◇
ここに泊まらせてもらうようになってから、
ひそかに―――というよりあからさまに、
いつかぜったい女子棟忍び込んじゃうんだからねーっていう野望を持ってたオレだった。
“なにかいるみたいなの”
夜中に目が覚めたら、と小さな声で話を続ける電話の向こうのかなでちゃんは、
そのなにかが出す音を「かさこそ」と表現した。
“電気つけてみたらよくない?”
“そうだけど、怖くてシーツから出られないんだもん”
そういえばかなでちゃんの声はちょっとこもってる。
時々雑音が混ざるのは、シーツが擦れる音なのかなと思うと、
なんかちょっとやらしいことしてる気がした。
“そんなに? もしかしてなにかされちゃったりとか?”
“……なにかって?”
“わふ、って噛まれちゃうとか足引っ張られるとか”
“ちょちょちょ、だめそういうの言わないでよぅ、本当にされる気がする!”
かなでちゃんてこんなに怖がりだったかな。
肝試しのときはどうだったっけ、と思い出すと、
墓場のあれこれよりかなでちゃんが足挫いちゃったことの方がオレの中で鮮烈だった。
遠慮がちな体重を、もっとぎゅってしていいのにって思ったこととか、
かなでちゃんの胸すっげードキドキしてたなーとか、
もしくはすっげーやらかかったなー(たぶん小さめだけど)とも言い換えられるわけだけど、
何より、帰り道がすっげー短かく思えたことが、忘れられない一番のことだ。
“そんなに怖いんだ?”
“だから怖くなくなるまで電話してていい?”
“ていうかそっち行ってあげよっか”
言葉は口をついて出て、
かなでちゃんの口からもまた、反射みたいな言葉が出た。
“おねがい”
って、そんなのこっちの台詞なんだけどって、
ごめん、正直そう思った。
かなでちゃんが言わなくても、そう遠くないいつか、
オレから口にしちゃいそうな言葉だった。
おねがい、かなでちゃんの部屋に行きたいって
なんでもいいよ
なにもしなくたっていいよ
ひと夏のうちの、どこかのたった何時間かでいいから
好きな子のいちばん近くで寝たいって
オレの中の、すきとか切ないとか淋しいとかは、
纏めるとそういう言葉になる。
よこしまな願いでも、強く強くねがえば願望ってものは、
こんなふうにうっかり叶っちゃったりするんだろうか。
廊下は既に消灯して、
非常口あっち、っていう緑のランプがついてるだけ。
その気味わるーってかんじの中を、なるだけ静かに、かつ急ぎめに歩いて階段降りて、
食堂の前で一回立ち止まった。
ここが境界なわけで。
オレはこっち、かなでちゃんはあっち、って、
毎日夕食のあとここで、じゃあまたあしたねってわかれるところ。
自販機とか公衆電話とかが並んでる小さなロビーは、
その緩い風景とは裏腹に、その実堅牢な関所であって、
でもってオレは、いまついにその境界を越えようとしている。
気持ちって、簡単に引き締まるよね、ってことを
普段ヘラヘラしてるオレは、15になって初めて知った。
男子棟と同じく、やっぱり緑のランプがぼんやりひかる廊下。
その突き当たりって聞いていた。
すげーホントに来たしとか思いながらオレは、ノックをしてから気が付いた。
怖くてシーツから出られないって言ってたこと。
だから、続けてちっちゃい声をドア越しにかける。
そのままでいいからって。
あけるよ、って。
“……どうぞ”
やっぱりこもってるかなでちゃんの声が、ちゃんとここまで届いた。
◇
カーテンを透過する夜の色の他は、真っ暗な部屋に踏み入れて、ちゃんとドアを閉めた。
抜き足差し足でベッドへ近づいて、声色使って呼んだんだ。
「かーなーでーちゃーん」
「……もー、わざと怖がらせようとしてるでしょ」
だって本当に頭からすっぽり潜っちゃってるんだもん超かわいい。
それにわざわざ「オレ」に電話するからだよ、「オレ」に来てって言うからだよ、
これくらいのいたずらしたくなるに決まってるじゃんか。
それに、一応初めて入る部屋に来たひとっていう立ち位置だから、
立ってればいいのか座ればいいのか、だとすればどこがいいのか、
かなでちゃんが言ってくれないと動けなくてヒマなんだよね。
どうすべき?
