むしろ、優しくさえあったし、嬉しそうでもあったし、しかし彼女は泣いている。
これはどういうことなのか。
弁慶の片手は、薬草を入れたかごで塞がっている。
だから、ちゃんと抱き返すことができなくて、ひどく不安なのである。
嗚咽する肩を撫でてやるくらいが精一杯だ。
「どうしてかな。」
「……ごめんなさい。」
「ごめんなさい、と君は言うけれど、ごめんなさい、わからないんです。どうして君が謝るのか。」
ヒノエあたりが見ていたならば、驚くほど正直になった、と笑うかもしれない台詞が口をついたが、
ハッタリひとつ思い浮かばないから、望美が差し出した竹かごに、素直に目を落とした。
「――――それは」
ドキ、と後ろめたさに似た鼓動が打った。
それを、いつから見ていなかったろう。
そもそもどうして、見なくなったのだったろう。
弁慶が、記憶を家捜しして思い当てたいくつかのことがらは、恐らくその原因のうちのほんの一握りでしかない気がした。
「しまったことも、忘れてたの。それも、あんなところに。」
「少し前の僕なら、『あんなところ』がどこなのか、察しもついたのかもしれませんね。」
「ごめんなさい。」
「いいえ、きっとそれは、僕のほうですよ。」
幸せすぎて惚けていた、僕のほう。
弁慶はようやく、望美の頬に触れることができた。
涙が纏わリついた指先を、ひとまわり大きな手のひらの中へ握り込む。
せめて前の自分が、難なく出来ていたことをすることで、
少しでも君が、笑うなら、そう思っていた。
「前は、君が泣いても、こんなに不安にならなかった。それは、僕が、君に愛されている自信があったからかもしれない。」
「私も、愛されている自信があったんですけど……」
「―――望美さん」
塞がったほうの手も、ひととき解放して、両手でちゃんと抱きしめた望美が、
知っているよりずっと小さい。
簡単に折れてしまいそうだなんて、初めて思ったことだった。
「愛していますよ、ずっと。君が思うより、もっと。」
泣かないで、そう言った自分のほうが、余程泣きそうな声になり。
「私も、一緒です。」
彼女の声に、心がきゅうと絞られて、
いつのまにか、こんなに狭くなっていたことが、わかって本当によかった。
「もう少し、寒くなっていたならば、隠してあげられるのですが。」
包むための外套は、恐らくまだ塗籠の中。
誰かに邪魔されないうちにと、弁慶は望美の唇をそっとくすねた。
◇
「……あ、あの、どうして帰って来てるんですか?」
望美の記憶が確かならば、弁慶は、場所を変えようと降りて来た、
と、確かそう言ったはずだ。
それなのに、ここは邸で、昼間であるのに寝室だった。
「そんなことを聞くなんて、君はいけないひとですね。わかるでしょう?」
「………一応、聞いておこうかと。」
弁慶が、そのつもりで見つめる時の、深い深い視線を前にすると、
わかりませんとは言えなくなる望美である。
正確に表現するなら、わかっているけれど、少し怖いのだ。
褥の上で向き合ったまま、正座を崩せない望美に、弁慶はくすと喉を鳴らした。
「そう固くなられると、いっそ一思いに押し倒したくなってしまいますね。」
「まっ、まって……!」
しかし、間髪はなかった。
うなじのあたり、髪を纏めた結いひもに、弁慶の指先が届いて、
望美は早くもビクと震えてしまう。
はらりと解かれると、頭は既に枕に沈んでいる不思議、である。
襟をくつろげながら帯を緩めてゆく、そつない一連の動作を見せた弁慶は、
こういうときにしかしない笑みで望美を見下ろしていた。
「……おとこのひとの顔。」
「言われなくても男です。」
「そ、そうなんだけど……なんていうか……わかってください。」
「どうやら君が、わかっていないみたいですね。」
弁慶はごそごそと、そして恐らくわざと、高い衣擦れをさせて、
