貝が海に溶けるとき





「花の笑顔が恋しくてね。」


この台詞を聞く私の顔は、うまく作れているだろうか。自信はない。
このヒノエという端麗な美男は、今私と共に床にある。
ひと月前、低反発枕じゃないと顔にシワがつくと言って、わざわざうちに「置き枕」しているこの人は、かわいいクラスメイトです。


―――もとい、手強いクラスメイトです。


「恋しいほど離れてないのに。」
「1日でもお前を抱かなきゃ、恋しくて仕方なくてね。」

ここで、言ってろ、くらいの気持ちでいないとダメなのである。ぽ、なんてなっていてはいけないのである。

「一日、、ねえ。そうだったかな、、、。順番だと思ってたけど?」
「こんな夜更けに、二階まで忍んで来てるってのに、つれない姫君だね。」

ここで、どの口が言うか、くらいの肝っ玉でいなければダメなのである。間違っても真摯ととらえてはならないのである。


「だから、早く抱かせてよ。」


来た―――。


「やだ」



私の気持ちに、気付いてないはずがないから。
このヒノエという、勘のいいクラスメイトは。

「そんな瞳を見せておいて、焦らすのかい?ってことはここももう……」

ヒノエくんの指に、体がびくんと震える。耐えて、私!

「……ほら、ね?」

潤んでいるのは隠せない。だけど、今夜は絶対屈しない。



お前が一番大事なんだ―――。



それは、嬉しい言葉であるべきで。
つい、脚を弛めてしまいそうになるから、すかさず次の台詞を言って。
期待通り、ヒノエくんの唇は、こう動く。



―――他の女とは次元が違うんだって―――。



ほらね。全然嬉しくない言葉になる。



「貝になってやる。」
「え?」
「絶対に開けてあげない。」

そう言って、背を向けて、しばらく待つ。
ヒノエくんがうなじのとこでいろいろ言ってたけど、忘れちゃった。
それから規則正しく寝息を立てる振りをした。



したら―――。



聞こえてきたのは、小さな小さな声だった。
聞いたことのない、胸で震える音色だった。



―――愛してるよ―――



肩をこんな風に包める人だったんだ。



―――俺だけの姫君になってよ―――



合わせた肌は、こんなに暖かかったんだ。
知らなかったのは、私だった。
たぶん、私には見せた事のない顔をしていると思った。
低反発枕にそっとうずめた横顔は、自嘲の混じった憂い顔。



見えるような気がした。



あなたがそんな切ない顔を、見せられる隙をあげなかったのは私。
頑張ってたのは、あなただったんだと、やっと気づいた。


ううん、たとえば騙されるなら、それでも。


寝返りの振りをして、ゆっくり振り返る。
眠そうに瞼をあけたら、憂い顔はもういつものヒノエくんに戻っていた。



「やっぱり、……して。」
「そうこなくっちゃ。」



その夜私たちは、初めて二人の鼓動を、体内に宿すことができたんだと思う。
私の中でヒノエくんが動くのは、もう何度も知ってるのに、貫かれる度に高まってゆく疼きに似た甘さを、何と呼べばいいのだろう。
名前を呼ぶ度に、呼ばれる度に、じん、とした痺れが突きあがって。
私もこんな声が出るんだと思ったとき、私の両手は、シーツをくしゃくしゃにしてつかんでいた。

「あ……ぃや……ヒノエくん、私、どぉなるの…?」
「ふふ、初めて…だね。大丈夫。おいで、俺だけの姫君。」

そして、声にならない声をあげてのけぞる私を、ヒノエくんは全部、みていた。


何度目の夜だったかなんて忘れちゃったけど。
もし、ヒノエくんと私が船乗りかなんかだったら、きっと、今夜が処女航海なんだと。
弾ける、と思った瞬間に、ヒノエくんがこんなことを言った。



俺の海で泳がせてやるよ―――。