ベッドの端っこ借りて座ってもいい?
うんダメだよねそんなの知ってる。じゃぁ床に胡座になってベッドに凭れてねーねーって呼ぶべき?
それならいい?
「ねーねー出てきたら?」
「……なにもいない?」
そうそう、そのために来てたんだった。
一応確認のために見回してみたけど、特に何かが見えるわけじゃない。
オレにそういう力がないだけなのか、本当に何もいないのかは微妙。
「ベッドの下とかは?」
「ん〜…暗くってよくわかんないけど、うんたぶんいないっぽい」
「ほんとに?」
「ていうかオレいるんだからいいじゃん。そのために来たのに怖いとか言われたらかなりへこむ」
かなでちゃんはどう思っただろう。
オレは本音だった。
少しだけ沈黙した空気を、次に小さな衣擦れが破って、
凭れてた背中で挟んでたシーツが引っ張られた。
「ん?」
「うん」
体温を感じた二の腕のあたり、目をやるとかなでちゃんの指先がチラリと覗いてる。
関節をまるくしてすることは、おいでおいでみたいに見える。
「えっ?」
「つないで」
「………え」
まじで?
超やばいと思った。
手のひらに汗かいて来るのは夏のせいじゃない。
部屋着の腰んとこでそれをごしごし拭ってオレは、
めちゃくちゃドキドキしながらその手をとった。
「こ、これでいい?」
「うん。安心する」
そっと握り返される、それだけで、せっかく拭ったのが早くも無駄になる。
「なら、良かった」
ちっちゃい手。
白くてやらかい指。
もっともっと強く握りたくなるのを、
つぶしちゃうよねって制止しながら、半端な力で包むこと。
女の子の手をつなぐって、こうやるのが正しかったみたいだ。
すっげーつらいよ
やばいくらい切ないよ
甘いみたいな苦いみたいな、こういうのって、何て言う?
「ねぇかなでちゃん」
「ん?」
「……Te amo」
はっきりとは聞こえないように、
ううん、聞こえても、何て言ったかわかんない(はずの)言葉を選んだ。
伝えてしまって反応見て歯止め利かなくなったらきっとかなでちゃんが困るから、
一方通行でいられる言葉で好きだよって言った。
まだオレはそんな段階で、
ずるいかもしれないけど、思わずずるくなっちゃうくらい、
それくらい君が好きだよ
大好きなんだ
「ん? なんか言った?」
「だからte amoってば」
「だから、なにってばぁ」
「聞こえなかった? じゃぁ顔出したらいいと思うよ。怖いのなんかいないから」
オレは一旦手を離して、かなでちゃんの方に向き直った。
それから少しだけ身を乗り出して、かなでちゃんを隠してるシーツの端に手を掛ける。
わりと明確な反発があった。
さっきまでオレに繋がれてたかなでちゃんの手は、
いま、オレがしようとするのと逆の方向へ、シーツをしっかり引っ張ってる。
「そんなミイラ男みたいにさ〜」
「男じゃないもん」
「“みたい”って言ったじゃんかー! っていうかもうそろそろ出てきてくれてもいいと思うよ、時間切れー」
「……だって、そんなふうに引っ張ったりするから、なんか、なんかぁ」
かなでちゃんは言いにくそうにしてるけど、
そうして言いたがっていることを、オレはホントはわかってた。
この部屋でかさこそしてかなでちゃんを怖がらせてたものは、
いつの間にか「なにか」からオレに変わってる。
安心させたくて来たはずのオレが、
いつの間にか少しだけ、かなでちゃんのこと怖がらせたくなってるから。
隠しても、ごまかしても、
昼間よりも幾分綺麗に澄んだ空気がそれを伝えてしまうんだ。
かなでちゃんは全力で、
オレは70%くらいは手加減した力で、
夏向きの薄いシーツはかなでちゃんの額のあたりで均衡していた。
もしオレが、
いまここで本気出したら、ねぇそんなの超簡単に、
こんなのあえなく剥がれちゃうんだよ
けど、それじゃTe amoにした意味が霞んじゃうから。
怖い顔なんてしないから、
出てきてよって言ってるんだ。
オレの方が先に力を緩めて、
それからけっこう長いこと、動かないかなでちゃんを見てた。
腕は左右纏めて組んじゃって、かなでちゃんの枕元でべったり腹這いになって、
はみ出てる髪の毛とかを見てた。
やらかそうだなーとか、可愛い髪型だよねーとか、