望美より先にはだけてしまった。
見慣れたはずのそれは、確かに最近、ここ少しだけ、縁遠いものでもあり。
「あ……」
「ね。僕は、ちゃんと男なんです。」
「う、うん、じゃなくてはい。」
「うんでもいいのに。」
だって、夫婦でしょう?みたいなことを言って、
弁慶はそのまるみを、望美のそこへ、下着の上から圧し当てた。
「――――っ!」
「本当に、可愛いひとですね。まだどこも、触ってはいないのに。」
「ち、ちが……!」
「いいえ、中までちゃんと濡れている。ちゃんとわかるんですから、隠さない方がいいと思うな。」
弁慶の睫毛は長かった。
瞬くたびに、同じぶぶんがくすぐられそうで、その近い近い顔だけでも逸らしたいほどなのに
くつろげた襟元から手のひらが入って、望美はどこを見ていたらいいのかわからなくなる。
「や、……あぁ…!」
ふっくらとしたまるみは、弁慶が沿わせるとおりに頼りなくかたちを変えて、
その焦らすようなやり方と、時に粒になったところを掠めるのとで、
さっき、濡れていると弁慶が言ったところが、自覚できるまでにぬかるみ始める。
ひとつを指で、もうひとつを舌先で転がされると、すぐにきゅうと角が立って、
唇を噛んでも、目をきつく閉じても、頬がみるみると赤らんでゆく。
いつもはさらりとしている肌が、しっとりと汗ばんで滑りが悪くなってしまうのを、
とてもとても知られたくないのである。
「んぁ、っは……っ!」
縋るように、うすらと目を開けたとき、ふと交差した茶色の瞳に、確かに自分が映っているのであろう、それだけのことで
じゅん、と奥から火照り上がってしまい、
どこまでも投げ出されてしまう気がして、昼間には似合わない声があとからあとから漏れた。
「欲しい?」
「……っ、んん……」
「君から言ってくれないと、僕が苦しいんです。」
「そんなの……弁慶さん強引……ッあ、ん……!」
望美からしてみれば、弁慶はまるで遊んでいるようにしか見えない。
切迫した息をしているのは望美ばかりだ。
薄い布越しに当たる感触は、確かに硬く張りつめているけれど、
指はちゃんと器用に動いていて、言葉はしっかりとしていて、
こんな行為は、まるでついでにでもできるかのようにする。
だから、真に受けてそんなふうには、言ったり出来ないのだ。
「望美さんはひどいな。」
「……ん?」
「僕が、こんなに頼み込んでも、だめだなんて。」
「あ……」
だめ、誘惑に負けてはだめ、と、望美は、
まるく、揺れたような瞳で覗き込まれても、心だけは強く持ちたがったのだ。
「では、僕からもらうしかありませんね。」
「―――え」
その手は裾を分け入って、つるんと下着が剥がされた。
身を固くして構えたのは反射だったが、しかし次の瞬間に、とろりと緩んでしまったのは、
じかに触れた弁慶が、あまりにぬると滑ったからだ。
ほんの一瞬で、窪みが入り口を通り過ぎて、奥へ挿し込まれてしまった。
「あぁんっ……そんなのだめ……!」
「だから言ったんです。本当に、苦しかったのに。」
「そ、そんなのっ……んっ……わからないです……!」
「わからない、ですか。」
弁慶が、目をまるくまるくする。
望美をいっぱいに圧迫しながら、あまりに可愛い顔をする。
そんな弁慶だから、わからない、と望美はいつも、思う。
けれども、それは決して、ネガティブな意味でなく。
「わからない、ていうか……」
「言い訳なら」
「聞いてくれませんか……?」
「聞きますよ。って言おうと思って。」
弁慶は、望美の身体にしっかりと重なって、どうぞ、と耳を傾けた。
「ああっ、だ、め……そんなにいれちゃ……ぁ」
「ほら、早く聞かせて。」
「んっ、だ、だから……!」
すぐに言えなくなったのは、深く深く入った所為なのに。