思いながら見てた。
ちら、と目が合ったのは、どれくらい経った頃だっただろう。
うっかり寝かけてたかもしれないオレは、
どっちかというとそれがきっかけで目を覚ましたと言った方が近い。
「あ…まだ起きてる」
「どう? 怖い顔してる?」
「かと思ってたんだけど、かわいい」
「……言うよね〜」
和んだのかどうなのか、
かなでちゃんはこっちにくるんと寝返った。
完全に安心した女の子って、逆に無防備なんだよねーとか思っていた。
男より女の子の方が、わりと怖い生き物なんじゃないかって、
なんとなくそんなふうに思っていた。
「そこで寝るの?」
「だって帰ったらまた怖いのくるかもしれないじゃん」
「けど床じゃ足痛くない?」
「じゃぁどうするのさー」
こんなふうに、瀬戸際で我慢してるオレのことを、
明け透けな言葉で期待させるんだ。
「……なにもしない?」
「なにもって?」
「だ、だから、その…なにも」
かなでちゃんはどう思ってるのか知らないけど、
できるわけないし。
思いながら、いたずらっぽい顔をつくった。
「なにかしてほしい?」
「や、だめ、だめ!」
「おでこちゅーは?」
「だめだと思う、いまは」
「……やっぱりな〜」
電気ついてたらまっかになってるだろうかなでちゃんの表情だ。
逸らした目がもう一度合って、
結んでた唇をもう一回開けて、かなでちゃんは小さな声で、
「はいる?」
って言って、壁際に後ずさった。
わざわざ来てくれたのに床で寝てなんて言えないって言う。
ねぇそれって言い訳っぽく聞こえるよ。
ものすごくそういうふうに聞こえるよ。
ホントはオレと一緒に寝たいんだって聞こえるよ?
じゃなきゃなんでオレに電話するの
ねぇたぶん、そこからじゃん?
ホントはさ、好きなんじゃないの? オレのこと。
かなでちゃんもオレのこと、
けっこう好きになってるんじゃないの?
「ホント、ずるいよね〜」
「……ごめん」
「うん」
文句言いながらも、何もしないって条件付きでも、すごくいい気分だった。
オレのこと頼ってくれたのが嬉しいから、大好きだから。
ただそれくらいのことで、男ってすっげー優しくなれるんだって、
かなでちゃんが教えてくれて良かった。
ほんとにほんとに、そう思う。
ふたりでいっこのシーツにもぐってから、一度だけ確かに「かさこそ」を聞いた。
そのとき、あからさまにビクってした隣のかなでちゃんは、
反射なのかなんなのか、オレに身体をくっつけてきた。
それまでオレは、うっかり足が触れないようにってことまで気使ってたのに、
なんか一瞬にして無意味になったことになる。
「……これのこと?」
かなでちゃんはオレの二の腕に顔埋めるみたいにしてうんうんと激しく同意した。
「……確かめてこよっか」
「やだ、おねがいここにいて」
「……ふぅん。かなでちゃんがいいなら、いいけど」
ぎゅーってしてくるから、つられて身体がそっちを向いて、背中に腕を回した。
つきあってるみたい、って思っちゃうよ。
超複雑。あーあ。
約束破るのは嫌いだから、
できるって自信があることしか約束しないようにしてるのに、
初めてだ。こんな気持ち。
だから、なにもしないでいられるうちに寝ちゃおうと思った。
「おやすみぃ、かなでちゃん」
「ん…おやすみ」
ドキドキしてるオレのそばで、かなでちゃんはどれくらい安心してたんだろうか。
覚悟を決めてぎゅってしたら、すぐに寝息が上がり始めた。
◇
瞼を伏せた向こうがわが、少しだけ明るくなった気がした。
けど、ほんとはそうじゃなかった。
くすくすとくすぐられたのは瞼じゃなくてほっぺたの方で、
軋むような重い睫毛をうんと持ち上げたその隙間を、
まだまだ明け切らない灰色の空気が滑り入る。
「あ、目開けた」
そこにいるのはかなでちゃん。
えーっと、どういうことだったんだっけ、ってオレは、
ビックリするより先に、目に入った彼女の存在の理由を探した。
とその前に、
「…Bom dia」
とりあえず朝起きたら言わないといけないことが口をつく。
かなでちゃんはオレの言ったその言葉を、
ぜんぶひらがなで言い直したみたいな発音で返してくれた。
ちょっとだけ赤くなったほっぺたがかわいい。