大きな男には見えない身体に、こんなふうにすっぽりと包まれてしまうと、
やっぱり弁慶は少しずるいと思ってしまう。
「その、少しずつ、わかっていくんじゃないかって。」
「少しずつでいいのかな。君と僕は夫婦なのに。」
「それは……っ、そうなんですけど、私は弁慶さんと……するとき、今でもドキドキするんですよ?」
「―――。」
弁慶は、どれくらい黙っていただろうか。
そして、どれくらい動かないでいただろうか。
その、幾ばくとも取れない時間を過ごした後で、しっぽりと望美を抱きしめて、
掠れる直前の声で言ったのだった。
「僕が言いたかったことを、いつも君が先に言う。」
明るい中で聞いたから、それはきっと、本当のことだ。
ふたりであたためた空気が、こころまで、ちゃんと染み込んでくる、
確信めいた予感がある。
「私、わかっちゃいました。」
「……ん、何が?」
「弁慶さんは、私をとても、好き。」
「今更、って言えば、格好がつきますか。」
「はい。」
「君には適いませんね。」
何を考えているのか、わからないひとだと思ったこともあった。
本当です、と言っても、それを信じても、最後に嘘だったこともあった。
けれど、これからは、
私が思っていることを、あなたも思っているのだと、
昨日の夜は、あなたもきっと、寂しかったのだと、
そう思って、いいのだと思った。
真っ正直な昼間なのに、弁慶が重なるぶんがしっぽりと翳ってしまって
その身体に組み敷かれたところは、まるで本当に、深く夜が更けたようだった。
いつもは、望美のほうが、痛いくらいの鳥肌を立てるのに
このときばかりは弁慶の、粒になったような腕に抱かれている。
――――否、抱きしめたのかもしれなかったが
弁慶の、いつも軽げに見えた身体が、本当はしっとりと重いことを知る。
◇
季節は確かに秋である。
だから、火照りの消えない褥が心地いい。
ふと目を開けた望美の髪を、弁慶がさらさらと撫でている途中だった。
「……ん…。」
「おはようございます、望美さん。」
「え!」
「ふふ、嘘です。まだそんなに経っていません。」
「……そうですか。」
かぁ、と毛先まで火照りそうだ。
初めてしたときの、そのあとで初めて目覚めた時の気持ちが重なる。
「え、っと、薬草摘みが途中だったんですよね…!」
「ええ。」
「そ、それならはやく出掛けないと!」
とにかく、照れくさいだけの望美だ。
ふたりで使うための、やや広めのはずの褥だが、急に狭苦しく思えて、
愛想なしに擦り抜けてしまった。
「そうですね、薬草もいいけれど」
着物を着直す望美の背後で、まるい声が引いた。
「な、なんですか?」
「いえ、今日は君を、どこへ連れて行こうかな、と、考えていたんです。」
それは、望美がずっとずっと欲しかった、とても正しい台詞だったから、
照れるのはこのあたりで止めにして見返ることにする。
そして、弁慶の、まだ幾分赤裸々な唇に触れてから、尋ねた。
「弁慶さんと行けるならどこでもいいです。何を採るんですか?」
「せっかくですから、晩のご飯になるようなものがいいかな。」
「キノコとか?」
「いいですね、お鍋にして温まりましょうか。」
「はい!」
こうしてはいられない、と望美は跳ねるように、
足元のかごを取り上げて起立した。
もう、帯まできちんと着付けているのを、随分上手くなったなぁ、と、
まだ肌色の肩を覗かせている弁慶は、感心そうに眺めていたのだったが、
「これいっぱいにしましょう!」
「あ、望―――」
呼び止める暇もない。
早くも敷居を跨いだ若い足首が惜しかった。
「もう少し回復してから、と、言い忘れた僕がいけないんですが。」
ほの暖かな掛布をめくり、むくりと名残を起き上がる。
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