なんだかオレは、かなでちゃんのことぎゅってしてるらしい。
寝る前からこうしてのか、寝てる間にこうなったのか、
早く思い出せたらいいのに、まだまだすごく、ひたすら眠い。
「…ねー、オレ夢見てたのかな」
「ゆめ?」
「かなでちゃん、さっきオレのほっぺにちゅーした?」
寝てたんだから、確信があるわけなかった。
まだ明るくなる前の、夜と朝のあわいの時間に、
オレのこと起こしたこそばゆい頬の名残りのこと。
それが、そういう感触だったっていう意味。
「ち、ちがう」
「だってかなでちゃんしかいなくない?」
答えに窮した、ってかんじのかなでちゃんが、
思いついたようにしてシーツの中でごそごそする。
下腹のあたりにやらかくてあたたかいなにかが生々しい動きで触れて、
えっなにってちょっとだけ目が覚める。
いや、正確にはかなり目が覚めた。
結果的にかなでちゃんがそこから取り出したものは、
三色混合タイプのちっちゃいちっちゃいねこだった。
「起きたらこのこがいたの」
「―――あ」
いよいよ目が覚めてしまった。
すごく見覚えがあるやつだ。
オレとかなでちゃんの隙間に納まってたとこを起こされて、
ねこは抗議するような短い声をいっこ出した。
声は初めて聞いたけど、このこと似たようなねこもいっぱいいるけど、
けど、首んとこの白い毛を縁取るようにしてかかってる首輪に見覚えがある。
それオレの。
ってことは、このこあんときのこ。
そうだよね、うんぜったい、そうなんだ。
やらかい身体してるくせに、耳と耳の間が異様に固い子だ。
なんかすごい嬉しくて、
いつかオレが願掛けしたその場所を、指先でこそこそくすぐった。
「ゆうべのかさこそも君の仕業〜?」
「ふふ、たぶん。あんなに怖がってかわいそうなことしちゃった」
かなでちゃんは、このねこがオレのほっぺにちゅーしたに違いないって言った。
どうしても信じてって言うんなら信じてあげてもいいんだけど、
ねぇ、それってホントのこと?
「こんなもふもふじゃなかったっぽいけどな〜」
「……もふもふでした」
ううん、もっとすべすべしてて、すごいいいにおいがした気がする。
けど寝ぼけてたんじゃないのって言われたらそれまでだから、
もうちょっとだけ早く起きてたらよかった。
後悔しちゃうよ、ほんとに。
けど、もう一回このこに会えたってことは、
オレが願ったとおりなら、
“かなでちゃんのこと彼女にできる”
それだけは、ホントのことって思いたい。
一緒に寝といて今更だけど、
ちょっとだけ、勇気が出た気がした。
「そろそろ戻んないとだね」
オレはそう言って、ねこごと抱きしめてたかなでちゃんの身体から、
そっとそっと腕を浮かせる。
いっぺんに離すことができなくて、離れたらまた抱き直して、
みたいなことを何度も何度も繰り返す。
うん、往生際悪いんだ。ふーん、意外って思う?
「もっとこうしてたいけど、みんなが起きてきて見つかったら大変なことになっちゃうよね」
「…そうだよね」
同意を得て、オレは更なる勇気を得た。
どういう勇気かというと、
かなでちゃんのこと、そう、できるだけ近いうちに、彼女にしようっていう勇気だ。
Te amoじゃなくて好きだよって、
オレの彼女になって下さいって、
目と目を合わせてこころの奥へ、ちゃんと伝える勇気のことだ。
「ん、せっかく起きたし、私も久しぶりに朝練したり―――」
好きな子の言葉を奪うのに、確かにキスは有効な手段だけれど
このときオレがしたキスは、唇にしたわけじゃなかった。
それでも、かなでちゃんの言葉はちゃんと切れて、
オレがすることをちゃんと受け止めようとするもんなんだって、
わかってオレは、幸せだった。
「…っ、ん……?」
ぜんぜんやらかくない、眉と眉の間の固いとこに、
口付けてこんなにドキドキする。
そしてそのとき、確かに染み込ませるように、埋め込んだ願いがあった。
シーツの中まで連れ込んどいて、やだなんて言わないでね
彼女になって下さいって、オレ絶対君に言うから
やだってぜったい言わないで
人生で二回目の、かなでちゃんとするおでこのキスは、
なんだかめちゃくちゃくすぐったかった。
かなでちゃんは? おんなじように思ってくれてる?
たった三秒、それくらい。
四秒だったかもしれないけどそれくらい、
そのうち目を閉じててくれたのはどれくらい?
「ねこだよ〜」
「いまのは新くんだった!」
「ねこだってば」
「見てたもん」
「もー、どっちでもいいじゃんかー」
シーツを額まで引き上げて、潜り込んでぎゅってする。
ねこはにゃ! って逃げてった。すごい早さで抜けてって、やや風を感じたくらいだ。
そのぶんだけの、狭いせまい隙間を埋めて、
改めて強くつよく抱きしめたら、
かなでちゃんてこんなにちっちゃかったんだって、
これ以上したら壊しちゃいそうって、思うんだ。
「…やだった?」
「……」
「ねーねー、オレにちゅーされるのやだ?」
それは、寝直しちゃいそうな沈黙のあと。
かなでちゃんがようやく抱き返してきた。
すごい強さで、オレの背中がかなでちゃんの五本の指で、
びーっと引っ張られてしまったくらい。
このTシャツ気に入ってるのにさ、そんなにしたらのびるじゃんか。
「……やだ」
「うそ」
「っ、まだやだ…!」
一瞬意気消沈したひとオレ。
でもって、頭ん中でもう一回再生して浮上した。
“まだ”って
いま、まだって言った?
未来を呼んでくる、たった二音のそのことば。
待ちきれない幾ばくかの時間が、確かにオレとかなでちゃんの間に横たわってる、
これってそういうことだろうか。
「……今日も練習行く?」
彼女は腕の中で明確に肯定した。
「一日中?」
「もうあんまり時間ないから」
「じゃーさ、予約していい?」
「予約って?」
「練習ぜんぶ終わったらでいいから、オレと遊んで。海行きたい」
提案すると、予想通りかなでちゃんは怪訝な顔をした。
それは、海ってなに言ってんのカレンダー見た? 的な意味だと思う。
知ってる。夏が終わってくことなんか、
かなでちゃんに言われる前にオレが一番よくわかってるんだ。
「…もう泳げないと思うなぁ」
「泳げるかもしんないじゃん」
「え〜…かたくなに無理とは言わないけど絶対冷たいよ」
「じゃぁ、ふたりで波打ち際歩くだけとかなら?」
「歩くだけ…?」
「うん」
「んー…それなら」
歩いて何するのとかよく考えちゃだめだよ、
こういうのってイメージなんだから。
考えるよりついてきてよ。オレがしたいって言うんだから、
おねがい「うん」って言ってよ。
「あ、歩くだけじゃないや」
「え?」
「ちょっとだけこころの準備しといて欲しい」
「………うん?」
「うん。いまはまだ、わかんなくていいから」
かなでちゃんは、本当にわかんなかっただろうか。
「うん」
返事は短く、けど、迷いなく。
改めてくっつけた体温から、高鳴ってく胸の音が鼓膜まで直通で伝わってきた。
「んじゃぁもうちょっとだけ寝よ。まだ眠いー」
「…けど、それじゃぁみんなと同じ時間になっちゃうよ?」
「いい、もうばれてもいい」
「ちょ、もー新くんてば」
押し問答はもう少し続きそうだ。
おとなしく寝てくれたら、寝相のいいオレは次に目を覚ますまで、
かなでちゃんのこと、ちゃんとぎゅってしててあげるのに。
オレについてのそんな細かいいろいろは、まだしばらく知らなくていいって言う?
ねこのいたベッドの中で、ころころ転がりながら朝を待つ。
八月は半分以上過ぎたけど、
今日はまた、暑くなりそうな気がしている。
ふたりでもぐったシーツの中で、かなでちゃんの唇ばっか気になってる。
昨日より、いつの日より、今日が暑くなったらいいと思う。
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